双葉山 定次(ふたばやま さだじ)は第35代横綱。大分県宇佐市の出身で、協会の所属部屋の欄は立浪から双葉山道場。昭和13年1月から昭和20年11月まで横綱を務め、幕内優勝12回、幕内戦歴276勝68敗1分33休(31場所)を残した。身長179センチ、体重122キロ。協会の大相撲クイズは、昭和11年一月場所の七日目から昭和14年1月場所三日目まで69連勝が続き、その間に五場所連続全勝優勝を並べたと書いている。
※戦歴の数字は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール(2026年9月18日確認)から写した。協会サイトの「過去の成績」は平成25年一月場所以降しかさかのぼれないので、場所ごとの勝敗の表はこの記事には無い。時期ごとの出来事は、協会の大相撲クイズと、当サイト運営者の田口 通廣が記名記事に書いた内容を、出どころを分けて載せている。この記事には双葉山の写真が無い。双葉山の現役は田口が土俵際で撮り始めた2007年よりはるか前で、当サイトの写真アーカイブに田口が撮った双葉山は無かったためである(一覧やSNSのカードに出るのは両国国技館の外観で、双葉山ではない)。歴代横綱の一覧は初代明石から第75代大の里までに。
双葉山の基本データ|協会公式プロフィール(2026年9月18日確認)
| 四股名 | 双葉山 定次(ふたばやま さだじ)。しこ名履歴は 二葉山 → 双葉山 → 二葉山 → 双葉山 |
|---|---|
| 代 | 第35代横綱(昭和13年1月〜昭和20年11月) |
| 出身地 | 大分県宇佐市 |
| 生年月日 | 明治45年(1912年)2月9日 |
| 所属部屋 | 立浪 → 双葉山道場 |
| 身長・体重 | 179cm・122kg(歴代横綱の体重ランキング) |
| 初土俵/新十両/新入幕 | 昭和二年三月場所/昭和六年五月場所/昭和七年二月場所 |
| 新大関/新横綱 | 昭和十二年一月場所/昭和十三年一月場所 |
| 引退 | 昭和二十年十一月場所 |
| 優勝 | 幕内12回 |
| 金星 | 1個 |
| 幕内戦歴 | 276勝68敗1分33休(31場所) |
協会の歴代横綱プロフィールには、曙や稀勢の里のページにある生涯戦歴・三賞・得意技の欄が無い。載っているのは上の表の項目だけである。没年の欄も無いので、この記事では亡くなった日付を協会の記載としては書かず、後述のとおり田口の記事に書かれている日付として示している。金星1個は、双葉山が平幕として横綱から挙げた数である。双葉山が横綱として与えた金星のほうは協会のこのページには無く、田口が双葉山の金星配給率で数えている。
| 項目 | 協会の記載 | 補足 |
|---|---|---|
| 幕内優勝 | 12回 | 協会プロフィールの戦歴。クイズNo.54は「優勝12回は15場所間に揚げたもので、その内容は五場所連続全勝優勝を含む全勝優勝8回」と書いている |
| 金星 | 1個 | 双葉山が平幕として横綱から挙げた金星の数。双葉山が横綱として与えた金星は別の数字で、田口が 51618 で集計している |
| 幕内戦歴 | 276勝68敗1分33休(31場所) | 協会プロフィール。生涯戦歴の欄はこのページに無い |
| 身長・体重 | 179cm・122kg | 協会プロフィール |
| 横綱在位 | 昭和13年1月〜昭和20年11月 | 協会プロフィール |
初土俵から引退まで|協会の日付と田口の記録でたどる年表
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 昭和2年三月場所 | 初土俵。協会の所属部屋の欄は 立浪 → 双葉山道場。しこ名履歴は 二葉山 → 双葉山 → 二葉山 → 双葉山 | 協会 |
| 昭和6年五月場所 | 新十両 | 協会 |
