大関昇進スピード ランキング|初土俵から新大関までの所要場所数、最速は大の里の9場所・付出を除けば安青錦の14場所(年6場所制以降の59人)

年6場所が確立した1958年以降に初土俵を踏んだ大関・横綱59人で、初土俵から新大関までにかかった場所数(所要場所数)がいちばん少ないのは、大の里の9場所である。2023年5月場所に幕下10枚目格付出で初土俵を踏み、2024年11月場所で新大関になった。この59人のうち付出でない力士では、安青錦の14場所が最も少ない。59人の平均は44.8場所で、最も長かったのは霧島 一博の91場所だった。

場所数は、日本相撲協会の人物ページにある「初土俵」と「新大関」の場所から当サイトが数えた。初土俵の場所を1場所目とし、新大関の1つ前の場所(昇進を決めた場所)までを数える。休場した場所も1場所と数える。

出典: 日本相撲協会「歴代大関」「歴代横綱」の一覧と各力士の人物ページ(2026年9月26日取得)。場所数・平均・順位は当サイトの計算。

日本相撲協会の「歴代大関」(昭和以降)に載っているのは53人。この一覧には、大関から横綱に上がった力士は入っていない(大の里・豊昇龍・照ノ富士も「歴代横綱」の側に載る)。そこで当サイトは、歴代大関の53人に、歴代横綱のうち昭和以降に新大関になった44人(第32代の玉錦から第75代の大の里まで)を加えた97人で、大関に上がるまでの速さを比べた。97人とも協会の人物ページで初土俵と新大関の場所が読めたので、欠けた力士はいない。

場所数を数えたのは、年6場所が確立した1958年(昭和33年)一月場所以降に初土俵を踏んだ59人である。それより前は年によって場所数が違い、協会の資料だけでは各年に開かれた場所を数えきれない。残る38人は下の別表で、初土俵から新大関までの年月を示した。昇進したときの年齢は最年少大関ランキングに、昇進を決めた3場所の成績は大関昇進の条件と成績の目安にまとめてある。

目次

大関昇進スピード ランキング|初土俵から新大関までの所要場所数(59人)

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所要場所数の少ない順に並べた。同じ場所数の力士は同じ順位にし、初土俵の早い順に置いた。対象は1958年一月場所以降に初土俵を踏んだ59人(歴代大関35人・横綱24人)。四股名は協会の一覧の表記で、大関に上がったときの四股名と違う力士がいる(たとえば琴櫻 将傑は新大関のとき琴ノ若)。四股名のリンク先は協会の人物ページである。

