時津風(元双葉山)の指導

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現役時代の双葉山は相手が立てばいつでも立つ立ち合いをした。双
葉山の立ち合いは異口同音で褒めたたえられた。「1日のうち10分
(仕切り制限時間)だけ集中しればいいんです」と本人はこともな
げに言っていた。無駄な動作を避けた。信念の人だった。

<双葉山のブロマイド>

指導者時津風としてはどうだったのか。1横綱3大関を育てた。横
綱は鏡里、大関は大内山、北葉山、豊山である。評価されるべき弟
子育成の手腕である。鏡里は盟友鏡岩の弟子だった。

稽古場ではただの一度も技術指導はなかった、という。相撲には様
々なセオリーがある。
下手は親指から上手は小指から取れ
さしたらかいなを返せ
頭は相手のあごの下につけよ
吊りは横に運べなど

<時津風>

時津風は「稽古場を本場所と心得、本場所を稽古場と心得よ」と教
え、強調した。時津風が稽古場に現れると稽古場に静寂が走る。聞
こえる音はぶつかり合うときの音である。部屋によっては指導とし
て前に出ろという声が聞こえることがある。

時津風はさらに言う。いい相撲を取るようにしろ。そうすれば相撲
人気は高まるし、贔屓もつく。ただ勝ちさえすればいいでは相撲は
なおざりになる。それを力士一同に言うのですが耳にはいらぬよう
です。

時津風は昭和43年12月16日急逝した。まだ56歳だった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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