大相撲

稀勢の里、横綱初土俵のカギは稽古

2017年2月19日

18日牛久市で行われた稀勢の里のパレードに、
5万が人集まったという。とてつもない人数
である。筆者が常磐線の牛久駅で下車した
とき、明らかに稀勢の里のパレードが目的と
ひと目でわかる方を何人も見かけた。明治
神宮の1万8千人といい、久々の日本人横綱
とはいえ、稀勢の里の人集め能力には驚く
ほかない。
170218稀勢牛久パレード 050
<牛久での優勝パレードに5万人が集まった>
 
これで稀勢の里の行事はすべて終わった。
稀勢の里は遅れて優勝したから、琴将菊、
豪栄道がどうして優勝の翌場所1ケタ勝利に
終わったか、彼らの失敗から学んでいるはず。
今後は後援会や関係者の祝宴にひっぱられ
ないよう、心がけていただきたい。
170218稀勢牛久パレード 069
<稀勢の里の行くところ人が集まる>
 
あとは三月場所に向けて稽古に専念するだけ
である。一月場所後のため、幸い巡業はない。
巡業は1日ごとに移動するカタチが多いだけ
に、負担が大きい。大勢のため、稽古時間も
限られてくる。それだけに腰をすえて稽古に
打ち込める。本来なら横綱のいる部屋に出稽
古に来るのが本当だが、この慣習が崩れて
いるのはなげかわしい。柏戸は両国から横綱
若乃花のいる阿佐ヶ谷まで出稽古にいった
ものである。
日刊
<牛久で配布された日刊スポーツの稀勢の里特集>
 
ただ、三月場所は季節の変わり目のため、
体調維持が難しい。三寒四温だけではない。
現代は花粉症もある。「荒れる春場所」と
いわれるのもこの辺りにある。もっとも一月
場所は、これ以上ないくらい荒れすぎたので
、三月場所は土俵をしめていたただきたい。

昨年の三月場所、稀勢の里は13勝2敗で、
白鵬と優勝を争った。ここから好成績がスタ
ートした。横綱への足固めを踏み出したゲン
のいい場所といえる。ただ、新横綱はなに
ぶん初めてのことが多く、優勝はわずか7例
しかない。最多優勝を誇る白鵬でさえ、11勝
で終わっている。稀勢の里はとにかく稽古に
集中して自信をつけることである。あれだけ
稽古したのだから負けるはずがない、と。
160429幕内稽古総見 203
<三月場所のカギは稽古次第>
 
三月場所は好むと好まざるとに関らず、稀勢
の里は最大の注目になる。変身した稀勢の里
の雄姿を再び大阪で見せていただきたい。

牛久の稀勢の里のパレードの興奮が
まだ残っています。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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