照ノ富士は2015年、入幕から8場所で大関に昇進した。最初の師匠は間垣(元2代目若乃花)で、2013年三月場所後に間垣が部屋を閉じる際、同郷青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に託されて移籍した。若三勝から照ノ富士に改名したのは2013年九月場所の十両昇進のときで、その後は第73代横綱になっている。
※相撲記者・田口 通廣が大関昇進の日の2015年5月に書いた記事。その後の横綱昇進と今の年寄名は日本相撲協会の歴代横綱の一覧と年寄プロフィール(2026年9月27日確認)による。
大関昇進の日|使者は一門の理事
照ノ富士の大関昇進の日は、例年よりはるかに暑かった。しかも、協会の使者が通常より遅く、なかなか姿を現さない。伊勢ヶ濱親方(元旭富士)はとっくに車で協会から戻っていたにもかかわらずである。

洋装から和装へ着替える時間は必要だが、それにしても遅い。10時前、ようやく使者を乗せた黒塗りの車が到着した。
通常、一門の理事が使者に立つ慣例から、使者は友綱(元魁輝)と桐山(元黒瀬川)だった。

最初の師匠は間垣|伊勢ヶ濱部屋への移籍
照ノ富士の最初の師匠は間垣(元2代目若乃花)である。体調がすぐれない間垣が部屋を閉じるにあたり、通常なら一門の部屋に弟子を託すところを、同郷青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に託した。2013年三月場所後のことである。
このとき移籍したのが、幕下の若三勝、三段目の若青葉、駿馬である。田口は、人の運命とはわからないものだと書く。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時期 | 2013年三月場所後 |
| 移籍前 | 間垣部屋(師匠は元2代目若乃花) |
| 移籍先 | 伊勢ヶ濱部屋(師匠は元旭富士) |
| 移籍した力士 | 幕下の若三勝(のちの照ノ富士)、三段目の若青葉、駿馬 |
若三勝から照ノ富士へ|十両は3場所で通過
若三勝の四股名は、2013年九月場所の十両昇進を機に照ノ富士へ改めた。若三勝時代は13場所で64勝27敗と、けっこうなスピード出世である。
しかし、めきめき強くなったのは十両に上がってからだった。12勝で優勝、8勝、12勝と、わずか3場所で十両を通過した。ちなみに逸ノ城は2場所である。
田口は、照ノ富士にあって逸ノ城にないもの、それは豊富な稽古相手だと書く。部屋には横綱日馬富士、宝富士、安美錦、誉富士と、稽古相手にこと欠かなかった。

入幕から8場所で大関|年6場所以降の名横綱と比べて
照ノ富士は入幕後8場所で大関昇進を決めた。驚異的なスピードである。
1958(昭和33)年に年6場所となってからの力士と比べると、照ノ富士がいかにすばらしいかがわかる。
| 力士 | 入幕から大関まで |
|---|---|
| 大鵬 | 6場所 |
| 照ノ富士 | 8場所 |
| 朝青龍 | 10場所 |
| 輪島 | 11場所 |
| 柏戸 | 12場所 |
| 白鵬 | 12場所 |
| 北の湖 | 13場所 |
| 貴乃花 | 17場所 |
| 千代の富士 | 19場所 |
「横綱になれる大関」|その後の照ノ富士
田口は、照ノ富士は横綱になれる大関だと書き、何場所で横綱に昇進するか興味は尽きないと結んでいた。
日本相撲協会の歴代横綱の一覧では、照ノ富士は第73代横綱で、横綱在位は令和3年9月から令和7年1月まで、優勝は10回となっている。
年寄プロフィールでは、大関昇進は平成二十七年七月場所、横綱昇進は令和三年九月場所、引退場所は令和七年一月場所で、年寄名は照ノ富士から伊勢ヶ濱に変わっている(2026年9月27日確認)。
よくある質問
Q. 照ノ富士はなぜ伊勢ヶ濱部屋に移籍したのですか?
A. 最初の師匠の間垣(元2代目若乃花)が体調がすぐれず部屋を閉じる際、同郷青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に弟子を託したため。2013年三月場所後のことだった。
Q. 照ノ富士の昔の四股名は?
A. 若三勝。2013年九月場所の十両昇進を機に照ノ富士に改めた。
Q. 大関昇進の使者は誰でしたか?
A. 一門の理事が使者に立つ慣例から、友綱(元魁輝)と桐山(元黒瀬川)だった。
Q. 照ノ富士は入幕から何場所で大関になりましたか?
A. 8場所。田口が2015年の記事で比べた、年6場所となって以降の力士の中では、大鵬の6場所に次ぐ速さだった。
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