立行司とは|木村庄之助と式守伊之助の違い、どちらが上か、襲名の順番。空位8年10カ月から復活までを田口の記事で追う【2026年9月時点】

立行司(たてぎょうじ)とは行司の最高位で、木村庄之助と式守伊之助の2人だけを指す。上が木村庄之助、次が式守伊之助。日本相撲協会の案内は、最高位の行司が木村庄之助を、その次が式守伊之助を名乗り、この2人を立行司と呼ぶと書き、その日の結びの一番を裁くのは木村庄之助だけ、横綱の取組を裁けるのは立行司だけとしている。襲名の順番は、協会の行司プロフィールにある「行司名履歴」で確かめられる。現在の木村庄之助の履歴は「式守伊之助→木村庄之助」で終わり、現在の式守伊之助の履歴は「木村庄太郎→式守伊之助」で止まっている(2026年9月18日取得)。庄之助は2015年三月場所のあと空位が続き、2024年一月場所に約8年10カ月ぶりに復活した。この経緯は相撲記者・田口 通廣が記事で追っている。

出典: 日本相撲協会 英語版案内「SUMO」行司プロフィール(木村庄之助)同(式守伊之助)(いずれも2026年9月18日取得)。行司全体の階級・42人の一覧・房の色は相撲の行司とはへ。

目次

木村庄之助と式守伊之助の違い|どちらが上か、何が同じか

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2つの名跡の違いは、協会が公表している範囲では思ったより少ない。装束の色も足元も持ち物も、立行司として同じ扱いである。違うのは序列と、その日の結びの一番を誰が裁くかだ。協会の英語版案内と、行司プロフィール2枚に書かれていることだけを並べる。

木村庄之助式守伊之助
序列行司の最高位庄之助に次ぐ位置
結びの一番裁く(協会の案内は「木村庄之助だけ」と書く)
横綱の取組立行司だけが裁ける(2人とも)
軍配の房の色紫、または紫白。協会の案内は「立行司は紫か紫白」とまとめて書いており、2人をどう分けるかは書いていない
足元・持ち物白足袋に草履。軍配のほか短刀を差し、印籠をつける(短刀は立行司だけ、印籠は三役行司以上)
中入りの翌日取組披露協会の観戦案内は「立行司による」とだけ書く。田口は2017年一月場所13日目に「式守伊之助の顔ぶれ言上によると」と記録している(■初 13日目 次々と消える対戦相手・2017-01-20)
立行司になる直前の名(現職)木村容堂→式守伊之助→木村庄之助木村庄太郎→式守伊之助
現職の本名洞澤 裕司森田 善光
生年月日(年齢は協会の表記)昭和36年10月30日(64歳)昭和38年9月12日(63歳)
出身地東京都府中市神奈川県横浜市鶴見区
所属部屋九重春日野
採用年月昭和52年10月昭和54年9月
上6行は日本相撲協会の英語版案内「SUMO」(sumo_introduction.pdf)の「The Gyoji and The Shimpan」と観戦案内「土俵上のタイムスケジュール」、下6行は同「行司プロフィール」より。いずれも2026年9月18日取得。年齢は取得時点の協会の表示値をそのまま写した

「どちらが上か」の答えは木村庄之助である。ただし協会の案内で分かれているのは序列と結びの一番の2点で、房の色や短刀の有無で2人を見分けることはできない。土俵で見分けるなら、結びの一番を裁いているのが庄之助、その前の横綱戦を裁いているのが伊之助、という順番で見るのがいちばん確かだ。

襲名の順番|式守伊之助を務めてから木村庄之助になる

協会の行司プロフィールには「行司名履歴」という欄があり、入門から今までに名乗った行司名が矢印で並んでいる。現職2人の履歴を並べると、襲名の順番が読める。

現職行司名履歴(協会の表記のまま)
木村庄之助木村 裕司→木村 恵之助→木村 恵乃助→木村 武蔵→木村 恵之助→木村 容堂→式守 伊之助→木村 庄之助
式守伊之助木村 春男→木村 春夫→木村 善之輔→木村 庄太郎→式守 伊之助
日本相撲協会「行司プロフィール」(19861987)より、2026年9月18日取得。太字は当サイトが付けた

現在の庄之助は、式守伊之助を務めたあとに木村庄之助を襲名している。現在の伊之助はまだ庄之助になっていない。2人とも立行司になる前は木村姓で、伊之助を継ぐときに式守姓へ変わっている。庄之助と伊之助のどちらが上かは、この2行だけで分かる。

