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新大関照ノ富士の記憶・記録

照ノ富士の大関昇進の日は例年よりはるかに暑い中だった。
しかも、それだけではなかった。協会の使者が通常より
遅く、なかなか姿を現さないのである。伊勢ヶ濱親方(元
旭富士)はとっくに車で協会から戻っているのにも関らず。
洋装から和装へ着替える時間は必要だが、それにしても
遅い。太陽は容赦なく照りつける。
150527照ノ富士大関 008
<使者を待つ照ノ富士
向こう側は誉富士>
 
来るときには来るだろうという心境で待つともなく、
時間を過ごしている中、10時前ようやく使者が乗って
いる黒塗りの車が到着した。通常一門の理事が使者
に立つ慣例から友綱(元魁輝)もう一人は桐山(元
黒瀬川)である。
150527照ノ富士大関 047
<使者の車>
 
ところで照ノ富士の最初の師匠は間垣(元2代目若乃花)
である。体調がすぐれない間垣が部屋を閉じるにあたり、
通常なら一門の部屋に弟子を託すのだが、間垣は同郷
青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に託したのである。2013年
三月場所後のことである。このとき移籍したのが幕下
若三勝、三段目の若青葉、駿馬である。人の運命とは
わからないものである。若三勝の四股名は2013年九月
場所の十両昇進を機会に照ノ富士に改めた。
若三勝時代は13場所64勝27敗だからけっこうスピード出世
である。しかし、めきめき強くなったのは十両に昇進して
からである。12勝優勝、8勝、12勝とわずか3場所で
通過した。ちなみに逸ノ城は2場所である。だが、照ノ
富士にあって逸ノ城にないもの、それは豊富な稽古相手
である。部屋には横綱日馬富士・宝富士・安美錦・誉富士
とこと欠かない。
150527照ノ富士大関 177
<大関昇進の日の照ノ富士>
 
照ノ富士は入幕後所要8場所で大関昇進を決めた。これは
驚異的なスピードである。1958(昭和33)年以降年6場所
となってから柏戸の12場所、大鵬の6場所、輪島11場所、
北の湖13場所、千代の富士19場所、貴乃花17場所、朝青龍
10場所、白鵬12場所と比較すると照ノ富士がいかにすばら
しいかがわかる。
照ノ富士は横綱になれる大関である。何場所で横綱に
昇進するか、興味は尽きない。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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