大相撲

優勝した場所の前と後の負け越し4

■出羽湊
・優勝した前場所・翌場所負け越し3例目
出羽湊が優勝したのは昭和14年一月場所で
ある。双葉山の69連勝がストップした場所
である。双葉山はこの場所4敗している。
出羽湊は幕尻より1枚上の前頭17枚目。13戦
全勝だが、系統別総あたりにも関わらず横綱・
大関戦は一番もなかった。優勝の価値は極め
て低い。そのせいか翌場所は5勝10敗と大敗
している。優勝した前場所も前頭9枚目で
3勝5敗5休と前と後で負け越している。

<出羽湊のブロマイド>

■佐賀ノ花
・優勝した前場所負け越し6例目
佐賀ノ花は大関まであがった力士だが、優勝
は小結のときであった。昭和19年春場所、
優勝争いは横綱羽黒山との間で行われた。
千秋楽をむかえ、羽黒山・佐賀ノ花ともに
2敗。東西制であったため同じ方屋の2人の
対戦はなかった。千秋楽、佐賀ノ花は前頭
筆頭の肥州山に勝って13勝2敗。一方横綱
羽黒山は横綱照國に敗れたため、佐賀ノ花の
優勝が決まった。佐賀ノ花は前場所関脇7勝
6敗2休で途中休場している。このあと会場
は国技館から後楽園球場に移っていった。

<佐賀ノ花のブロマイド>

■前田山
・優勝した翌場所負け越し12例目
前田山が大関に昇進したのは昭和13年夏場所
であった。関脇を経験することなく、小結
からあがった。前田山といえば張り手をまじ
えた突っ張りを得意とした。昭和16年春場所
には横綱双葉山、大関羽黒山を撃破し、張り
手旋風をおこしている。大関14場所目の昭和
19年秋場所初優勝した。前田山は3年後に
横綱に昇進するが、これが唯一の優勝だった。
優勝の翌場所は1勝2敗4休で負け越して
いる。

<前田山のブロマイド>

■羽黒山
・優勝した翌場所負け越し13・15例目
羽黒山は7回優勝している。翌場所負け越し
たのは6回目の優勝の翌場所の全休である。
アキレス腱断裂によるものである。このため
3場所全休が続いた。7回目の優勝は6回目
の優勝から実に12場所目であった。15戦全勝
であった。これが最後の優勝となった。37歳
のときである。その翌場所は7勝3敗5休で
負け越している。晩年であった。38歳のとき
に引退した。年2場所から3場所制が主の
横綱であった。

<羽黒山のブロマイド>

■増位山
・優勝した翌場所負け越し14例目
増位山は入幕時から昭和21年秋場所までは
三保ヶ関(元滝ノ海)部屋所属だった。師匠
亡きあとは出羽ノ海部屋に身を寄せていた。
出羽ノ海部屋所属で2回優勝している。2回
とも優勝決定戦で勝っての優勝だった。1回
目は関脇で大関東富士に勝ち初優勝。24年
夏場所の2回目は大関で平幕羽島山を退けて
の優勝である。戦後の混乱期であり、浜町
仮説国技館での優勝だった。翌場所3勝6敗
6休で負け越している。さらにその翌場所に
引退している。大関在位4場所であった。

<麻酔山のブロマイド>

(この項目続く)

疲れが残る日です。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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