同じ順番は、ひとつ前の庄之助でも起きている。田口は2023年12月に「きたる一月場所から伊之助が庄之助に昇格する。伊之助になったのは2019年一月場所からだから5年務めたことになる」と書き(2023年大相撲10大ニュース 10位・9位(2023-12-19))、翌年2月に「一月場所から木村庄之助が登場した」と記録した(2024年2月大相撲ショート(2024-02-07))。協会の履歴と田口の記事、別の2人について同じ「伊之助→庄之助」の順番が確かめられる。

ただし、伊之助が自動的に庄之助へ上がるわけではない。それは次の節の、庄之助が8年10カ月いなかった時期が示している。現職2人がそれぞれの名跡をいつ継いだかは、協会プロフィールにも田口の記事にも無いので、ここには書かない。

紫白の房の軍配を構える立行司・式守伊之助(2023年、のちの木村庄之助)
田口 通廣撮影。2023年10月2日の記事「大相撲から消えたモノ」に「<伊之助から庄之助へ>」の説明で掲載した写真で、写っているのは当時の式守伊之助。この人物が2024年一月場所から木村庄之助を襲名した。上の表の現職2人とは別の人物である。写真:田口 通廣(撮影)

「木村庄之助はなぜいない」と言われた8年10カ月|空位から復活までの年表

「木村庄之助はなぜいない」という検索は、庄之助が長く空位だった時期の名残である。協会の公式サイトには名跡の空位を記録したページが無い。田口はその期間を、記事の中で何度か書き留めている。並べると、空位の始まりから復活までが日付つきでたどれる。

時期何が起きたか(田口の記述)出典(田口の記事)
2015年三月場所木村庄之助が定年を迎える。「2015年三月場所…が最後である。鶴竜が横綱になって6場所目のときである」相撲界から消えたモノ(2023-02-10)
2015年五月場所の番付「先場所で定年になった庄之助は空位のままになった」番付素朴な疑問(2015-04-27)
2019年一月場所のちに庄之助となる行司が式守伊之助になる(「伊之助になったのは2019年一月場所から」)2023年大相撲10大ニュース 10位・9位(2023-12-19)
2023年2月「木村庄之助が消えてから久しい」「それから8年、木村庄之助は誕生していない」「現在の伊之助が木村庄之助になるかというと、それは難しそうである」相撲界から消えたモノ(2023-02-10)
2023年10月伊之助が庄之助になると伝える。「伊之助は来年の9月で定年である。最後の1年だけの庄之助となるわけである。実に意外なカタチで庄之助が復活することになった」大相撲から消えたモノ(2023-10-02)
2023年12月年間10大ニュースの10位に「伊之助まさかの庄之助昇格」。5年の伊之助時代に「差し違い11回、力士と接触があった。土俵下の転落もあった」。「約8年10カ月の空白を経て庄之助が登場する」2023年大相撲10大ニュース 10位・9位(2023-12-19)
2024年一月場所「一月場所から木村庄之助が登場した」「約8年10カ月の空白を経ての登場だった。ただし、今度の庄之助は9月で定年である。花道論の庄之助誕生だった」2024年2月大相撲ショート(2024-02-07)
2024年五月場所4日目豊昇龍対平戸海で「庄之助も激しい動きの中で転倒しながらうちわを東にあげた」■24夏4日目 大関三者三様(2024-05-15)
2024年9月田口の記述ではこの庄之助の定年。退いた日を記した田口の記事は見あたらない40869・42160(上と同じ)
2026年9月18日協会「行司一覧」に木村庄之助(洞澤裕司)と式守伊之助(森田善光)が立行司として載っている日本相撲協会「行司一覧」
田口 通廣の記事から当サイトが拾って並べた年表(記事にある記述だけで、全件ではない)。「差し違い11回」「約8年10カ月」は田口の記述で、当サイトが数え直したものではない。最終行だけ協会の一覧による

2024年に定年を迎えた庄之助と、現在の庄之助は別の人物である。現在の庄之助は協会プロフィールで64歳(2026年9月18日取得時点)で、2024年9月には62歳だったことになるので、65歳定年には当たらない。これは協会の生年月日から当サイトが逆算した読みで、田口の記事に「別人」と書いてあるわけではない。「木村庄之助はなぜいない」への時点をそろえた答えは、2015年三月場所のあとから2024年一月場所までは確かにいなかったが、2026年9月18日時点では在籍している、になる。

空位が8年10カ月も続いた理由を、協会は説明していない。田口は2023年2月の時点で、当時の伊之助が庄之助になるのは難しそうだと見ていて、10月に昇格が決まったときには「差し違いが多く、力士との接触をよくするなど庄之助にふさわしくなかったからである」と、それまでそう見ていた理由を書いている(大相撲から消えたモノ(2023-10-02))。伊之助が庄之助になるかどうかは順番だけでは決まらない、という見方が田口の記事には一貫している。