| 昭和7年二月場所 | 新入幕。田口は「春秋園事件で大量の力士が脱退したための繰り上げ入幕措置であった。それも、いきなり前頭4枚目に位置した」と書いている | 協会・田口 36899 |
| 昭和11年一月場所 | 横綱玉錦に敗れた翌日から連勝が始まる。協会のクイズは「前頭三枚目だった昭和11年一月場所の七日目より」、田口は「玉錦に敗れた翌日から」と書いている | クイズNo.54・田口 17624 |
| 昭和11年五月場所 | 関脇で初優勝。田口「双葉山にとって最大の強敵は横綱玉錦だったが、初勝利が覇者交代の一番となった」 | 田口 17356 |
| 昭和12年一月場所 | 新大関 | 協会 |
| 昭和13年一月場所 | 新横綱(第35代) | 協会 |
| 昭和13年五月場所 | 五場所連続全勝優勝がここまで続いた(昭和11年五月場所から) | クイズNo.54 |
| 昭和14年一月場所 | 三日目まで勝ち続けて69連勝。四日目に前頭三枚目の安藝ノ海に敗れる。田口によればこの場所はアメーバ赤痢で体調が悪く4敗している | クイズNo.54・田口 17624・37270 |
| 昭和15年〜 | 東西制が復活し、双葉山と照國、双葉山と玉ノ海がそれぞれ同じ方屋になって対戦が失われた。田口が「立浪部屋と二所ノ関部屋は同じ方屋になった」と書いているのは玉ノ海についてで、照國の側にはこの書き方をしていない | 田口 36899・18407 |
| 昭和20年夏場所 | 初日に相模川と対戦したあと休場。田口「翌場所全休して引退した」 | 田口 37270 |
| 昭和20年十一月場所 | 引退。協会の番付推移はここで終わる | 協会 |
| 引退後 | 時津風を名のり、部屋の師匠と協会の理事長を務めた。田口の集計では横綱鏡里と大関大内山・北葉山・豊山を育てた | 田口 47204・33500 |
| 昭和43年12月 | 田口「昭和43年12月16日急逝した。まだ56歳だった」。協会の歴代横綱プロフィールに没年の欄は無い | 田口 47204 |
入幕の経緯について、田口はこう書いている。「双葉山が入幕したのは昭和7年春場所である。これは春秋園事件で大量の力士が脱退したための繰り上げ入幕措置であった。それも、いきなり前頭4枚目に位置したのである。本来十両、あるいは幕内の下位で力をつけるところであった。ただ20歳で若かった」(双葉山 対戦成績・2022年10月17日)。上位にいきなり据えられたぶん、田口は別の記事で「力が伴わないうちに上位と対戦しており、なかなか勝てない時期があって損をしている」とも書いている(数字で比較する双葉山・大鵬・白鵬1)。
横綱・大関に負け続けた時期の星取りは、田口が並べて残している。玉錦に6連敗、男女ノ川に5連敗、武蔵山に3連敗1分1敗、清水川にも黒星が先行した。そのころ奇策を勧める者もいたが、双葉山は「相手との実力差が以前より縮まっているのを肌で感じています」と答えたという(あえて勝敗を問わなかった双葉山・2015年1月30日)。そして田口はこの時期をこう締めている。「そしていったん勝ちだすともう負けなかった」。
69連勝はどこからどこまでか(協会の大相撲クイズ)
協会の大相撲クイズ No.54(2026年9月17日確認)は、双葉山の69連勝を次のように書いている。「前頭三枚目だった昭和11年一月場所の七日目より連勝が始まりました。その後、翌五月場所から昭和13年五月場所まで五場所連続全勝優勝。昭和14年1月場所三日目まで勝ち続け69連勝。その間に一気に横綱まで番付をあげました」。協会の公式サイトには連勝記録の一覧ページが見当たらず、69連勝の数字と期間を公表しているのはこのクイズである。当サイトが2026年9月17日に探した範囲での話で、ほかに載っているページがない、とまでは確かめていない。
