大相撲

理事長の任期1

現在の理事長は元北勝海の八角である。理事長の座
を脅かす者は見当たらない。昨年は還暦の土俵入り
を披露したが、定年まで務めると12年半の任期にな
る。もっとも定年前に身を引くこともあり得る。

<八角還暦の土俵入り>

理事長は東西合併を受けて始まった。明治19年から
大正末まで、取締が最高位だった。初期は陸軍主計
中将がついた。そのあと空白期があった。

親方で最初に理事長になったのは元常ノ花の藤島の
ちの出羽海である。ところが、出羽海は思いがけな
いことで理事長の座を去っている。相撲協会は財団
法人にもかかわらず、営利団体化しているのはおか
しいと国会の予算委員会で問題となった。

問題はそれだけではなかった。
1.力士の生活が保障されていない
2.特定の幹部が経営している茶屋は搾取をむさぼ
り、大衆を締め出している
協会は文部省と協議し、8つの改革案をまとめた。
武蔵川理事(元出羽ノ花)が改革案を説明した。
協会代表として衆院文教委員会で力士出身とは思
えない堂々たる答弁をした。

<常ノ花のブロマイド>

だが、元常ノ花の出羽海は動揺し、事態を深刻に受
け止めていた。国技館取締応接室にガスを充満させ、
鎧通しで腹・胸・首を切って自殺をはかったのであ
る。なんとか一命を取り留めたものの、理事長を続
けるわけにはいかない事態に陥った。理事長退任後
は相談役となった。任期は約13年2カ月であった。

 

当サイトはブログランキングに参加しています、どうか応援をお願いいたします!

【ブログランキング】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック


【日本ブログ村】で、土俵の目撃者を応援して頂けるかたは↓をクリック
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村
  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

-大相撲

Copyright© 土俵の目撃者(毎日更新) , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.