定年が名跡を動かす|65歳と、導入の時期が記事で1年ずれていること

2015年の空位も2024年の復活も、きっかけは庄之助の定年だった。行司の定年は65歳で、親方・呼び出しと同じである(大相撲〇〇の始まり(2025-10-19))。田口によれば65歳定年は昭和34年9月に決まり、「当時の木村庄之助・式守伊之助ら行司5人が該当することになった」という。

実施の時期は田口の記事どうしで1年ずれている。理事長の任期2(2024-02-20)は「行司の定年は昭和35年1月に実施された」とし、翌年1月に年寄・若者頭・世話人・呼び出し・床山・事務員にも及んだと書く。一方、上の「大相撲〇〇の始まり」と元横綱の親方定年模様1(2019-02-21)は昭和36年1月からとしている。当サイトはどちらかに決めず、両方を示す。協会の定年規程の原本には当たっていない。

定年まで務め上げた庄之助については、田口が「筆者は…木村庄之助の定年祝いにかけつけたことがある。これはぶじ務めあげたお祝いとして開催されたものである」と書いている(同・18753)。どの庄之助かは記事に代数で書かれているが、協会に歴代の一覧が無いため、当サイトは代数を転記しない。

立行司の仕事と失敗|田口の観戦記に残る結びの一番

立行司は結びの一番と横綱の取組を裁くので、その判定が問われる場面は年に何度も観戦記に出てくる。田口の記事から、立行司(庄之助・伊之助)が当事者になった回を拾った。同じ行司の判定でも、正しかった回と、くつがえった回、土俵下へ落ちた回がある。相撲の行司とはに載せた6件(2022年七月場所8日目〜2026年七月場所6日目)とは別の回を中心にした。

場所・日取組立行司に何が起きたか(田口の記述)出典(田口の記事)
昭和13年春場所9日目双葉山 対 両國軍配は双葉山。控えの玉錦が物言い。「行司伊之助は土俵下の検査役(のちの審判)に見解を聞いてまわった。当時、検査役が土俵中央て協議する習慣はなかった」(原文のまま)。26分の大物言いの末に取り直し歴史的瞬間!連勝ストップ3(2020-04-04)
昭和50年七月場所初日北の湖 対 高見山「立行司木村庄之助は北の湖にはき手があったとみて高見山に軍配をあげた」。高見山が力を抜いたところを北の湖が寄り切り、協議でははき手なし。やり直しに続大相撲冬の時代脱却へ 2012年10大ニュース(2015-10-19)
2012年十一月場所9日目日馬富士 対 豪栄道土俵下の審判が手を挙げ、「立行司の伊之助が慌てて勝負を止める」。横綱の足は出ておらず、やり直し。行司ではなく審判の側の誤り同上(17591)
2019年一月場所5日目白鵬 対 錦木(結び)「行司伊之助は錦木に上がるも物言いがついた」。取り直しの一番では「伊之助が東土俵下に転落しながらうちわを上げるおまけつきとなった」■初 5日目 白鵬の相撲に乱れ(2019-01-17)
2021年三月場所千秋楽正代 対 朝乃山(結び)「伊之助が土俵下に転落して負傷。急遽玉治郎が土俵に上がって勝ち名のりをあげるハプニングがあった」■三月千秋楽 照ノ富士が大関復帰を優勝で飾る(2021-03-28)
2022年七月場所8日目照ノ富士 対 若元春(結び)若元春のまわしがほどけ「伊之助はまわし待ったをした。それを見て照ノ富士は力を抜いた。そこを若元春が東土俵に寄り切ってしまった」。長い協議の末、まわし待ったの体勢から再開。田口はこの年の10大ニュース3位に置いた2022年大相撲10大ニュース 4位・3位(2022-12-19)
2023年七月場所8日目霧島 対 翠富士「伊之助、霧島のまわしをなかなか締められず、呼出が助人に入る場面があった」■23名8日目 暗転の新大関霧島(2023-07-16)
2024年五月場所4日目豊昇龍 対 平戸海「庄之助も激しい動きの中で転倒しながらうちわを東にあげた」。復活した庄之助が裁いた回■24夏4日目 大関三者三様(2024-05-15)
田口 通廣の記事から当サイトが拾った実例(全件ではない)。「伊之助」「庄之助」は各記事の時点の立行司で、記事によって別の人物である。昭和期の2件は田口が記事で振り返ったもので、田口が現場で見たとは書かれていない

立行司が土俵下へ落ちたときの扱いも、この表に出ている。2021年三月場所千秋楽は伊之助が負傷し、別の行司が土俵に上がって勝ち名乗りを上げた。勝負がついたあとに行司が務めを果たせなければ、次の行司が引き継ぐ。協会の案内には書かれていない運用で、田口の観戦記だけが残している。