連勝が始まった相手と69連勝目の相手、そして止めた一番の中身は、当サイトの大相撲の連勝記録 歴代一覧にまとめてある。白鵬63・千代の富士53・大鵬45との並びもそちらにある。ここでは重ねずに、田口が双葉山の側から書いたことだけを足しておく。田口によれば69連勝は瓊ノ浦(のちの両國)にうっちゃりで勝って始まり、69連勝目の相手は駒ノ里だった(双葉山 対戦成績)。止めた昭和14年一月場所について、田口は「双葉山は大陸の巡業中にアメーバ赤痢にかかり体調は万全ではなかった。この場所4敗している」と書いている(双葉山の対戦成績 第4回・2022年11月8日)。なお連勝を止めた力士の四股名は、田口の記事では安芸ノ海と安藝ノ海の両方で書かれている。この記事では引用元の表記に合わせてある。
年2場所制の時代だという点も、田口は繰り返し書いている。「現代では連勝というと1年以内のケースになる。事実、白鵬が63連勝を達成したときも一月場所から十一月場所までであった。双葉山は年2場所の時代だから、足かけ4年にわたって勝ち続けたのである」(昭和・平成の10大ニュース3双葉山69連勝でストップ・2015年11月17日)。
相手が立てばいつでも立つ立ち合いと、後の先
協会の大相撲クイズは、双葉山の相撲をこう説明している。「立ち合いに決して『待った』をせず、常に相手を受けて立ち、最終的には自分の型に持ち込み相手をしとめる堂々とした相撲を取ったそうです」。田口も同じところを繰り返し書いてきた。「双葉山を賞賛する中で誰もが口にするのが、立ち合いのりっぱさである。相手が立てばいつでも立つ。これを下のころから実践していた」。本人はこともなげに「1日のうち10分(当時の仕切り制限時間)だけ集中していればいいのです」と語り、龍王山が1回目の仕切りで立ったときも受けて立った(求道者双葉山・2017年12月4日/双葉山の金星配給率)。
もう一つの「後の先」について、田口は誤解を解くところから書いている。「これは相手より遅く立つ、と誤解されているがけしてそうではない。向こうの声で立つ。向こうが立てば立つ。しかし、立った瞬間には機先を制している」。具体的な手順は、田口が専門誌から引いている。「双葉山は、腰を割って足をきめると、まず左手をつく。右手はひざの上にあって、相手の動きを見ながら合わせていって、サッとおろす。おろして、砂についたときが立ったときである。だから、おろすのは相手のほうが早くても、立って土俵から手が離れる瞬間、双葉山のほうが早いのである」(大相撲1969年2月号・相撲技論 小坂秀二筆/双葉山の金星配給率・2026年4月22日)。
取り口を土俵の上で受けた側の証言も、田口が紹介している。双葉山と対戦し、のちにNHKの解説者になった玉の海梅吉の言葉である。「いかに攻めつけても、ジリジリと攻め返されて、いつの間にか右四つ、左上手の相手十分の体勢になっていた。知らず知らずのうちに型にはめられていたのだ」「双葉山はどんなときにも腰がおりていた。つまり割れていた。だからくずれない。くずれないからつけこめなかった」。玉の海梅吉はこれを「これがいうならば、技術面での双葉山のもっとも強みであった、とわたしは思う」と結んでいる(玉の海梅吉氏が語る双葉山の強さ2・2018年2月20日)。
ただし田口は、強さを一方向からだけ書いてはいない。元栃木山の春日野が「双葉山は誰と取っても相手よりちょっとだけ強い」と評したことを紹介し、双葉山自身の「私の場合、格段の差を一度も感じたことはありません」という言葉を並べて、「ちょっとだけ強ければいつも勝ち、それが続けば連勝につながるわけである」と書いている(相手よりちょっとだけ強い双葉山・2024年8月12日)。なお田口は、櫻錦にけたぐりで敗れた一番の説明として「双葉山の右目は見えなくなっていたため右への動きは視界から消えていた」とも書いている(双葉山の対戦成績 第4回)。
優勝12回・全勝8回|田口 通廣が集計した数字
