相撲の行司とは|階級と装束の色・軍配と持ち物・立行司の襲名、全42人の一覧【2026年9月】

行司(ぎょうじ)とは、土俵上で取組を裁き、力士の呼び上げから勝敗の判定までを担う相撲の審判役のこと。手にした軍配で東西の勝ち力士を指し示す。装束や軍配の房の色で階級が分かれ、その頂点が「木村庄之助」と「式守伊之助」の名を継ぐ立行司である。現在、協会に在籍する行司は42人である。階級は8段階で、軍配の房の色(紫・紫白/朱/紅白/青白/青・黒)と足元で見分けられる。立行司2人の行司名履歴は協会の公式プロフィールで確認でき、現在の木村庄之助は式守伊之助を経て襲名している(2026年9月18日時点)。

取組が始まる前、力士の名を朗々と呼び上げ、立ち合いの呼吸を見極め、勝負がついた瞬間に軍配を返す。土俵の上でこの一連を担うのが行司だ。観客の視線は力士に集まるが、ひとつの取組を成立させているのは、その傍らで動き続ける行司の所作でもある。この記事では、行司の役割、階級と装束の見分け方、軍配と差し違え、そして頂点に立つ立行司までを、日本相撲協会の規定で確認できる範囲で整理する。

目次

行司の役割:呼び上げから勝負の裁きまで

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行司の仕事は、勝敗を告げることだけにとどまらない。取組に入る前、東西の力士を順に呼び上げる。仕切りの間合いを計り、制限時間を管理する。立ち合いが成立すれば取組を見守り、勝負がつけば軍配を勝った側へ返す。ひとつの取組を「始め、進め、収める」までを土俵上で一人で受け持つ。

この管理は、観客が思う以上に細かい所作に表れる。土俵下の運営に長く立ち会ってきた田口 通廣は、仕切りの制限時間が来たかどうかは行司の足を見れば分かると記している。制限時間が来る前、行司は片足を前に出して構える。制限時間いっぱいになると、両足を開く。この足が開いたとき、力士は立ち上がる。呼び出しの動きを見逃しても、行司の下半身を見れば仕切りの段階が読めるという、観戦現場で確かめられた所作だ。

勝負がつくと、行司は迷わず軍配を片側に返さなければならない。引き分けや預かりが原則として認められない大相撲では、行司はその場で必ずどちらかに軍配を上げる。この「必ず判定を下す」という前提が、後述する差し違えという緊張を生む。

行司の階級と装束:色で読む格の序列

行司には力士と同じように番付がある。下位から順に上がっていく階級制で、装束(直垂・烏帽子)や履き物、軍配の房(菊綴じ)の色合いで格の違いが見分けられる。下位ほど色が地味で、上位になるほど格式の高い色が許される。下位の行司は素足だが、十両格以上で足袋が許され、三役格になると草履を履く。階級ごとの細部は時代によって運用が変わる部分もあるため、ここでは協会が定める序列の骨格を表で示す。

階級(上から)位置づけ足元の目安
立行司行司の最高位。木村庄之助・式守伊之助の名を継ぐ草履
三役格行司立行司に次ぐ上位。三役以上の取組を裁く草履
幕内格行司幕内の取組を裁く足袋
十両格行司十両の取組を裁く。足袋が許される足袋
幕下格以下幕下・三段目・序二段・序ノ口を担当素足

房の色は格の指標になるが、何色がどの階級に対応するかという細部は断定を避けたい。確かなのは、色そのものが「その行司がどの地位にあるか」を観客に示す記号として機能している点だ。土俵の上で誰が裁いているのか、装束と足元を見れば、その取組の格がおおよそ読めるようになっている。

上の段落を書いた時点では房の色の対応を確かめられなかったが、その後、日本相撲協会が英語で出している案内「SUMO(sumo_introduction.pdf)」の「The Gyoji and The Shimpan」の見開きに、軍配の房の色と階級の対応が図入りで載っていることを確認した(2026年9月18日取得)。英語の色名を当サイトが日本語にして表にする。足元と持ち物も同じ見開きの記述に基づく。

