玉ノ海6勝1敗
双葉山の幕内対戦相手で絶対触れなければならない
力士が玉ノ海である。双葉山の69連勝の話題になっ
たとき「このなかに私の名前もけっこうありますな」
と語っていた。実際69連勝中は5連敗している。5
連敗した昭和13年夏場所後の12月、師匠玉錦を急性
虫垂炎で亡くしている。
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双葉山の連勝がストップした昭和14年春場所、9日
目に玉ノ海は双葉山と対戦した。この場所は13日制
であった。現役で亡くなった玉錦を偲んで面影は、
花道のあのあたりとラジオ放送された。
相撲はこう展開した。玉ノ海右差しで強引なすくい
投げからの寄りの連続。双葉山危うかったが、強靭
な腰でしのぐ。玉ノ海はさらに右出し投げからの寄
りで勝負を決めた。玉ノ海速攻の勝利であった。初
勝利であった。玉ノ海は師の霊前に涙の報告をして
いる。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/双-葉.jpg)
ただ、こうした背景があったため、あの勝負は双葉
山がゆずってくれたのではないか、という疑念が残
った。玉ノ海にとって双葉山は心の友であった。戦
後の苦しい部屋経営をともに相談してきた仲であっ
た。玉ノ海は佐賀ノ花に二所ノ関部屋を譲って相撲
界を去った。玉ノ海が玉の海として相撲界に関わり
をもつことになったのはNHKの解説であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/時.jpg)
玉の海が場所に臨むと入り口に協会幹部が迎えてい
た。そのなかから出てきて無言で右四つに組んだ者
が元双葉山の時津風であった。両者とも現役は右四
つであった。無言のなかで元双葉山が暖かく迎えて
くれたことが伝わる友情の右四つであった。
いくら親しい間柄でも疑念の残った勝負を聞くこと
はできない。だがあるとき玉の海が思い切ってきい
てみた。「おれは君に負けたことがあったかなあ」
それを聞いた玉の海はおれは本当に勝ったんだと思
ったという。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/玉の海-e1667007306100.jpg)
双葉山対玉ノ海戦は7番勝負で終わっている。双葉
山の6勝1敗だった。昭和15年から東西制が復活し
た。双葉山と玉ノ海は同じ方屋になり、両者の対戦
は永久に失われてしまった。
(この項目続く)