次の表は協会の公表値ではなく、田口が自分の記事で集計した数字である。田口自身が「双葉山は年2場所の力士であり、1場所の日数も現在のように15日制ではなく、まちまちである。また、昭和15年以降は、東西制の取組であり、現代とまるで条件は違う。そういう意味では数字で比較するものの優劣を必ずしもはかれるものではない。あくまで目安、参考としてとらえていただきたい」と断り書きを置いている(数字で比較する双葉山・大鵬・白鵬1・2018年2月22日)。記事IDと公開日を各行に添えたので、元の記事で前提を確かめられる。
| 項目 | 数字 | 出どころ(当サイトの記事IDと公開日) |
|---|---|---|
| 優勝率 | 初優勝の場所から最後の優勝の場所まで15場所中12回で8割 | 18410(2018年2月24日)・17372(2015年2月20日) |
| 全勝優勝 | 12回の優勝のうち8回 | 18410。協会のクイズNo.54も全勝優勝8回と書いている |
| 連続優勝 | 5連覇 | 18410。田口は太刀山・栃木山にも5連覇があり、いずれも年2場所制の時代だと書いている |
| 優勝を渡した相手 | 12回の優勝の間に優勝したのは出羽湊・安芸ノ海・羽黒山の3人だけ | 18410。17940では「最初の優勝から最後の優勝まで、優勝を逃したのはわずか3場所」 |
| 大関・横綱時代の成績 | 204勝24敗22休で勝率8割9分5厘 | 18409(2018年2月23日)。田口「双葉山が大関時代を全勝で通過した」 |
| 横綱時代の成績 | 180勝24敗22休で勝率8割8分2厘 | 17372。横綱17場所中9回優勝で優勝率5割2分9厘とも書いている |
| 上位と対戦した幕内の成績 | 248勝56敗1分22休で勝率8割1分5厘 | 18408(2018年2月22日)。田口が「横綱・大関と対戦する幕内」に限って数えたもので、協会の幕内戦歴276勝68敗1分33休とは範囲が違う |
| 全盛期の連続成績 | 2場所連続26勝0敗/4場所連続50勝0敗/6場所連続70勝2敗 | 18409。田口「69連勝の始まりから連勝がストップする前場所までが、双葉山の3年間の成績が最もよかった時期である」 |
| 横綱どうしの対戦 | 15勝2敗で勝率8割8分2厘 | 18410。内訳は玉錦2勝・武蔵山1勝・男女ノ川7勝・安芸ノ海3勝(1不戦勝あり)・照國2勝2敗 |
| 横綱時代の平幕戦 | 117勝14敗で金星配給率10.7% | 51618(2026年4月22日)。2つ与えた相手は鹿島洋・櫻錦・豊嶋 |
この表のうち2行だけ、当サイトで引き算をして整合を確かめた。大関・横綱時代の204勝24敗22休(18409)から横綱時代の180勝24敗22休(17372)を引くと24勝0敗で、田口が18409に書いている「双葉山が大関時代を全勝で通過した」と食い違わない。確かめたのはこの2つの記事の数字どうしの引き算だけで、協会の幕内戦歴276勝68敗1分33休とは範囲が違うため突き合わせていない。田口が「上位と対戦した幕内」に限って数えた248勝56敗1分22休(18408)も、協会の幕内戦歴とは対象が別である。
優勝を独占していた度合いについては、田口が2つの角度から書いている。「双葉山12回の優勝中、優勝したのはわずかに出羽湊、安芸ノ海、羽黒山の3人にすぎなかった」(数字で比較する双葉山・大鵬・白鵬3)。そして、割を食った側からも1本書いている。弟弟子の羽黒山は同じ部屋のため双葉山と対戦がなく、好成績をあげながら優勝できなかった。「双葉山が土俵を去ったあと、羽黒山は4連覇を達成している。遅ればせながら、羽黒山が強者であったことを証明している」(双葉山の陰に隠れた男達・2016年10月21日)。
双葉山の対戦成績|田口の4回シリーズから抜き出した星取り
