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歴史的瞬間!連勝ストップ3

■双葉山2

新大関として迎えた昭和12年春場所は、空前
の人気で迎えた。初日、開場が午前0時半。
ほかの日でも開場午前3時、7時には満員
札止めがあったほどである。3横綱3大関
の顔ぶれに加えて新大関鏡岩、新関脇に出羽
湊・笠置山であった。特に先場所優勝した
双葉山の人気はすさまじかった。

<双葉山のブロマイド>

双葉山は初日から6連勝。第一人者の横綱
玉錦6連勝。この時点で玉錦のほうが実力は
上という見方が大勢であった。ところが、
玉錦は6日目の磐石戦で土俵下に落ちたとき、
骨にひびがはいり、翌日から休場となった。
双葉山対玉錦戦は消滅してしまった。双葉山
はまたも11戦全勝優勝で27連勝となった。
同じ全勝でも強さ、取り口は違ってきていた。
相手を寄せつけない相撲であった。

大関2場所目、この場所(昭和12年夏場所)
から13日制になった。とどまるところを知ら
ない双葉山人気に応えたモノであった。連続
全勝優勝した双葉山を見る目は違ってきて
いた。綾川にはいなされ、危うかった。和歌
島とは投げの打ち合いになり、わずかの差で
勝った。九州山は風車あるいは水車と異名を
とる突っ張りで攻めたて、双葉山の右手首を
取り、右差しを封じて寄っていった。双葉山
はこれをしのぎきった。横綱玉錦は高熱を
おしての出場であったため、双葉山と勝負に
はならなかった。双葉山は3場所連続全勝
優勝で40連勝となり、横綱に昇進した。

<両國のブロマイド>

双葉山の連勝に危機があったのは、新横綱の
場所昭和13年春場所であった。9日目両國
(前名瓊ノ浦)戦でそれは起こった。相撲は
こう展開した。両國は右、左と入ってもろ
差し。得意のやぐら投げを打つが、双葉山は
くずれない。逆に双葉山がやぐらにふると、
両國はこらえるが、東土俵に詰まる。双葉山
が寄り立てると両國はうっちゃり気味に振る
と双葉山の右足が大きく踏み出しかけたが、
両國の体勢も死に体で土俵下になだれ落ちた。
軍配は双葉山にあがった。

<昭和の大相撲(ティビーエス
ブリタニカ刊より>

「双葉山に踏み越しあり」と物言いをつけた
のは東土俵下控えの玉錦であった。当時、
控え力士が物言いをつけることは、珍しく
なかった。同じく東土俵下に控えていた男女
ノ川が玉錦に同調した。行司伊之助は土俵下
の検査役(のちの審判)に見解を聞いてまわ
った。当時、検査役が土俵中央て協議する
習慣はなかった。

<玉錦のブロマイド>

このとき検査役は土俵下に集まり、東土俵の
蛇の目を確認していた。玉錦、男女ノ川が
強硬で26分にも及ぶ大物言いとなった。対戦
相手の両國が支度部屋に引き上げて、再び
登場するほどであった。2019年五月場所、
栃ノ心対朝乃山戦で栃ノ心に踏みこしがあっ
たか否かの物言いの比ではないことがおわ
かりいただけるのではないだろうか。結局
取り直しとなり、今度は双葉山が吊り出しで
勝った。千秋楽は玉錦を上手投げで決めて、
4場所連続全勝優勝で53連勝とした。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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