階級軍配の房の色(協会英語版の色名)足元持ち物
立行司紫、または紫白(purple / purple and white)白足袋に草履軍配・短刀・印籠
三役行司朱(vermilion)白足袋に草履軍配・印籠
幕内行司紅白(red and white)白足袋軍配
十両行司青白(blue and white)白足袋軍配
幕下行司以下(幕下・三段目・序二段・序ノ口)青、または黒(blue or black)素足軍配
軍配の房の色・足元・持ち物の対応。出典=日本相撲協会「SUMO」英語版案内(sumo_introduction.pdf・2026年9月18日取得)。短刀は立行司だけ、印籠は三役行司以上と記されている。幕下以下の4階級は案内では「the ranks below(それより下の階級)」としてまとめて書かれている

同じ案内には、行司の装束は鎌倉時代の武士の衣装にならったもので、黒い紗の烏帽子は神職の冠に似ていること、横綱が出る取組を裁けるのは立行司だけで、その日の結びの一番を裁くのは木村庄之助であることも書かれている。行司の仕事として、本場所前に出る番付を「根岸流」と呼ばれる書体で書くことにも触れている。なお「なぜ立行司は短刀を差すのか」の理由は、この案内には書かれていない。当サイトは協会と田口 通廣の記述で確認できる範囲だけを書く。

行司の一覧|現在42人の格付と所属部屋(2026年7月時点・2026年9月18日に再照合)

協会に在籍する行司は42人。上から立行司2人、三役行司3人、幕内行司8人と続き、序ノ口行司まで8つの格付に分かれる。力士と同じで、下から上がっていく世界である。

格付(上から)人数
立行司2人
三役行司3人
幕内行司8人
十両行司9人
幕下行司8人
三段目行司7人
序二段行司2人
序ノ口行司3人
格付別の行司の人数(合計42人・2026年7月20日時点。2026年9月18日に協会「行司一覧」を取り直して当サイトが数え直し、各格付の人数に変更なし)

行司の名は「木村」と「式守」のいずれかを名乗る。現在は木村姓が28人、式守姓が14人である。立行司の二つの名跡も、木村庄之助と式守伊之助というように、それぞれの姓から一つずつ継がれている。

#行司名読み格付所属部屋一門
1木村 庄之助きむら しょうのすけ立行司九重部屋高砂
2式守 伊之助しきもり いのすけ立行司春日野部屋出羽海
3木村 晃之助きむら こうのすけ三役行司九重部屋高砂
4木村 寿之介きむら ひさのすけ三役行司大島部屋伊勢ヶ濱
5式守 勘太夫しきもり かんだゆう三役行司朝日山部屋伊勢ヶ濱
6木村 元基きむら もとき幕内行司湊部屋二所ノ関
7木村 秋治郎きむら あきじろう幕内行司春日野部屋出羽海
8式守 錦太夫しきもり きんだゆう幕内行司放駒部屋二所ノ関
9木村 要之助きむら ようのすけ幕内行司八角部屋高砂
10式守 鬼一郎しきもり きいちろう幕内行司追手風部屋時津風
11木村 朝之助きむら あさのすけ幕内行司高砂部屋高砂
12木村 庄三郎きむら しょうざぶろう幕内行司田子ノ浦部屋二所ノ関
13木村 光之助きむら みつのすけ幕内行司高田川部屋二所ノ関
14木村 行宏きむら ゆきひろ十両行司玉ノ井部屋出羽海
15式守 慎之助しきもり しんのすけ十両行司放駒部屋二所ノ関
16木村 吉二郎きむら きちじろう十両行司芝田山部屋二所ノ関
17木村 勘九郎きむら かんくろう十両行司山響部屋出羽海
18木村 千鷲きむら ちしゅう十両行司出羽海部屋出羽海
19木村 善之輔きむら ぜんのすけ十両行司春日野部屋出羽海
20木村 幸三郎きむら こうざぶろう十両行司八角部屋高砂
21木村 秀朗きむら ひであき十両行司玉ノ井部屋出羽海
22式守 与之吉しきもり よのきち十両行司荒汐部屋時津風
23木村 悟志きむら さとし幕下行司高砂部屋高砂
24木村 猿ノ助きむら えんのすけ幕下行司二所ノ関部屋二所ノ関
25式守 友和しきもり ともかず幕下行司大島部屋伊勢ヶ濱
26式守 輝乃典しきもり きのすけ幕下行司佐渡ヶ嶽部屋二所ノ関
27木村 一馬きむら かずま幕下行司西岩部屋二所ノ関
28木村 錦太郎きむら きんたろう幕下行司錦戸部屋高砂
29式守 正一郎しきもり せいいちろう幕下行司伊勢ヶ濱部屋伊勢ヶ濱
30木村 桜乃助きむら さくらのすけ幕下行司式秀部屋出羽海
31式守 誠輔しきもり せいすけ三段目行司伊勢ヶ濱部屋伊勢ヶ濱
32式守 辰之助しきもり たつのすけ三段目行司高田川部屋二所ノ関
33木村 成将きむら なりまさ三段目行司雷部屋出羽海
34木村 勝之介きむら かつのすけ三段目行司大島部屋伊勢ヶ濱
35木村 啓太郎きむら けいたろう三段目行司武蔵川部屋出羽海
36木村 龍之助きむら りゅうのすけ三段目行司九重部屋高砂
37木村 俊太きむら しゅんた三段目行司錣山部屋二所ノ関
38式守 昂明しきもり こうめい序二段行司鳴戸部屋二所ノ関
39式守 鬼三郎しきもり きさぶろう序二段行司時津風部屋時津風
40木村 裕之助きむら ゆうのすけ序ノ口行司田子ノ浦部屋二所ノ関
41式守 友三郎しきもり ともさぶろう序ノ口行司音羽山部屋時津風
42木村 先進きむら せんしん序ノ口行司立浪部屋出羽海
行司42人の一覧(2026年7月20日時点)。行司名・読み・格付・所属部屋は日本相撲協会公式「行司一覧」より。一門は所属部屋から導出。2026年9月18日に同じ一覧を取り直して42人全員を照合し、行司名・格付・所属部屋とも変更なし