相手別の星取りは、田口が4回に分けて書いている(第1回・第2回・第3回・第4回)。下の表は、その4本が相手ごとに節を立てて星取りを書いている19人を抜き出して1つにまとめたものである。双葉山の全対戦相手ではない。数字はすべて双葉山から見た勝敗で、通算が書かれていない安藝ノ海の行だけは田口の記述をそのまま入れた。節が立っておらず経過だけが書かれている武蔵山(36899「3連敗1分1敗のあと2連勝している」)は表に入れていない。36899の表も、その注に「武蔵山・安藝ノ海との対戦経過は本文を参照」と書いて同じ2人を外している。
| 相手 | 双葉山の成績 | 田口が書いていること | 記事ID |
|---|---|---|---|
| 玉錦 | 4勝6敗 | 6連敗のあと4連勝。初勝利が昭和11年五月場所の初優勝の場所 | 36899 |
| 男女ノ川 | 10勝5敗 | 5連敗のあと10連勝。最初の1勝の翌日に玉錦に負け、その翌日から69連勝が始まった | 36899 |
| 照國 | 2勝3敗 | 東西制で同じ方屋になり、田口によればこの状態が昭和17年春場所まで続いて対戦が失われた | 36899 |
| 前田山 | 7勝1敗 | 昭和16年春場所は双葉山・羽黒山がともに14勝1敗で、その1敗がともに前田山だった | 36899 |
| 安藝ノ海 | 69連勝を止めた相手 | その後は双葉山の10連勝(1不戦勝を含む) | 36899 |
| 鏡岩 | 10勝1敗 | 同じ日に大関へ昇進した盟友。唯一の黒星は69連勝が始まる前の昭和10年夏場所 | 36997 |
| 清水川 | 5勝4敗 | 昭和最強の大関といわれた相手。69連勝以前は2勝4敗 | 36997 |
| 五ツ島 | 5勝2敗 | 69連勝中は3勝。連勝が止まったあとの2敗目で双葉山は休場に追い込まれ、「信念の歯車がくるった」という言葉を残した | 36997 |
| 増位山 | 5勝2敗 | 円熟期から晩年にかけての対戦。2敗には不戦敗が含まれる。勝たれたのは12回目の優勝の翌場所 | 36997 |
| 能代潟 | 3勝2敗 | いずれも69連勝以前。初対戦で大関だった能代潟に勝っている | 36997 |
| 玉ノ海 | 6勝1敗 | 幕内で7番。玉ノ海の1勝は69連勝が止まった昭和14年春場所の九日目 | 37098 |
| 笠置山 | 17勝0敗 | 1度も勝てずに終わった相手 | 37270 |
| 出羽湊 | 15勝0敗 | 同じく1度も勝てずに終わった相手 | 37270 |
| 両國(瓊ノ浦) | 9勝2敗 | 69連勝はこの相手にうっちゃりで勝って始まった | 37270 |
| 相模川 | 10勝 | 昭和20年夏場所初日が双葉山の最後の対戦。田口の記録に勝ち星だけが載っている | 37270 |
| 綾昇 | 11勝3敗 | 田口によれば1敗は不戦敗で実質2敗。昭和16年夏場所に横綱双葉山から金星を挙げている | 37270 |
| 鹿嶋洋 | 7勝2敗 | すべて双葉山が横綱のときの対戦で、2敗はともに金星。初顔は69連勝が止まった場所の3連敗目 | 37270 |
| 豊嶋 | 5勝2敗 | 7番のうち最初と最後で勝たれている。押しの威力に定評があった。昭和20年3月の空襲で亡くなった | 37270 |
| 櫻錦 | 5勝2敗 | 関西力士団の出身。すべて横綱双葉山との対戦で、2勝目はけたぐりの奇襲だった | 37270 |
表の鹿嶋洋は、田口の記事では鹿島洋(51618)と鹿嶋洋(37270)の両方で書かれている。安芸ノ海と安藝ノ海と同じで、この記事ではそれぞれ引用元の表記に合わせてある。
この中で田口がいちばん長く書いているのが玉ノ海との7番である。玉ノ海の唯一の1勝は、双葉山の69連勝が止まった昭和14年春場所の九日目だった。玉ノ海は師匠の玉錦を急性虫垂炎で亡くした直後で、勝ったあと霊前に報告している。それだけに「双葉山がゆずってくれたのではないか」という疑念が残った。後年、NHKの解説者になった玉の海梅吉が本人に尋ねると、元双葉山の時津風は「おれは君に負けたことがあったかなあ」と答えたという(双葉山と玉ノ海の対戦成績・2022年10月29日)。
