大鵬の誤審黒星というと連勝記録を45で止められた戸田戦が真っ先
に思い浮かぶ。このときは行司のうちわは大鵬。物言いがついて審
判5人が戸田の勝ちを主張した。昭和44年三月場所2日目のことだ
った。

実は目立たないがまだある。昭和35年一月場所、大鵬の出現はまさ
に衝撃だった。若さ(19歳)と勢いで初日から11連勝。突っ走った。
関脇・小結などに当てられ、12勝3敗となったものの敢闘賞に輝い
た。
翌場所上位に初挑戦したが、7勝8敗と1点負け越した。大関若羽
黒、関脇安念山には勝った。横綱栃錦とは最初で最後の対戦で敗れ
た。「大鵬、柏戸と言ってもあの頃は子供だもの」と栃錦は語って
いる。
ただ、福田山戦は誤審で負けにされた可能性が大きい。当時の専門
誌を見ても福田山の肘が早く落ちていた。そのため負け越す結果に
陥った。痛恨の誤審黒星となった。

勝ち越していたらどうなったか。新入幕から27場所連続勝ち越して
いたことになる。大鵬の初負け越しは横綱初休場の場所であったこ
とになる。昭和39年七月場所である。
ビデオ判定が導入される以前、審判(検査役)の物言いは一門の利
益でつけられるのが当然だった。今の大相撲ファンは信じられない
かもしれないが、それが常識だった。昭和32年九月場所●栃錦対北
の洋戦の誤審は有名である。大鵬は2度も大記録を逃していた。