大相撲

稀勢の里、牛久で熱狂的パレード

2017年2月18日

2月18日、稀勢の里の故郷牛久でパレードが
行われるとあって早々と出かけた。牛久まで
は遠い道のりだが、9時前には着いた。駅前
には稀勢の里の手形の記念碑がりっぱに飾ら
れていた。横断幕やステッカー、横綱の土俵
入りの写真などで駅も町も祝賀ムードにあふ
れていた。
170218稀勢牛久パレード 007
<稀勢の里の石碑>
 
パレードは駅前のかなり長いけやき通りから
スタートする。しかし、この通りは樹木が
多く、障害になると判断して先に進むことに
した。けやき通りからやや細い道に入るが、
ここではパレードを見ることはできない。
おまけにここは普通のスピードで車が走る
とのことだった。そこを通り抜けると、ぶど
う園通りに入り、ゴールの牛久市役所は近く
なる。
170218稀勢牛久パレード 059
<ぶどう園通りに入ってきた稀勢の里>
 
牛久市役所前に更地があり、そこで稀勢の里
が来るのを待つことにした。パレードは午後
1時、駅前からスタートである。時間が早い
せいか、まだ人が多いという印象ではない。
早くから来ている方は椅子を用意して待って
いた。とにかくひたすらその時を待つしか
ない。11時には交通規制が行われ、車の通行
が禁止された。
170218稀勢牛久パレード 052
<ファンに手を振る稀勢の里>
 
紙の旗が、いくつか配られる。日刊スポーツ
の旗の裏は、稀勢の里の記事になっている。
ほかに日刊スポーツと毎日新聞の稀勢の里の
特集の特別版が配られた。時間とともに人が
あふれてきた。場所によっては歩道が狭すぎ
るせいか、混み具合が目立つ。10分前、警察
官から注意が伝えられる。
170218稀勢牛久パレード 026
<市役所へ向かう通りにさしかかったパレード>
 
待つこと4時間以上。来た、ついに来た。
パトカーに先導され、稀勢の里が笑顔で手を
ふっている姿が目に入ってきた。だんだん
大きな姿となって迫ってくる。人々の歓喜は
最高潮に達する。小旗がふられる。おめで
とうの声が飛ぶ。長時間待ったかいがあった
瞬間であった。稀勢の里はいい顔している。
やがて車は市役所の中へと消えていった。
170218稀勢牛久パレード 099
<市民栄誉賞を受ける稀勢の里>
 
稀勢の里は市役所の前で手をふって、建物の
中に入った。そして高い箇所につくられた
舞台で市民栄誉賞に関するいくつかの表彰
を受けた。会場はまるで人の海である。まっ
たく動けない、一歩も進めない状況である。
稀勢の里に熱狂した1日であった。式が終わ
ると集まった方は静かに家路へと向かい、
会場をあとにした。

さすがに今日は疲れました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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