この一覧は日本相撲協会「行司一覧」を2026年9月18日に取り直し、42人の行司名・読み・格付・所属部屋を1人ずつ突き合わせた。7月20日時点から変更はなかった。協会の一覧には各行司のプロフィールページ(本名・生年月日・出身地・採用年月・行司名履歴)へのリンクがあり、立行司2人のプロフィールは後述の「立行司」の節で表にした。

行司は力士と同じように相撲部屋に所属する。どの部屋に籍を置くかで一門も決まり、一門ごとの部屋の並びは相撲部屋 一門 相関図|全45部屋の一覧にまとめた。親方衆の名簿は相撲の親方一覧|全年寄104人にある。

軍配と差し違え:行司が下す判定の重み

行司が手にする軍配(軍配団扇)は、判定を可視化する道具だ。勝負がつくと、行司は勝った力士の側へ軍配を返す。ところが、土俵下の審判委員が行司の判定に疑問を持てば「物言い」がつく。審判委員が土俵に上がって協議し、結論によっては行司の軍配がくつがえる。行司が上げた側と逆の力士が勝ちとなれば、これが「差し違え」である。

判定をめぐる緊張は、歴史の節目にも刻まれている。大鵬が連勝記録を伸ばしていた一番で、行司は大鵬に軍配を上げたが物言いがつき、審判の協議の末に判定がくつがえった。この一番は、のちに勝負判定へビデオが導入される契機として語り継がれている。負けた力士本人が物言いをつけた珍しい例も記録に残る。昭和四十六年七月場所四日目、敗れた栃桜が審判委員に物言いをつけ、協議の結果、取り直しとなった。同年十一月場所五日目には大文字が物言いをつけたが、こちらは却下されている。

差し違えは、行司にとって最も避けたい結果だ。一瞬の見極めに、力士の星と自らの評価がかかる。だからこそ行司は、勝負がついた刹那に必ずどちらかへ軍配を返すという覚悟を、毎番求められている。

差し違えや物言いは、田口 通廣の観戦記に何度も出てくる。土俵上で行司がどちらに軍配を上げ、物言いの協議でどうなったかを、記事の日付とともに並べる。行司の判定が協議でくつがえった例と、行司が正しかった例の両方がある。

