大相撲

好敵手差がつくとき 大鵬・柏戸

2017年2月16日

今、将来は大関、末は横綱という候補は、
正直あげにくい。大関まではいけるけれど、
横綱となると躊躇するのが本当のところで
ある。ところが、大鵬、柏戸は関脇以下の
ころから将来の横綱間違いなしというほどの
逸材であった。若くて、強くてなおかつ柔と
剛の対照が魅力であった。

両力士は最初の対戦から話題になった。新入
幕大鵬は初日から11連勝。大鵬の止め役とし
て小結柏戸が対戦相手に選ばれた。この一番
は熱戦になったが、柏戸に一日の長があり、
最後に大鵬を下手出し投げでくだした。
柏戸
<柏戸>

大関は柏戸が先だったが、優勝は大鵬が早か
った。そして横綱は同日だった。しかし、
大鵬が連続優勝したのに対し、柏戸は、10勝、
11勝、12勝と成績が甘かった。柏戸を横綱に
上げた理由は大関時代の勝率が大鵬と遜色が
ないというものだった。

しかし、柏戸と大鵬は優勝回数において差が
つき始めた。横綱10場所目、大鵬が大関から
横綱にかけて4連覇、横綱で6連覇を達成し、
通算11回目の優勝をしているのに対し、柏戸
は大関時代の1回しか優勝をしていなかった。
その差10回である。
大鵬W2
<大鵬>
 
優勝回数の差は取り口からくるものであった。
柏戸は前褌を取って走る相撲であった。相手
によって相撲を変えるタイプではなかった。
そのままの相撲を相手にぶつけていく。柏戸
の相撲は一番一番が独立しているのである。
それに対し大鵬は守りの相撲であり、同時に
15日間を計算して優勝へもっていく相撲だった。

かくして柏鵬時代は実質的に大鵬時代となった。

大相撲との日々(北出清吾郎著)を愛読。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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