笠置山17勝
「双葉山に勝ったらその場で引退してもいい」と言
っていた笠置山だったが、ついに1度も勝てずに終
わった。笠置山は当時珍しく早稲田大の学生出身だ
った。大学へは出羽海部屋から通っていた。インテ
リで、文章を書かせたら見事なできであった。後年
元双葉山の時津風理事長のもとで協会のスポークス
マン役を務めていた。「勘ちゃん(笠置山の本名=
勘治)は理屈で勝とうというんだもの。そうはいか
ないよ」と元双葉山はおかしそうに語っていた。
出羽湊15勝
双葉山と10回以上対戦して1度も負けなかった対戦
相手に出羽湊がいる。双葉山の69連勝がストップし
た場所に漁夫の利で優勝した。もっとも横綱・大関
との対戦はなかった。双葉山の連勝前に1勝。69連
勝中に4勝。69連勝後に10勝している。右四つ十分
だが、双葉山にとっては二十分であった。
相模川10勝
今日(こんにち)春日野部屋の力士といえば栃を頭
につける傾向がある。それは元栃錦の春日野の代か
ら始まったことである。元栃木山の春日野は、それ
にこだわることはなかった。相模川もそうだし、ほ
かに鹿嶋洋、神東山、因州山、大江戸、若鳴門など
がいた。相模川はすべて69連勝後の対戦であった。
そして双葉山最後の対戦相手でもあった。昭和20年
夏場所初日相模川と対戦したあと、双葉山は休場し
た。翌場所全休して引退した。
綾昇11勝3敗
1敗は不戦敗であり実質2敗である。1敗は双葉山
が強くなる前だった。それでも双葉山に7回以上対
戦して2勝した力士の一人である。昭和16年夏場所
に横綱双葉山から金星をあげている。しかし、立ち
合いはペテン立ちだった。立つと見せかけ、待った
のそぶりのように見せ、相手が力を抜いたところを
立ったのである。双葉山は相手が立てばいつでも立
つ人だった。
両國9勝2敗
両國は改名する以前は瓊ノ浦であった。双葉山が新
入幕のときから対戦していた。69連勝以前3勝1敗
であった。そして69連勝は瓊ノ浦にうっちゃりで勝
って始まった。69連勝中は5勝であった。双葉山の
連勝が69でストップした昭和14年春場所、双葉山は
悪夢のごとく3連敗している。そのうちの2敗目が
両國であった。決まり手はうっちゃりであった。双
葉山は大陸の巡業中にアメーバ赤痢にかかり体調は
万全ではなかった。この場所4敗している。
鹿嶋洋7勝2敗
鹿嶋洋との対戦は、すべて双葉山が横綱のときであ
る。安藝ノ海に69連勝でストップされた後両國に負
け、そして鹿嶋洋に下手投げで負け、3連敗をきっ
している。これが初顔だった。その1年5カ月後の
場所で双葉山は押し出しで敗れている。ともに金星
であった。鹿嶋洋は幕内在位17場所で最高位前頭筆
頭で終わっている。
豊嶋5勝2敗
豊嶋は立ち合いの出足鋭く、押しの威力に定評があ
った。双葉山の横綱時代に対戦があり、7回対戦が
あった。最初と最後の対戦で勝って2勝している。
双葉山は豊嶋にとって安心して思い切ってあたれる
対戦相手であった。負けた相撲でもかなり押し込ん
だことがあった。昭和20年3月の空襲で帰らぬ人と
なった。
櫻錦5勝2敗
櫻錦は春秋園事件で協会を脱退した天竜の関西力士
団に入門した力士であった。すべて横綱双葉山との
対戦であった。初顔できっぷのいい相撲で勝ってい
る。1年経過した2場所後、けたぐりの奇襲で再び
勝っている。しかし双葉山の体には触れておらず、
とび違いの結果であった。双葉山の右目は見えなく
なっていたため右への動きは視界から消えていた。
双葉山の69連勝は2023年の1月で84年経過する。そ
れでいて、いまだに誰にも破られていない。大変な
偉業であった。
(この項目終わり)