双葉山といえば真っ先に思い起こすのが69連勝であ
る。では69連勝は誰から始まり、69連勝目は誰かご存
知だろうか。答は、最初は瓊ノ浦であり、69連勝目は
駒ノ里である。双葉山の幕内対戦成績はどのような
モノなのか。改めて調査してみた。
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双葉山が入幕したのは昭和7年春場所である。これは
春秋園事件で大量の力士が脱退したための繰り上げ
入幕措置であった。それも、いきなり前頭4枚目に
位置したのである。本来十両、あるいは幕内の下位
で力をつけるところであった。ただ20歳で若かった。
現在でも20歳あるいは19歳以下の新入幕は珍しい。
現役では栃ノ心、貴景勝、阿武咲、琴勝峰が該当す
る。
まず、先輩横綱との対戦からみていこう。第一人者
玉錦とは4勝6敗である。それも6連敗4連勝であ
る。双葉山は勝つための奇襲や作戦的な相撲は取ら
なかった。常にまともにいって相手との力の差を肌
で捕らえていた。「双葉山の相撲はあれでいいんだ」
といっていた玉錦も勝てなくなると「今度こそ双葉
を倒すんだ」に変わり、闘志を燃やした。双葉山は
「最後は相手を思うほどの心のゆとりでした」と
玉錦を語っていた。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/玉錦.jpg)
武蔵山には3連敗1分1敗のあと2連勝している。
武蔵山が横綱に昇進してから休場が多くなり、昭和
13年夏場所が最後の対戦になった。同時に玉錦戦も
最後になった。この年の12月、巡業先で盲腸炎に
なった玉錦は自己流の処置で帰らぬ人になっていた。
男女ノ川戦は5連敗10連勝であった。1度勝ったら
もう負けなかった。最初の1勝は昭和11年春場所で
あった。男女ノ川に勝った翌日玉錦に負けた。その
翌日から69連勝は始まった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/男女ノ川.jpg)
後輩横綱戦はどうであろうか。双葉山の連勝をスト
ップしたのは安藝ノ海であった。双葉山を倒した力士
がこのままではいけない、と一念発起して横綱にまで
なった。ただ、双葉山はもう2度と安藝ノ海に負け
ないだろう、という見方があった。その通りになっ
た。このあと双葉山は安藝ノ海に10連勝(1不戦勝
含む)している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/安芸の海、.jpg)
照國には2勝3敗と負け越しているが、これには理由
がある。入幕以降常に系統別総あたりだったが、昭和
15年から東西制が復活した。双葉山と照國は同じ方屋
になった。これが昭和17年春場所まで続いた。その
ため好取組双葉山対照國戦がこの間失われてしまっ
た。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/10/照國.jpg)
前田山が横綱になるのは戦後である。昭和16年春場
所、双葉山14勝1敗、羽黒山14勝1敗だが、その1敗
はともに前田山によるものである。この場所前田山の
張り手旋風が吹き荒れた。その前田山とは7勝1敗
であった。
(この項目続く)