大相撲

新大関照ノ富士の記憶・記録

2015年5月28日

照ノ富士の大関昇進の日は例年よりはるかに暑い中だった。
しかも、それだけではなかった。協会の使者が通常より
遅く、なかなか姿を現さないのである。伊勢ヶ濱親方(元
旭富士)はとっくに車で協会から戻っているのにも関らず。
洋装から和装へ着替える時間は必要だが、それにしても
遅い。太陽は容赦なく照りつける。
150527照ノ富士大関 008
<使者を待つ照ノ富士
向こう側は誉富士>
 
来るときには来るだろうという心境で待つともなく、
時間を過ごしている中、10時前ようやく使者が乗って
いる黒塗りの車が到着した。通常一門の理事が使者
に立つ慣例から友綱(元魁輝)もう一人は桐山(元
黒瀬川)である。
150527照ノ富士大関 047
<使者の車>
 
ところで照ノ富士の最初の師匠は間垣(元2代目若乃花)
である。体調がすぐれない間垣が部屋を閉じるにあたり、
通常なら一門の部屋に弟子を託すのだが、間垣は同郷
青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に託したのである。2013年
三月場所後のことである。このとき移籍したのが幕下
若三勝、三段目の若青葉、駿馬である。人の運命とは
わからないものである。若三勝の四股名は2013年九月
場所の十両昇進を機会に照ノ富士に改めた。

若三勝時代は13場所64勝27敗だからけっこうスピード出世
である。しかし、めきめき強くなったのは十両に昇進して
からである。12勝優勝、8勝、12勝とわずか3場所で
通過した。ちなみに逸ノ城は2場所である。だが、照ノ
富士にあって逸ノ城にないもの、それは豊富な稽古相手
である。部屋には横綱日馬富士・宝富士・安美錦・誉富士
とこと欠かない。
150527照ノ富士大関 177
<大関昇進の日の照ノ富士>
 
照ノ富士は入幕後所要8場所で大関昇進を決めた。これは
驚異的なスピードである。1958(昭和33)年以降年6場所
となってから柏戸の12場所、大鵬の6場所、輪島11場所、
北の湖13場所、千代の富士19場所、貴乃花17場所、朝青龍
10場所、白鵬12場所と比較すると照ノ富士がいかにすばら
しいかがわかる。

照ノ富士は横綱になれる大関である。何場所で横綱に
昇進するか、興味は尽きない。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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