順位四股名所要場所数初土俵新大関かかった年月付出最高位
1大の里 泰輝9場所2023年5月2024年11月1年6か月幕下10枚目格第75代横綱・現役
2豊山 勝夫12場所1961年3月1963年3月2年幕下10枚目格大関
2雅山 哲士12場所1998年7月2000年7月2年幕下60枚目格大関
4安青錦 新大14場所2023年9月2026年1月2年4か月—大関・現役
5輪島 大士17場所1970年1月1972年11月2年10か月幕下(最下位)第54代横綱
6琴欧洲 勝紀19場所2002年11月2006年1月3年2か月—大関
7出島 武春21場所1996年3月1999年9月3年6か月幕下大関
8朝青龍 明徳22場所1999年1月2002年9月3年8か月—第68代横綱
9照ノ富士 春雄25場所2011年5月(技量審査場所)2015年7月4年2か月—第73代横綱
9朝乃山 広暉25場所2016年3月2020年7月4年4か月三段目100枚目格大関・現役
11曙 太郎26場所1988年3月1992年7月4年4か月—第64代横綱
12武蔵丸 光洋27場所1989年9月1994年3月4年6か月—第67代横綱
13貴景勝 貴信28場所2014年9月2019年5月4年8か月—大関
14小錦 八十吉30場所1982年7月1987年7月5年—大関
14貴乃花 光司30場所1988年3月1993年3月5年—第65代横綱
16朝潮 太郎31場所1978年3月1983年5月5年2か月幕下大関
16白鵬 翔31場所2001年3月2006年5月5年2か月—第69代横綱
18若乃花 勝33場所1988年3月1993年9月5年6か月—第66代横綱
18豊昇龍 智勝33場所2018年1月2023年9月5年8か月—第74代横綱・現役
20把瑠都 凱斗36場所2004年5月2010年5月6年—大関
21千代大海 龍二38場所1992年11月1999年3月6年4か月—大関
22正代 直也39場所2014年3月2020年11月6年8か月—大関・現役
23双羽黒 光司41場所1979年3月1986年1月6年10か月—第60代横綱
23旭富士 正也41場所1981年1月1987年11月6年10か月—第63代横綱
23御嶽海 久司41場所2015年3月2022年3月7年幕下10枚目格大関・現役
26貴ノ浪 貞博42場所1987年3月1994年3月7年—大関
27北の湖 敏満43場所1967年1月1974年3月7年2か月—第55代横綱
27栃東 大裕43場所1994年11月2002年1月7年2か月—大関
29北天佑 勝彦44場所1976年3月1983年7月7年4か月—大関
29武双山 正士44場所1993年1月2000年5月7年4か月幕下大関
31貴ノ花 利彰45場所1965年5月1972年11月7年6か月—大関
31大乃国 康45場所1978年3月1985年9月7年6か月—第62代横綱
31北勝海 信芳45場所1979年3月1986年9月7年6か月—第61代横綱
34玉の海 正洋46場所1959年3月1966年11月7年8か月—第51代横綱
35若嶋津 六夫47場所1975年3月1983年1月7年10か月—大関
36日馬富士 公平48場所2001年1月2009年1月8年—第70代横綱
36霧島 鐵力48場所2015年5月2023年7月8年2か月—大関・現役
38琴櫻 将傑49場所2015年11月2024年3月8年4か月—大関・現役
39大受 久晃51場所1965年3月1973年9月8年6か月—大関
39魁傑 將晃51場所1966年9月1975年3月8年6か月—大関
39琴光喜 啓司51場所1999年3月2007年9月8年6か月確認できず大関
42若乃花 幹士52場所1968年7月1977年3月8年8か月—第56代横綱
43琴櫻 傑将53場所1959年1月1967年11月8年10か月—第53代横綱
44豪栄道 豪太郎57場所2005年1月2014年9月9年8か月—大関
45前の山 太郎58場所1961年1月1970年9月9年8か月—大関
45琴奨菊 和弘58場所2002年1月2011年11月9年10か月—大関
45稀勢の里 寛58場所2002年3月2012年1月9年10か月—第72代横綱
48琴風 豪規62場所1971年7月1981年11月10年4か月—大関
48鶴竜 力三郎62場所2001年11月2012年5月10年6か月—第71代横綱
50千代の富士 貢63場所1970年9月1981年3月10年6か月—第58代横綱
51高安 晃73場所2005年3月2017年7月12年4か月—大関・現役
51栃ノ心 剛史73場所2006年3月2018年7月12年4か月—大関
53大麒麟 將能75場所1958年5月1970年11月12年6か月—大関
53三重ノ海 剛司75場所1963年7月1976年1月12年6か月—第57代横綱
53魁皇 博之75場所1988年3月2000年9月12年6か月—大関
56旭國 斗雄77場所1963年7月1976年5月12年10か月—大関
57増位山 太志郎79場所1967年1月1980年3月13年2か月—大関
58隆の里 俊英82場所1968年7月1982年3月13年8か月—第59代横綱
59霧島 一博91場所1975年3月1990年5月15年2か月—大関
初土俵から新大関までの所要場所数(1958年以降に初土俵を踏んだ59人)。初土俵と新大関の場所は日本相撲協会の人物ページ(2026年9月26日取得)の番付推移を西暦に直したもの。所要場所数・かかった年月・順位は当サイトが数えた。「現役」は令和八年九月場所の番付に載っている力士

