大相撲

あえて勝敗を問わなかった双葉山

2015年1月30日

白鵬の騒動はすっきり止む気配はない。むしろ様々な
問題を浮き彫りにした。あらためてこの問題はあらゆる
角度から取り上げる予定だが、ここでは双葉山の土俵に
取り組む姿勢がいかに白鵬と異なるか記したい。

双葉山という力士はおよそ勝つために、奇襲や対戦相手の
裏をかくようなことはしなかった。幕内上位では横綱
玉錦をはじめ、大関武蔵山、男女ノ川、清水川に来る日も
来る日もはねかえされていた。あまりの連戦連敗に奇策を
進言する者もいたが、双葉山は「相手との実力差が以前
より縮まっているのを肌で感じています」と答えている。
この感覚はまともにぶつかる取り口でなくてはわからない。
そしていったん勝ちだすともう負けなかった。

玉錦  ●●●●●●○○○○
武蔵山 ●●●×●○○
男女ノ川●●●●●○○○○○○○○○○
清水川 ●●●○●○○○○
×は引き分け
双葉山ブロマイド3
<双葉山のブロマイド>
 
双葉山にとって最大の強敵は横綱玉錦だったが、初勝利が
覇者交代の一番となった。1936(昭和11)年夏場所(5月)
関脇のときである。このとき双葉山は初優勝。玉錦はこれ
以降優勝することはなかった。

1月23日の「■初12日目 白鵬は偉大な双葉山に迫れる
か」において双葉山が求めたものは、相手から得られる
勝利でもなく、観客の賞讃でもなかったということを紹介
した。再び小坂秀二著がちんこ相撲-だれが現代の
双葉山か-いんなとりっぷ社刊より双葉山がいかに勝敗に
とらわれなかったというエピソードを紹介する。
双葉山ブロマイド7
<双葉山のブロマイド>
 
かつて双葉山はこう語ったことがあった。「物言いが
ついたとき、土俵下におりて判定を待っているが、あの
ときの力士の姿は美しくて大好きだ」力士は、ただ全力を
つくして相撲を取ればよし、勝敗は他に任せてあえて
これを問わず、という双葉山の土俵哲学がよくあらわれて
いる言葉だ。こういう心境で土俵にあがっていたので、
双葉山の土俵態度は実に淡々としていた。
がちんこ相撲
<がちんこ相撲-だれが現代の双葉山か-
小坂秀二著 いんなとりっぷ社刊>
 
どこからいっても勝てない、だれがぶつかっても勝てない
という時代の双葉山に対しては、ありとあらゆる攻略法が
試みられたが、高ぶる様子もなければ、臆する気配もない。
無駄もなければすきもないというものであった。

白鵬は双葉山には遠く及ばない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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