笠置山17勝
「双葉山に勝ったらその場で引退してもいい」と言
っていた笠置山だったが、ついに1度も勝てずに終
わった。笠置山は当時珍しく早稲田大の学生出身だ
った。大学へは出羽海部屋から通っていた。インテ
リで、文章を書かせたら見事なできであった。後年
元双葉山の時津風理事長のもとで協会のスポークス
マン役を務めていた。「勘ちゃん(笠置山の本名=
勘治)は理屈で勝とうというんだもの。そうはいか
ないよ」と元双葉山はおかしそうに語っていた。
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出羽湊15勝
双葉山と10回以上対戦して1度も負けなかった対戦
相手に出羽湊がいる。双葉山の69連勝がストップし
た場所に漁夫の利で優勝した。もっとも横綱・大関
との対戦はなかった。双葉山の連勝前に1勝。69連
勝中に4勝。69連勝後に10勝している。右四つ十分
だが、双葉山にとっては二十分であった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/11/双葉山7!・.jpg)
相模川10勝
今日(こんにち)春日野部屋の力士といえば栃を頭
につける傾向がある。それは元栃錦の春日野の代か
ら始まったことである。元栃木山の春日野は、それ
にこだわることはなかった。相模川もそうだし、ほ
かに鹿嶋洋、神東山、因州山、大江戸、若鳴門など
がいた。相模川はすべて69連勝後の対戦であった。
そして双葉山最後の対戦相手でもあった。昭和20年
夏場所初日相模川と対戦したあと、双葉山は休場し
た。翌場所全休して引退した。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/11/『相模川』.jpg)
綾昇11勝3敗
1敗は不戦敗であり実質2敗である。1敗は双葉山
が強くなる前だった。それでも双葉山に7回以上対
戦して2勝した力士の一人である。昭和16年夏場所
に横綱双葉山から金星をあげている。しかし、立ち
合いはペテン立ちだった。立つと見せかけ、待った
のそぶりのように見せ、相手が力を抜いたところを
立ったのである。双葉山は相手が立てばいつでも立
つ人だった。
両國9勝2敗
両國は改名する以前は瓊ノ浦であった。双葉山が新
入幕のときから対戦していた。69連勝以前3勝1敗
であった。そして69連勝は瓊ノ浦にうっちゃりで勝
って始まった。69連勝中は5勝であった。双葉山の
連勝が69でストップした昭和14年春場所、双葉山は
悪夢のごとく3連敗している。そのうちの2敗目が
両國であった。決まり手はうっちゃりであった。双
葉山は大陸の巡業中にアメーバ赤痢にかかり体調は
万全ではなかった。この場所4敗している。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/11/ 瓊ノ浦.jpg)
鹿嶋洋7勝2敗
鹿嶋洋との対戦は、すべて双葉山が横綱のときであ
る。安藝ノ海に69連勝でストップされた後両國に負
け、そして鹿嶋洋に下手投げで負け、3連敗をきっ
している。これが初顔だった。その1年5カ月後の
場所で双葉山は押し出しで敗れている。ともに金星
であった。鹿嶋洋は幕内在位17場所で最高位前頭筆
頭で終わっている。
豊嶋5勝2敗
豊嶋は立ち合いの出足鋭く、押しの威力に定評があ
った。双葉山の横綱時代に対戦があり、7回対戦が
あった。最初と最後の対戦で勝って2勝している。
双葉山は豊嶋にとって安心して思い切ってあたれる
対戦相手であった。負けた相撲でもかなり押し込ん
だことがあった。昭和20年3月の空襲で帰らぬ人と
なった。
![](https://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2022/11/桜錦・磐石2種.jpg)
櫻錦5勝2敗
櫻錦は春秋園事件で協会を脱退した天竜の関西力士
団に入門した力士であった。すべて横綱双葉山との
対戦であった。初顔できっぷのいい相撲で勝ってい
る。1年経過した2場所後、けたぐりの奇襲で再び
勝っている。しかし双葉山の体には触れておらず、
とび違いの結果であった。双葉山の右目は見えなく
なっていたため右への動きは視界から消えていた。
双葉山の69連勝は2023年の1月で84年経過する。そ
れでいて、いまだに誰にも破られていない。大変な
偉業であった。
(この項目終わり)