付出の欄:大の里・御嶽海・朝乃山は、協会の力士プロフィール「過去の星取表」の初土俵の場所に「幕下十枚目格付出」「三段目百枚目格付出」と載っている。豊山・輪島・雅山・出島は田口 通廣の記述による。武双山・朝潮は、田口の記述(デビューから幕下・幕下2場所)と協会の番付推移を合わせた当サイトの判断である(どれも数え方と検算に原文を引いた)。琴光喜は田口が学生出身と書いているが、初土俵が付出だったかを確かめる記述が見つからなかったので「確認できず」とした。「—」は付出の記録が見つからなかった力士。

最速は大の里の9場所、付出を除けば安青錦の14場所(59人)

新大関の大の里
新大関の大の里。2024年9月25日撮影(元の写真ファイル名の日付による)。田口の新大関大の里論に「新大関大の里」として載せた写真。写真:田口 通廣(撮影)

大の里は2023年5月場所に幕下10枚目格付出で初土俵を踏んだ。新十両は2023年9月、新入幕は2024年1月、新三役は2024年5月で、2024年11月場所に新大関になった(協会の人物ページの番付推移)。初土俵から9場所、年月にして1年6か月で、表の59人でいちばん少ない。2位は豊山・雅山の12場所で、2人とも付出だった。

田口 通廣は新大関大の里論(2024年9月)で「幕下付出10枚目から9場所を、入幕してから5場所を要しての大関昇進だった。ともにスピード出世である。」と書いた。付出の場所から数えた9場所は、この表の数え方と同じになる。

安青錦
安青錦。2025年5月21日、五月場所十一日目の撮影(元の写真ファイル名による)。田口の2026年はどうなる 年間最多勝に「安青錦」として載せた写真。写真:田口 通廣(撮影)

表の59人のうち、付出でない力士でいちばん少ないのは安青錦の14場所。2023年9月場所に初土俵を踏み、協会の過去の星取表で最初に載るのは翌2023年11月場所の西序ノ口十四枚目である(前相撲の場所は星取表に載らない)。新十両2024年11月、新入幕2025年3月、新三役2025年9月をへて、2026年1月場所に新大関になった。年月にして2年4か月。

田口は新大関安青錦論(2025年11月)で「序ノ口から所要13場所での快挙である。」と書いた。田口は序ノ口の場所から数えているので、前相撲の場所(初土俵)から数えるこの表より1少ない。

付出は大関への近道か|上位5人のうち4人が付出

所要場所数の上位5人(大の里・豊山・雅山・安青錦・輪島)のうち、4人が付出で初土俵を踏んでいる。付出は幕下(朝乃山は三段目)の番付から始まるので、序ノ口や序二段を通らない。付出と確かめた9人の平均は23.6場所、残る50人の平均は48.7場所だった。残る50人には、付出だったか確かめられなかった琴光喜が入っている。平均はいずれも当サイトの計算である。

ただ、付出なら速いとは限らない。御嶽海は41場所、武双山は44場所かかった。付出と確かめた力士を除いて少ない順に並べると、安青錦14場所・琴欧洲19場所・朝青龍22場所・照ノ富士25場所と続く。

表の59人のうち、のちに横綱に上がった24人の平均は42.0場所、協会の「歴代大関」に載る(横綱に上がっていない)35人は46.8場所だった。59人全体の平均は44.8場所、真ん中の値(中央値)は44場所。20場所未満で大関に上がったのは6人(大の里・豊山・雅山・安青錦・輪島・琴欧洲)である。どれも当サイトが表から計算した。

大関まで時間がかかった力士|最長は霧島一博の91場所

いちばん時間がかかったのは霧島 一博で、1975年3月場所の初土俵から1990年5月場所の新大関まで91場所、年月にして15年2か月だった。表の下のほうを長い順に見ると、霧島 一博(91場所)、隆の里 俊英(82場所)、増位山 太志郎(79場所)、旭國 斗雄(77場所)、大麒麟 將能(75場所)、三重ノ海 剛司(75場所)、魁皇 博之(75場所)となる(75場所は3人が並ぶ)。

のちに横綱になった力士でいちばん長いのは隆の里 俊英の82場所(1968年7月→1982年3月)。現役の9人でいちばん長いのは高安の73場所(2005年3月→2017年7月)である。横綱に上がった力士が、その前に大関を何場所務めたかは大関在位場所数ランキングに並べた。

