大相撲

双葉山の陰に隠れた男達

2016年10月21日

不世出の名力士、無敵と称されたのが双葉山
である。双葉山といえば69連勝が思い浮かぶ
ほど直結したイメージがある。その69連勝は
77年以上経った今も、破られていない。大鵬、
千代の富士、白鵬と優勝回数ビッグ3が挑ん
だが、及ばなかった。
双葉!
<双葉山のブロマイド>
 
そんな双葉山がもつ記録に優勝12回がある。
これは年2場所時代の最高記録である。最初
の優勝から最後の優勝まで、優勝を逃したの
はわずか3場所しかない。それほど優勝を
独占してきた双葉山だが、双葉山がいたため
優勝できなかった力士がいた。誰か。それを
示したのが以下の表である。なお、次点は
横綱・大関との対戦がない平幕の成績を除い
てある。 同成績は番付上位を掲載してある。
双葉!A
双葉山と対戦した強敵に前期に玉錦、後期に
照國がいる。しかし、両者とも全盛期が双葉
山とずれていた。そのため、2回しか名前が
出てこない。玉錦は特に打倒双葉に燃えたが、
かなわぬこととなってしまった。昭和13年12
月、巡業中に玉錦は急性虫垂炎に襲われた。
しかし、玉錦は腹痛を冷え腹と決め込み、治
療にあたらなかった。そのため手遅れになり、
帰らぬ人になってしまった。双葉山5回目の
優勝の年であった。
羽黒山 
<羽黒山のブロマイド>
 
双葉山の陰に隠れた最大の力士は羽黒山で
ある。羽黒山は双葉山の弟弟子のため、対戦
することはなかった。対戦していれば負けて
いた可能性もあるが、「ひょっとしたら、羽黒山
は双葉山より強いのでは」という声もあった。
羽黒山が大関に昇進したのは双葉山が7回目
の優勝をしたときであり、横綱に昇進したのは、
双葉山が9回目の優勝のときである。

双葉山健在のとき、羽黒山は好成績をあげ
ながら、優勝できなかった。それが運命と
いえばそれまでだが、双葉山が土俵を去った
あと、羽黒山は4連覇を達成している。遅れ
ばせながら、羽黒山が強者であったことを
証明している。

来年の1枚刷りカレンダーは大勢の力士が
描かれた錦絵である。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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