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三賞多数獲得者たち6

久々にこのテーマを展開します。遠ざかっていたのは理由がありま
す。繊細かつエネルギーを要するテーマのため猛暑のなかでは酷な
作業になる事情があります。そうもいっていられずやり通しますの
で宜しくお願いします。

■三賞獲得10回

魁傑 殊2敢7技1
魁傑は日大中退だが、やっていたスポーツは相撲ではない。柔道で
あった。入門は花籠(元大ノ海)部屋だった。花籠部屋では輪島が
話題をさらっていた。

<魁傑>

魁傑が注目を集めたのは昭和47年三月場所であった。横綱・大関を
倒して優勝争いをしたのだ。殊勲賞、敢闘賞を受賞した。3年連続
三賞を受賞した。優勝1、殊勲2、敢闘3、技能1を獲得して大関
に昇進した。

ところが、大関はわずか5場所であった。それでも魁傑の奮闘は続
いた。7場所間で優勝1回敢闘賞4回受賞して大関に復帰した。し
かし、大関はまたも短命で終わった。2度目の大瀬降格後、8場所
務め引退した。

出羽の花 殊1敢5技4
学生出身。日大で学生横綱の実績を引き下げて幕下付け出しでスタ
ートした。しかし、入幕まで3年4場所かかった。入幕5場所で敢
闘賞を受賞。1年後の昭和54年七月場所で2回目の敢闘賞を獲得し
ている。その後2年4場所三賞とは無縁だった。

<出羽の花のブロマイド>

昭和57年三月場所新関脇で殊勲・技能とダブル受賞した。横綱北の
湖・2代目若乃花に勝利した。さらに翌場所も技能賞を獲得してい
る。この後毎年3年間三賞に輝いている。

技能賞は4回受賞となった。両まわしをとっての出し投げから小股
救いあるいは寄りを得意とした。2年3場所後、昭和62年七月場所
が最後の三賞となった。敢闘賞だった。

小錦 殊4敢5技1
前相撲から2年で入幕したスピード出世。入幕2場所目昭和59年九
月場所、2横綱1大関を倒して優勝争いをした。巨体による旋風は
黒船来襲と言われた。

<小錦>

小錦の勢いは止まらず、昭和60年敢闘賞を2回受賞している。昭和
61年は殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞1回獲得している。昭和62
年は殊勲賞、敢闘賞に輝いて五月場所後に大関に昇進した。入幕か
ら大関直前の場所まで2年5場所で10回受賞した。

大関時代は3回優勝し、横綱に迫った時期があった。ただ、平成6
年一月場所、大関から降格した。それから4年関脇以下を務めたが、
三賞を受賞することはなく、引退した。

出島 殊3敢4技3
中央大からタイトルなしで入門した。それでも幕下付け出しで、6
場所で新入幕を決めた。平成9年三月場所、新入幕の場所でいきな
り敢闘賞・技能賞を受賞した。さらに九月場所、殊勲賞と技能賞に
輝いている。優勝貴乃花に勝っている。

<出島>

驚異の新人出島は翌年の平成10年敢闘賞と殊勲賞を獲得している。
殊勲賞は横綱曙・3代目若乃花を破ってのものだった。さらに平成
11年七月場所は横綱曙を優勝決定戦で勝って優勝した。三賞は殊勲・
敢闘・技能をトリプル受賞している。場所後出島は大関に昇進して
いる。

出島は大関在位12場所でその座を明け渡した。その後8年関脇以下
で土俵にあがった。その間1回だけ敢闘賞を受賞した。それが最後
の三賞になった。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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