田口 通廣が書いてきた「昇進の速さ」|数え方の起点に注意

当サイトの田口 通廣(相撲記者)は、大関に上がる速さを何度も書いている。ただ、どこから数えるかは記事によって違う。ここに引いた原文と表の数字を並べると、違いは数え始めと数え終わりの取り方だけだと分かる。

序ノ口から数える
最年少大関ランキング(2020年4月)に「朝青龍は序ノ口から21場所で大関に昇進している。」とある。朝青龍は1999年1月場所の初土俵から数えるこの表では22場所になる。安青錦の「序ノ口から所要13場所」も同じ起点で、表では14場所。

初土俵から「何場所目」で数える
2014年はどうなる 真価問われる遠藤(2014年1月)の表で、田口は大関になった場所を輪島は「18場所目」、豊山は「13場所目」とし、「※輪島は幕下付け出し(最下位)、遠藤、豊山は幕下付け出し10枚目格」と添えている。新大関の場所そのものを数えに入れる形で、この表の所要場所数(輪島17・豊山12)に1を足した数と一致する。

新入幕から数える
時津風部屋が生んだ1横綱4大関 下(2022年6月)は豊山について「幕下10枚目付出しでスタートすると4場所目に十両昇進。翌場所2人目の十両15戦全勝を成し遂げた。入幕7場所で大関昇進を決めた。」と書く。新大関照ノ富士の記憶・記録(2015年5月)には「照ノ富士は入幕後所要8場所で大関昇進を決めた。これは驚異的なスピードである。」とある。照ノ富士を初土俵から数えると、この表では25場所になる。

この表は起点を初土俵にそろえ、前相撲で入った力士も付出で入った力士も同じ物差しで並べた。新入幕から先の速さは、田口の新入幕から三役までの所要場所数と横綱昇進 最速ランキングが扱っている。新入幕までの速さは現代幕内力士の新入幕までの所要場所数番付にある。

1958年より前に初土俵を踏んだ38人|場所数ではなく年月で比べる

年6場所になったのは1958年から。田口は知られざる名古屋本場所で「戦後の混乱期を経て徐々に場所数が年3場所、4場所、5場所と増加していく中、1958(昭和33)年名古屋で本場所開催が決定した。これにより現在の年6場所体制が確立した。」と書いている。それより前は年ごとに開かれた場所の数が違い、協会の資料だけでは各年の場所を数えきれない。そこでこの38人(歴代大関18人・横綱20人)は場所数を数えず、初土俵の場所の月から新大関の場所の月までの年月を、短い順に並べた。

いちばん短いのは大鵬 幸喜の4年4か月(1956年9月→1961年1月)、いちばん長いのは三根山 隆司の16年4か月だった。上の表と比べるなら、大の里は1年6か月、安青錦は2年4か月である。

