大相撲

横綱フル出場なしの場所5

■昭和50・60年代 2回

昭和58年五月場所、千代の富士、北の湖の
両横綱が全休した。北の湖は30歳であった。
千代の富士はこの時点で8回優勝していた。
優勝は大関隆の里、大関若島津、関脇北天佑
の間で争われた。12日目、全勝の北天佑が
1敗若島津を退けた。13日目、全勝の北天佑
は2敗隆の里に敗れたが、残り2日を勝ち
抜き14勝1敗で初優勝を達成した。大関隆の
里、大関若島津は2敗のまま場所を終えた。
北天佑は場所後大関に昇進した。隆の里は
翌場所14勝1敗で優勝し、横綱に昇進して
いる。

<北天祐>

昭和61年三月場所、千代の富士は一人横綱で
あった。その千代の富士が序盤から途中休場
した。千代の富士はこの時点で15回優勝して
いた。関脇保志(=北勝海)が13勝2敗で
初優勝した。保志はこのあと11勝、12勝を
あげ、大関に昇進している。大関から北勝海
を名のるようになった。

<保志のブロマイド>

■平成初期 7回

平成3年九月場所、横綱北勝海は全休、横綱
旭富士は途中休場した。前場所は横綱大乃国、
2場所前は横綱千代の富士が引退していた。
優勝は前頭5枚目の琴錦であった。F1相撲
といわれるほどのスピード相撲で初優勝を
成し遂げた。大関小錦・霧島を撃破した。
13勝2敗の優勝だが、2敗は関脇貴花田・
小結若花田の花田兄弟によるものである。
千秋楽は舞の海と対戦した。舞の海はフェ
イントのような立ち合いをするが、琴錦は
委細かまわず速攻で土俵下に吹っ飛ばして
いる。

<琴錦>

その翌場所の十一月場所、横綱北勝海は全休、
横綱旭富士は途中休場していた。優勝は大関
小錦と関脇琴錦の間で争われた。1敗小錦と
2敗琴錦は14日目に激突した。琴錦が勝って
両者2敗で並んだ。千秋楽、琴錦は6勝8敗
の小結若花田と対戦したが、痛恨の敗北と
なった。小錦は大関霧島に勝って2回目の
優勝を達成した。

<小錦>

平成4年一月場所、横綱北勝海は全休、横綱
旭富士は場所中引退した。31歳であった。
優勝は小結曙と前頭2枚目の貴花田の間で
争われた。両者の直接の対戦は3日目におこ
なわれ、曙が勝っている。その後両力士は
併走したが、曙が12日目に負け、1差がつい
た。貴花田は逃げ切って初優勝してしまった。
貴花田の優勝に日本中が熱狂した。おじの
元若乃花の二子山理事長最後の賜杯を渡す
場所でもあった。

<貴花田>

(この項目続く)

カンブリア紀の奇妙な生物の特集を見ました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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