2022年七月場所8日目のまわし待ったは、田口の中では翌年の「伊之助まさかの庄之助昇格」につながる出来事として書かれている。判定の失敗そのものは相撲の取組進行の用語まとめの物言い・取り直しの項に、物言いをつける審判部の顔ぶれは相撲の審判員 一覧にある。

立行司は協会の側に立つ|田口の記事にある3つの場面

立行司の位置づけを示す場面が、田口の相撲史の記事に3つある。どれも協会の案内には無い。

1923年(大正12年)の三河島事件では、力士会が協会に待遇改善を求めて立てこもったとき、「代表大錦の横綱・大関と立行司2人が調停にはいったが、力士会の反感を買った」と田口は書いている(出羽海の系統4(2015-04-19))。続く記事では「調停にあたった横綱・大関・立行司7人」とある(出羽海の系統5(2015-04-21))。立行司は力士会の側ではなく、横綱・大関とともに協会と力士のあいだに立った。

昭和29年(1954年)の雑誌に載った協会の理事10人の中に「立田川 木村庄之助(時津風部屋)」の名がある。田口は「当時は行司も年寄になれた」と添えている(72年前の協会組織(2026-06-20))。今の行司一覧に年寄名は無いので、これは当時の仕組みである。

相撲教習所の卒業試験を紹介した記事では、解答例として「横綱免許や立行司昇格のさい、故実を授ける相撲の宗家」が挙がる(43年前の相撲教習所の卒業試験(2016-04-14))。立行司への昇格が横綱免許と並ぶ格の出来事として扱われていたことが、この一行から読める。宗家の名と現在の扱いは記事の範囲を超えるので書かない。

立行司についてよくある質問

Q. 木村庄之助と式守伊之助はどちらが上ですか?
木村庄之助が上です。協会の英語版案内は、最高位が木村庄之助、その次が式守伊之助と書いています。現在の庄之助の行司名履歴は「式守伊之助→木村庄之助」で終わっており、伊之助を務めたあとに庄之助を襲名しています(2026年9月18日取得)。

Q. 木村庄之助と式守伊之助の違いは何ですか?
協会の案内で分かれているのは、序列と「結びの一番を裁くのは庄之助だけ」の2点です。房の色(紫または紫白)、白足袋に草履、短刀と印籠は立行司として2人とも同じです。

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Q. 立行司とは何ですか?何人いますか?
行司の最高位で、木村庄之助と式守伊之助の2人です。横綱の取組を裁けるのは立行司だけで、中入りには翌日の取組を披露します。2026年9月18日時点の協会「行司一覧」でも立行司は2人です。

Q. 現在の木村庄之助と式守伊之助は誰ですか?
2026年9月18日時点で、木村庄之助は洞澤裕司氏(九重部屋・採用は昭和52年10月)、式守伊之助は森田善光氏(春日野部屋・採用は昭和54年9月)です。協会の行司プロフィールに載っています。それぞれの名跡を継いだ時期は協会プロフィールに無いので書いていません。

Q. 木村庄之助はなぜいなかったのですか?
2015年三月場所の庄之助が定年で退いたあと、2024年一月場所まで約8年10カ月空位でした(田口 通廣の記事による)。協会は理由を公表していません。田口は、当時の伊之助が庄之助になるのは難しそうだと見ていた理由として、差し違えの多さなどを挙げています。2026年9月18日時点では在籍しています。

Q. 立行司の短刀は本物ですか?なぜ差しているのですか?
協会の英語版案内は「立行司だけが短刀を持つ」とだけ書いていて、理由や刀の材質には触れていません。田口の記事にも無いので、当サイトは書きません。

Q. 立行司の定年は何歳ですか?
65歳です。田口の記事では、65歳定年は昭和34年9月に決まり、当時の木村庄之助・式守伊之助ら行司5人が該当したとあります。実施の時期は記事によって昭和35年1月と昭和36年1月に割れています。

Q. 立行司の給料はいくらですか?
協会が公表しているのは役員の報酬規程だけで、行司の給与は公表されていません。当サイトは出典のない金額を書きません。

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出典と取得日

日本相撲協会 英語版案内「SUMO」(sumo_introduction.pdf)(立行司の定義・序列・結びの一番・横綱の取組・房の色・短刀と印籠)/同「行司プロフィール」木村庄之助同 式守伊之助(本名・生年月日・出身地・所属部屋・採用年月・行司名履歴)/同「行司一覧」(立行司2人の格付)/同 観戦案内「土俵上のタイムスケジュール」(中入りの翌日取組披露)。いずれも2026年9月18日取得。田口 通廣の記事は本文中に記事名・公開日を添えてリンクした。歴代の庄之助・伊之助の代数、現職2人が名跡を継いだ時期、行司の給与、短刀を差す理由は、協会の一次資料で確認できなかったため書いていない。

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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