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順四股名かかった年月初土俵新大関最高位
1大鵬 幸喜4年4か月1956年9月1961年1月第48代横綱
2羽黒山 政司6年1934年1月1940年1月第36代横綱
2柏戸 剛6年1954年9月1960年9月第47代横綱
4武蔵山 武6年1か月1926年1月1932年2月第33代横綱
5佐田の山 晋松6年4か月1956年1月1962年5月第50代横綱
6栃ノ海 晃嘉6年10か月1955年9月1962年7月第49代横綱
7照國 万蔵7年1935年1月1942年1月第38代横綱
8北葉山 英俊7年2か月1954年5月1961年7月大関
9千代の山 雅信7年9か月1942年1月1949年10月第41代横綱
10朝潮 太郎8年7か月1948年10月1957年5月第46代横綱
11安藝ノ海 節男8年11か月1932年2月1941年1月第37代横綱
12若乃花 幹士9年2か月1946年11月1956年1月第45代横綱
13前田山 英五郎9年4か月1929年1月1938年5月第39代横綱
14汐ノ海 運右衛門9年5か月1938年1月1947年6月大関
15北の富士 勝昭9年8か月1957年1月1966年9月第52代横綱
16双葉山 定次9年10か月1927年3月1937年1月第35代横綱
16東富士 謹一9年10か月1936年1月1945年11月第40代横綱
18常陸岩 英太郎10年1917年5月1927年5月大関
19若羽黒 朋明10年1か月1949年10月1959年11月大関
20栃光 正之10年2か月1952年5月1962年7月大関
21名寄岩 静男10年3か月1932年10月1943年1月大関
22男女ノ川 登三10年4か月1924年1月1934年5月第34代横綱
22鏡里 喜代治10年4か月1941年1月1951年5月第42代横綱
24佐賀ノ花 勝巳10年6か月1934年5月1944年11月大関
25五ッ嶋 名良男10年8か月1930年5月1941年1月大関
26玉錦 三右衛門11年4か月1919年1月1930年5月第32代横綱
26大内山 平吉11年4か月1944年1月1955年5月大関
28能代潟 錦作12年1915年1月1927年1月大関
29琴ヶ濱 貞雄12年6か月1945年11月1958年5月大関
30豊国 福馬12年9か月1915年1月1927年10月大関
31清國 勝雄12年10か月1956年9月1969年7月大関
32吉葉山 潤之輔13年1938年5月1951年5月第43代横綱
33増位山 大志郎14年1935年1月1949年1月大関
33栃錦 清隆14年1939年1月1953年1月第44代横綱
35松登 晟郎15年1941年1月1956年1月大関
36清水川 元吉15年4か月1917年1月1932年5月大関
37鏡岩 善四郎16年1921年1月1937年1月大関
38三根山 隆司16年4か月1937年5月1953年9月大関
1958年より前に初土俵を踏んだ38人。初土俵と新大関の場所は日本相撲協会の人物ページ(2026年9月26日取得)。かかった年月は場所の月どうしの差で、当サイトが計算した。場所数は数えていない

所要場所数の数え方と検算(出典・取得日)

対象
日本相撲協会の「歴代大関」一覧(昭和以降)の53人と、「歴代横綱」一覧のうち昭和以降(1927年一月場所から)に新大関になった44人、合わせて97人。横綱に上がった力士は歴代大関の一覧に載らないので、横綱の一覧から足した。一覧と人物ページは2026年9月26日に取得した。

数え方
各力士の人物ページ(https://www.sumo.or.jp/Yokozuna/profile/<番号>/)の「番付推移」にある初土俵と新大関の場所を使う。初土俵の場所を1場所目とし、新大関の1つ前の場所までに開かれた本場所を数えた。休場した場所も1場所と数える。付出の力士は付出の場所が初土俵になる。「かかった年月」は場所の月どうしの差である。

年6場所と、数えない場所
1958年一月場所からは1・3・5・7・9・11月の年6場所で数えた(田口の知られざる名古屋本場所による)。2011年三月場所は中止で(田口は大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年1で「2011年も白鵬は無類の強さを見せ5場所(三月場所は中止)中4回優勝。」と書く)、2020年五月場所も中止(霧馬山改め霧島の大関への道のり 上に「この年はコロナの流行で五月場所が中止になった。」)なので数えない。2011年五月の技量審査場所は数える。田口は大相撲冬の時代の10大ニュース 2011年2で「しかし成績は本場所と同様に扱い,記録される。」と書き、協会も照ノ富士の初土俵を「平成二十三年五月技量審査場所」と記している。協会の過去の星取表にも、2011年三月場所(高安)と2020年五月場所(2020年より前に初土俵を踏んだ現役7人)の記録は無い。

検算1|協会の生涯戦歴と比べる
同じ数え方で初土俵から引退の場所まで(現役は令和八年九月場所まで)を数え、協会の人物ページの「生涯戦歴(◯場所)」と比べた。59人中55人で一致した。一致しなかった4人は、どれも当サイトの数えが1場所多い。栃東と琴光喜は、協会の大関戦歴の場所数と照らすと、ずれは引退の場所(取組が無かった場所)にあり、新大関より前の数には影響しない。前の山と琴櫻 傑将(第53代横綱)は、ずれの場所を協会の数字から決められなかった。この2人は表の所要場所数が実際より1多い可能性がある。