東西制のために消えた取組があることも、田口は繰り返し書いている。昭和15年に東西制が復活し、双葉山と照國、双葉山と玉ノ海がそれぞれ同じ方屋になったため、この2つの取組が組まれなくなった。照國との2勝3敗という負け越しは、その途中で対戦が途切れたままの数字である(双葉山 対戦成績)。
引退後の時津風|1横綱3大関を育てた指導
協会の番付推移は昭和二十年十一月場所の引退で終わる。そのあとの双葉山について、田口は時津風としての指導を1本の記事にしている。「1横綱3大関を育てた。横綱は鏡里、大関は大内山、北葉山、豊山である。評価されるべき弟子育成の手腕である」。ところが「稽古場ではただの一度も技術指導はなかった、という」。代わりに言ったのが「稽古場を本場所と心得、本場所を稽古場と心得よ」だった。「時津風が稽古場に現れると稽古場に静寂が走る。聞こえる音はぶつかり合うときの音である」(時津風(元双葉山)の指導・2025年4月10日)。
田口が同じ記事に引いている時津風の言葉が、双葉山の土俵哲学とそのままつながっている。「いい相撲を取るようにしろ。そうすれば相撲人気は高まるし、贔屓もつく。ただ勝ちさえすればいいでは相撲はなおざりになる」。現役時代の双葉山も、勝敗そのものには重心を置いていなかった。「物言いがついたとき、土俵下におりて判定を待っているが、あのときの力士の姿は美しくて大好きだ」という言葉を、田口は何度も引いている(あえて勝敗を問わなかった双葉山)。
部屋のその後も田口が書いている。双葉山は立浪部屋から双葉山相撲道場として独立し、のちに時津風部屋と改称した。「昭和43年、元双葉山は現役の理事長のまま56歳という若さで急逝してしまった」。後継はいったん元横綱鏡里に決まりかけたが、未亡人が「主人の意向は元豊山である」という趣旨の発言をしたため鏡里は降り、部屋付きの立田川として残ったのち立田川部屋を興した(消えた横綱の相撲部屋④・2022年2月25日)。日付は47204に「昭和43年12月16日急逝した。まだ56歳だった」とある。協会の歴代横綱プロフィールには没年の欄そのものが無いので、この記事の没年月日は田口の記事の記述である。
「双葉山は69連勝したから偉大なのではない」
田口が双葉山を書くとき、ほぼ必ず引くのが小坂秀二である。双葉山の相撲を実際に見て、相撲を見る基準を双葉山に置いた人である。田口によれば、歯科医から相撲アナウンサーに転じている。田口は小坂の『わが回想の双葉山定次』(読売新聞社刊)を「筆者にとって相撲のバイブルというべき本」と書き、五章の構成と項目名まで紹介している(相撲のバイブル わが回想の双葉山定次・2017年6月14日)。第一章に「われいまだ木鶏たり得ず」という項目があることも、そこで挙げられている。ただし田口はその逸話の中身を書いていないので、当サイトでも扱わない。
その小坂の言葉として田口が引くのが、見出しの一文である。「双葉山は69連勝をしたから偉大なのではない」。田口は小坂の著書から双葉山を3点で読み解いている。相手が立てばいつでも立つ立ち合いを完成させたこと、勝敗にこだわらず稽古で培ったものを土俵で出せばよいという考え方だったこと、けれん相撲や作戦相撲を取らず正攻法で負け続けたが一度勝ちだすともう負けなかったこと(双葉山は69連勝したから偉大なのではない・2014年2月20日)。
田口自身がこのテーマに触れた体験も1つだけ書き残している。双葉山の二枚腰がどうにも実感できずにいたところ、横綱玉の海が貴ノ花に見せた腰でようやく分かった。その喜びを手紙にして小坂に送ったら返事が来た、というものである。「玉の海の相撲は双葉山になりえるという内容だった。まさに最高の1日になったことを覚えている」(相撲のバイブル わが回想の双葉山定次)。双葉山の取組そのものを田口が見た記述は、当サイトの記事には無い。この記事に田口の実見として書けるのは、ここまでである。
