MENU

知られざる?横綱の土俵入り

日本出身の横綱稀勢の里の誕生は、ブーム
ともいえる大きな反響をおよぼしている。
稀勢の里はこれまで3度土俵入りを行って
いる。明治神宮、トーナメント大会、福祉
大相撲である。稀勢の里の横綱の土俵入り
の型は雲竜型と紹介するメディアがあった。
せり上がるとき、右手を伸ばし左手を体に
そえる形の土俵入りである。
一方白鵬、日馬富士の土俵入りはせり上がる
とき、両手を広げる型である。こちらは不知
火型と呼ばれている。この名称を相撲ファン
のなかでも、信じて疑わない方もいると思う
が、ことはそう簡単ではない。どういうこと
か。
太刀山
<太刀山のパネル>
 
まず、雲竜、不知火(光)がどんな土俵入り
をしたか、わかっていない。わかってないが、
非常に美しかったと伝えられてきた。それな
のになぜ、現在雲竜型・不知火型がまかり
通っているのか。それは相撲評論家の彦山
光三氏に原因がある。彼は横綱羽黒山のとき
に不知火型を言い出したことから始まる。
彦山光三氏の根拠は以下である。歌川国貞が
描いた不知火(諾)の錦絵に両手を広げた
姿があることによるものである。しかし、
その絵はせり上がってから両手を広げたとは、
言い切れない。
横綱 二代目梅ヶ谷
<2代目梅ヶ谷のブロマイド>
 
明治の角聖常陸山は土俵中央で2度拍手を
した後、両手を広げている。常陸山の土俵
入りはYou Tubeで見ることができる。興味の
ある方はぜひご覧いただきたい。
両手を広げる形は大正の大横綱太刀山が行っ
ている。太刀山は「わしは不器用なので、
庄之助に教わった雲龍の型からとった」と
語っている。また木村瀬平が「(2代目)
梅ヶ谷の土俵入りは不知火にのっとったもの
である」という趣旨のことを話している。
さらに、明治2年に撮影された鬼面山、不知
火の写真では、左側の不知火が左手をそえ、
鬼面山が両手を広げている。どうも今日の
雲竜型と不知火型は逆の可能性がある。しかし、
当時の新聞記事に逆の表記もあり、どうも
はっきり言い切れない要素がある。
鬼面山不知火A
<朝日新聞の記事>

せり上がりのとき、左手を体にそえる型は
2代目梅ヶ谷が始めているので梅ヶ谷型、
せり上がるとき両手を広げる型を太刀山型と
いうのが最も適切ではないだろうか。それ
以降どちらかの型しか行われていない。
また、のばした手は攻撃を、体にそえた左手
は守りを表す。だから、太刀山型の土俵入り
は攻撃のみを表している。ということをまこ
としやかに言う方がいる。しかし、実は、
これが言われ出したのは、そんなに古いこと
ではない。
元凶は、元笠置山の秀ノ山にある。彼が戦時
中にある人に聞かれ、言い出したことが始ま
りである。したがって、まったく根拠のない
話である。一言でいえば作り話である。
日本史は改訂が進んでいる。だが相撲史が、
何ら変わらないのは、極めておかしな図式で
ある。

春一番で物置が倒れたことを思い出した。

興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑            

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次