検算2|現役は場所ごとの記録で数える
現役9人は、協会の力士プロフィール(https://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/<ID>/・2026年9月26日取得)の「過去の星取表」に場所ごとの番付が載っている(前相撲の場所は載らない)。載っている場所を数え、前相撲で入った力士には初土俵の1場所を足すと、8人で表の所要場所数と一致した。高安は星取表が2010年5月場所からで、初土俵の2005年3月場所までさかのぼれないので照合していない。

付出の出典
大の里・御嶽海は協会の過去の星取表の初土俵の場所に「幕下十枚目格付出」、朝乃山は「三段目百枚目格付出」とある。豊山と輪島は田口の学生出身力士比較論に「豊山(前名内田)と御嶽海は幕下10枚目格であるのに対し、輪島は幕下付け出しである。」、輪島の「最下位」は上に引いた2014年はどうなる 真価問われる遠藤による。雅山は三賞多数獲得者たち2に「明治大学を3年で中退し相撲界入りした、幕下60枚目付出で2場所連続優勝によって十両入りした。」。武双山は幕下の連続優勝に「尾曽(のちの武双山)、竹内(のちの雅山)も輪島同様いきなり デビューから2連続幕下優勝を飾っている。」「尾曽は平成5年一月場所・三月場所である。」とあり、協会の初土俵(1993年1月場所)から幕下にいたことになる。朝潮は三賞多数獲得者たち19に「朝潮は近畿大学出身で幕下2場所、十両2場所で突破して入幕した。」とあり、協会の初土俵(1978年3月場所)と新十両(1978年7月場所)のあいだの2場所が幕下だったことになる。出島は三賞多数獲得者たち6に「中央大からタイトルなしで入門した。それでも幕下付け出しで、6場所で新入幕を決めた。」とある。琴光喜は、田口の■夏8日目 遠藤はどこまで出世するかに「学生出身で大関になった力士は豊山、朝潮、武双山、出島、雅山、琴光喜といるが横綱になったのは輪島一人である。」とあるが、初土俵が付出だったかを確かめる記述は見つからなかった。

書いていないこと
昇進したときの年齢(最年少大関ランキングへ)、1958年より前に初土俵を踏んだ力士の場所数、これから大関に上がる力士の予想。

大関昇進スピードについてよくある質問

Q. 大関昇進が最も速かった力士は誰ですか?
年6場所が確立した1958年以降に初土俵を踏んだ力士では、大の里の9場所です(2023年5月場所に幕下10枚目格付出で初土俵→2024年11月場所に新大関)。付出を除くと安青錦の14場所が最も少なくなります。それより前の力士は場所数を数えておらず、初土俵から新大関までの年月では大鵬の4年4か月が最も短い期間です。場所数と年月は、協会の人物ページから当サイトが数えました。

Q. 付出で入った力士は大関に早く上がれますか?
所要場所数の上位5人のうち4人が付出で、付出と確かめた9人の平均は23.6場所、残る50人は48.7場所でした(当サイトの計算)。付出は幕下(または三段目)の番付から始まるので、序ノ口から上がる力士より通る場所が少なくて済みます。ただ御嶽海は41場所、武双山は44場所かかっており、付出なら必ず速いわけではありません。

Q. 大関になるまで最も時間がかかったのは誰ですか?
表の59人では霧島 一博の91場所(15年2か月)です。のちに横綱になった力士では隆の里 俊英の82場所が最も長く、1958年より前の力士では三根山 隆司の16年4か月が最も長い期間でした。場所数と年月は、協会の人物ページから当サイトが数えました。

Q. 大関になるまでの平均は何場所ですか?
1958年以降に初土俵を踏んだ59人の平均は44.8場所、中央値は44場所です。のちに横綱になった24人は平均42.0場所、横綱に上がっていない35人は平均46.8場所でした。どれも当サイトが協会の人物ページから数えた値で、協会が発表している数字ではありません。

Q. 大関に昇進する条件は何ですか?
何勝すれば大関に上がるという成績の基準は、当サイトが協会の公開ページを探した範囲では見つかりませんでした。目安とされる「直近3場所で33勝」と、歴代の大関が昇進を決めた3場所の成績は大関昇進の条件と成績の目安にまとめています。大関から落ちる条件は大関の降格・陥落の条件にあります。

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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