大相撲

大鵬最晩年の珍記録

大鵬時代はいつ終わったのか。柏鵬時代という言い
方はあったが、実態はともなわなかった。柏戸は大
鵬に差をつけられ、本当は大鵬時代であった。筆者
の見方は、大鵬時代は昭和44年五月場所までである。
大鵬が30回目の優勝を達成したときである。

付け加えるならば、昭和44年三月場初日所まで45連
勝した。46連勝目は世紀の大誤審でストップさせら
れた。行司は大鵬にうちわをあげた。控えの高鉄山
も対戦相手の戸田の足が出たといっていた。世紀の
大誤審で連勝をストップされた大鵬は数日後休場し
てしまった。

<大鵬>

さて大鵬の晩年には奇妙な記録が残っている。昭和
45年七月場所は途中休場して引退騒動を起こしてい
る。結局は引退しないで再起することになった。九
月場所出場したが、5日目角界のプリンス貴ノ花に
敗れている。貴ノ花は初の殊勲章を受章している。

次の十一月場所はD51黒姫山に敗れている。5日目
のことであった。黒姫山は今幕下の黒姫山の祖父で
ある。

昭和46年三月場所5日目、大鵬はまたも敗れた。相
手は土の香りのする力士大受であった。ここまでく
るとさすがにただ事でないと思われた。大鵬魔の5
日目という見方が出てきた。

<貴ノ花>

それは大鵬最後の場所にも襲ってきた。五月場所5
日目の対戦相手は貴ノ花であった。一月場所死闘を
繰り広げた両力士。つま先立って貴ノ花の吊りを残
した大鵬が貴ノ花にかぶさった。最後は貴ノ花が敗
れてケガで休場した。それ以来の対戦であった。

真っ向から力の限りらぶつかった両者だが、大鵬は
向こう正面に崩れた。そしてこれが最後の一番にな
った。こうして大鵬の魔の5日目も終焉を迎えた。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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