大相撲

大横綱双葉山の幕内対戦成績3

玉ノ海6勝1敗
双葉山の幕内対戦相手で絶対触れなければならない
力士が玉ノ海である。双葉山の69連勝の話題になっ
たとき「このなかに私の名前もけっこうありますな」
と語っていた。実際69連勝中は5連敗している。5
連敗した昭和13年夏場所後の12月、師匠玉錦を急性
虫垂炎で亡くしている。

<玉ノ海のブロマイド>

双葉山の連勝がストップした昭和14年春場所、9日
目に玉ノ海は双葉山と対戦した。この場所は13日制
であった。現役で亡くなった玉錦を偲んで面影は、
花道のあのあたりとラジオ放送された。

相撲はこう展開した。玉ノ海右差しで強引なすくい
投げからの寄りの連続。双葉山危うかったが、強靭
な腰でしのぐ。玉ノ海はさらに右出し投げからの寄
りで勝負を決めた。玉ノ海速攻の勝利であった。初
勝利であった。玉ノ海は師の霊前に涙の報告をして
いる。

<双葉山のブロマイド>

ただ、こうした背景があったため、あの勝負は双葉
山がゆずってくれたのではないか、という疑念が残
った。玉ノ海にとって双葉山は心の友であった。戦
後の苦しい部屋経営をともに相談してきた仲であっ
た。玉ノ海は佐賀ノ花に二所ノ関部屋を譲って相撲
界を去った。玉ノ海が玉の海として相撲界に関わり
をもつことになったのはNHKの解説であった。

<時津風>

玉の海が場所に臨むと入り口に協会幹部が迎えてい
た。そのなかから出てきて無言で右四つに組んだ者
が元双葉山の時津風であった。両者とも現役は右四
つであった。無言のなかで元双葉山が暖かく迎えて
くれたことが伝わる友情の右四つであった。

いくら親しい間柄でも疑念の残った勝負を聞くこと
はできない。だがあるとき玉の海が思い切ってきい
てみた。「おれは君に負けたことがあったかなあ」
それを聞いた玉の海はおれは本当に勝ったんだと思
ったという。

<玉の海梅吉著 これが大相撲だ 潮文社刊>

双葉山対玉ノ海戦は7番勝負で終わっている。双葉
山の6勝1敗だった。昭和15年から東西制が復活し
た。双葉山と玉ノ海は同じ方屋になり、両者の対戦
は永久に失われてしまった。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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