◆三賞獲得14回
朝潮 殊10敢3技1
朝潮は近畿大学出身で幕下2場所、十両2場所で突破して入幕した。
昭和53年十一月場所のことである。朝潮が関脇以下でいた場所は27
場所である。それでいて14回三賞に輝いている。
朝潮は殊勲賞を10回受賞している。これは殊勲賞の受賞回数として
は最多にあたる。朝潮といえば北の湖キラーで知られている。朝潮
の殊勲賞を改めて分析してみよう。勝った主な横綱が以下である。
昭和55年三月場所 北の湖13勝優勝
昭和55年五月場所 北の湖14勝優勝
昭和55年七月場所 輪島・三重ノ海
昭和56年五月場所 北の湖14勝優勝
昭和56年七月場所 北の湖13勝
昭和56年十一月場所千代の富士
昭和57年五月場所 北の湖、2若乃花
昭和57年七月場所 千代の富士12勝優勝
昭和58年一月場所 千代の富士、北の湖
昭和58年三月場所 大関琴風・隆の里
殊勲所10回のうち6回が北の湖がらみである。関脇以下の朝潮対横
綱北の湖戦は10勝(不戦勝1勝あり)3敗で朝潮が勝っている。北
の湖にとって朝潮は天敵以外の何者でもなかった。その反面、千代
の富士には優勝決定戦で3回敗れている。
朝潮は5年連続三賞受賞記録を残している。ダブル受賞は昭和57年
七月場所、昭和58年一月場所と2回経験している。昭和58年三月場
所後、朝潮は大関に昇進した。
それには裏話があった。朝潮は14日目ケガをして千秋楽の出場が危
ぶまれた。「病院に使者を向かわせての大関の伝達式なんかできな
いよ」と春日野(元栃錦)が発言した。そのため朝潮は千秋楽気力
を振り絞って勝利した。大関とともに三賞は終わりを迎えた。