大相撲

鶴竜の相撲人生6

2021年4月22日

2017年、鶴竜は6場所中5場所休場した。
詳細は以下である。
5勝6敗4休
10勝5敗
1勝4敗10休
2勝2敗11休
全休
全休

18勝17敗55休、横綱戦2勝0敗、大関戦0勝
2敗、関脇以下16勝15敗であった。言い訳
無用のどん底の1年であった。8月10日には
32歳になった。一月場所後稀勢の里が横綱に
昇進した。また、五月場所後高安が大関に
昇進した。そして日馬富士が十一月場所限り
で引退した。さらに照ノ富士が大関から関脇
に降格している。

<2017年5月 鶴竜休場>

2018年、前期は11勝-13勝優勝-14勝優勝と
持ち直した。連続優勝は初めてであった。
だが後期は2回の休場となった。トータル
51勝15敗24敗、横綱戦1勝2敗、大関戦2勝
5敗関脇以下47勝8敗であった。8月10日
33歳になっている。

<2018年5月 初の連続優勝>

2019年七月場所、鶴竜は14勝1敗で優勝した。
これが最後の栄光であった。この年は41勝
19敗30休であった。3場所は休場であった。
横綱戦1勝1敗、大関戦2勝3敗、関脇以下
38勝14敗であった。8月10日にはついに34歳
になった。 年6場所制以降誕生した横綱で
34歳以上は千代の富士、白鵬に続いて3人目
で あった。

<2019年7月 最後の栄光>

2020年は無観客開催の三月場所が最後のフル
出場になった。すでに限界だった。七月場所
初日の遠藤戦が最後の取組となった。この年
は新型コロナウイルスの影響で1場所中止に
なった。年間13勝9敗53休。横綱戦0勝1敗、
大関戦1勝0敗、関脇以下12勝8敗であった。
3場所連続休場に対し、十一月場所後横審に
注意を受けた。12月に日本国籍を取得できた。
これで年寄の道が開けた。

<鶴竜最後の一番遠藤戦>

2021年一月場所、それでも鶴竜は全休を続け
た。それは三月場所も続くかと思われた。
だが、場所中に引退した。35歳7カ月余りで
あった。最後に鶴竜の横綱成績をあげておく。

■鶴竜の横綱成績
266勝117敗227休 
勝率6割9分5厘 1場所10.4勝
優勝率5回÷41場所 12% 1年に0.73回
年間最多勝 なし
横綱対横綱 11勝18敗
横綱対大関 34勝26敗(優勝決定戦含む)

横綱フル出場率 22場所÷41場所 54%
横綱休場率(不戦敗含む)
(227+11)÷(40×15+10) 39%
連続休場数(不戦敗含む) 69日

(この項目終わり)

北斎の番組を興味深く拝見しました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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