大相撲

大関降格後事情

大関の座を開け渡した霧島が復帰にむけて始動して
いる。首の痛みが引き、優勝を目指すつもりで10勝
以上をあげるという。大関から落ちた直後の場所、
10勝以上で復帰できる規定によるものである。

6場所制とともに大関の陥落規定は2場所連続負け
越しから3場所連続負け越しとなった。しかし、こ
れでは甘すぎると2場所連続負け越しに規定が変わ
った。このとき付帯条件として降格直後10勝以上で
復帰が規定された。昭和44年七月場所から施行され
た。大関降格者をタイプ別にみていこう。

<三重ノ海>

■大関復帰後横綱に昇進
三重ノ海は復帰制度第1号成功者であった。大関と
してはさほどぱっとした成績を残しているわけでは
なかった。それがある日突然強さを発揮し、横綱に
まで上り詰めた。

■2度大関に復帰
栃東は大関から2度降格したが、2度とも復帰に成
功している。こんな例は栃東だけである。

<栃東>

■1度復帰しその後ずっと大関
武双山は新大関の場所全休、翌場所4勝であった。
わずか2場所で大関の座を明け渡した。10勝5敗で
大関に復帰して最後まで務めた。現役の貴景勝は現
時点ではここに入る。

■ゼロから大関復帰
昭和44年七月場所以降、ゼロから大関に復帰したの
は魁傑と照ノ富士である。クリーン魁傑は、休場は
試合放棄として出場し続けた。窮屈な相撲で、大関
はとして短命であった。照ノ富士は説明無用。

<魁傑>

■1度復帰し、2度目は失敗
貴ノ浪は大関復帰直後の場所と翌場所負け越し再び
大関を降格した。1度目の降格と2度目の降格の間
は2場所しかなかった。栃ノ心は大関になると不成
績になる不思議な力士であった。1度は10勝5敗で
大関に復帰したもののすぐに降格した。

■大関降格時引退が近かった
千代大海は10勝以上かける場所で引退している。引
退の時期に関して師匠九重(元千代の富士)と行き
違いがあったのか。千代大海としてはもっと早く引
退したかったように映った。

<千代大海>

琴風は大関降格後、2場所連続全休した。翌場所1
勝もできずに途中引退している。琴風は大関2ケタ
勝利連続8場所の記録をもっている。琴欧洲は関脇
陥落後2場所目に引退している。

■大関降格後しばらく相撲を取った
前の山
大受
小錦
霧島
出島
雅山
琴奨菊
高安
朝乃山(出場停止による降格)
正代
御嶽海

さて霧島は大関降格後どういう成績をあげられるか。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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