双葉山についてよくある質問
Q. 双葉山は何代目の横綱ですか?
第35代です。昭和13年1月に横綱に昇進し、昭和20年11月場所で引退しました(協会の歴代横綱プロフィール)。前が第34代男女ノ川、次が第36代羽黒山です。
Q. 連勝記録は何連勝ですか?
69連勝です。協会の大相撲クイズNo.54は「前頭三枚目だった昭和11年一月場所の七日目より連勝が始まりました」「昭和14年1月場所三日目まで勝ち続け69連勝」と書いています。連勝の中身と、白鵬63・千代の富士53・大鵬45との並びは大相撲の連勝記録 歴代一覧にあります。
Q. 連勝を止めたのは誰ですか?
安藝ノ海です。昭和14年一月場所四日目でした。協会の大相撲クイズは相手の名前まで書いていないので、これは田口 通廣の記事(36899・17624)によります。田口はその後、双葉山が安藝ノ海に10連勝(1不戦勝を含む)したとも書いています。
Q. 優勝は何回ですか?
幕内優勝12回です(協会プロフィール)。協会の大相撲クイズは、この12回が15場所間のもので、五場所連続全勝優勝を含む全勝優勝8回だったと書いています。
Q. 身長と体重は?
協会の表示は179センチ・122キロです(歴代横綱の体重ランキング)。
Q. 場所ごとの成績は載っていますか?
載せていません。協会の「過去の成績」でさかのぼれるのは平成25年一月場所までで、双葉山の現役はその範囲の外だからです。推測で表を作らない方針のため、この記事には場所別の星取表がありません。
Q. 引退後は何をしていましたか?
時津風を名のり、部屋の師匠と協会の理事長を務めました。田口の集計では横綱鏡里と大関大内山・北葉山・豊山を育てています(時津風(元双葉山)の指導)。亡くなったのは昭和43年12月16日で56歳だったと田口は書いていますが、協会の歴代横綱プロフィールに没年の欄は無いため、当サイトではこれを田口の記述として示しています。
Q. なぜこの記事には双葉山の写真が無いのですか?
当サイトの写真は運営者・田口 通廣が撮ったものに限っています。田口が撮り始めたのは2007年からで、双葉山の現役(昭和2年〜20年)はそれよりはるか前です。当サイトにある双葉山の画像はブロマイドで、出所を確認できないため本文には入れていません。一覧やSNSのカードに出るのは田口が撮った両国国技館の外観で、双葉山の写真ではありません。なお当サイトの大相撲の連勝記録 歴代一覧では、同じブロマイドを「田口の撮影ではない」と注記したうえで載せています。
▶ 歴代横綱シリーズ:歴代横綱一覧|初代明石から第75代大の里まで/第48代 大鵬/第55代 北の湖/第58代 千代の富士/第64代 曙/第65代 貴乃花/第68代 朝青龍/第69代 白鵬/第70代 日馬富士/第71代 鶴竜/第72代 稀勢の里/第73代 照ノ富士
▶ 田口の双葉山論:双葉山は69連勝したから偉大なのではない/相撲のバイブル わが回想の双葉山定次/あえて勝敗を問わなかった双葉山/求道者双葉山/相手よりちょっとだけ強い双葉山/双葉山の金星配給率/時津風(元双葉山)の指導
▶ 対戦成績シリーズ:第1回 69連勝と歴代横綱との星取り/第2回 鏡岩・清水川・五ツ島ら/第3回 玉ノ海との7番/第4回 笠置山・出羽湊・両國ら/双葉山の陰に隠れた男達
▶ あわせて読みたい:大相撲の連勝記録 歴代一覧/数字で比較する双葉山・大鵬・白鵬3/双葉山と白鵬を比較する/歴代横綱の体重ランキング/消えた横綱の相撲部屋④