場所・日取組行司の軍配結果出典(田口の記事)
2022年七月場所8日目照ノ富士 対 若元春(結び)伊之助がまわし待ったをかけたが、若元春がかまわず寄り切った物言い。長い協議の末、まわし待ったの体勢から再開し、照ノ富士が下手投げで決着結びの一番でおきた思わぬ出来事(2022-07-17)
2024年九月場所6日目錦富士 対 錦木(田口の記事に軍配の向きの記述なし)物言い。行司差し違えで錦木の勝ち入幕5場所目の大の里が全勝(2024-09-13)
2025年一月場所琴櫻 対 熱海富士土俵下の審判が手を上げたのを見て、伊之助が熱海富士に軍配物言い。やり直し(取り直し)になった。田口は「熱海富士に落ち度はないのにやり直しはおかしい」と書いている2025年一月場所総評(2025-01-28)
2025年七月場所4日目豊昇龍 対 阿炎伊之助の軍配は豊昇龍物言い。協議の結果、豊昇龍のかかとが先に出ていたため阿炎の勝ち暗転!大の里よ、お前もか(2025-07-16)
2025年十一月場所12日目琴櫻 対 義ノ富士琴櫻側(記事に軍配の向きの明記はないが、物言いなしで琴櫻の勝ち)物言いなし。田口は「館内は義ノ富士が勝ったのではと思ったようだが、伊之助行司はよく見ていた」と書いている新3強全員勝って最終盤へ突入(2025-11-20)
2026年七月場所6日目豊昇龍 対 伯乃富士伊之助は豊昇龍に軍配物言い。協議の結果、伯乃富士の勝ち三役以上の1敗は2人だけという現実(2026-07-17)
田口 通廣の観戦記に残る物言い・差し違えの実例(当サイトが記事から拾ったもので、全件ではない)。「伊之助」は各記事の時点の式守伊之助で、記事によって別の人物である

田口はさらに、行司の判定の重みについて2つのことを書いている。ひとつは、ビデオ判定が導入されたきっかけが審判の誤審であって、そのとき行司は正しかったという指摘(大相撲論2(2015-10-29))。もうひとつは、2019年一月場所から式守伊之助を務めた行司が5年間で差し違え11回だったという数字(2023年大相撲10大ニュース 10位・9位(2023-12-19))。この11回という数は田口の記述で、当サイトが数え直したものではない。物言い・取り直し・水入りなど進行の用語は相撲の取組進行の用語まとめに、物言いをつける側の審判部の顔ぶれは相撲の審判員 一覧(2026年9月場所)にまとめている。

立行司という頂点:木村庄之助と式守伊之助

行司の階級を上り詰めた先にあるのが立行司だ。立行司は「木村庄之助」と「式守伊之助」という二つの名跡を襲名する。庄之助が最高位、伊之助がそれに次ぐ位置づけで、いずれも代々受け継がれてきた由緒ある名である。結びの一番をはじめ、その日の最も重い取組を裁くのが立行司の役目になる。

行司は、力士や年寄、呼び出しと同じく相撲協会に属する職能である。協会が月給制を確立した昭和三十二年の待遇改善でも、立行司・副立行司・三役格といった行司の各格は、力士や年寄と並んで月給の対象に組み込まれた。土俵を裁く者として、相撲の運営機構にしっかりと位置づけられている。庄之助・伊之助という名を継ぐことは、その職能の頂点に立つことを意味する。

現在の立行司2人の公式プロフィールと行司名履歴(2026年9月18日取得)

協会の公式サイトには行司一人ひとりのプロフィールがあり、立行司2人のページには「行司名履歴」が載っている。入門してから名乗ってきた行司名を順に並べたもので、これを見ると、木村庄之助と式守伊之助のどちらが上かが、順序そのものから分かる。

木村 庄之助式守 伊之助
本名洞澤 裕司森田 善光
生年月日(年齢は協会表記)昭和36年10月30日(64歳)昭和38年9月12日(63歳)
出身地東京都府中市神奈川県横浜市鶴見区
所属部屋九重春日野
採用年月昭和52年10月昭和54年9月
行司名履歴木村 裕司→木村 恵之助→木村 恵乃助→木村 武蔵→木村 恵之助→木村 容堂→式守 伊之助→木村 庄之助木村 春男→木村 春夫→木村 善之輔→木村 庄太郎→式守 伊之助
出典協会 行司プロフィール(1986)協会 行司プロフィール(1987)
立行司2人の公式プロフィール。日本相撲協会「行司プロフィール」より、2026年9月18日取得。年齢は取得時点の協会の表記をそのまま載せた

現在の木村庄之助の履歴は「式守伊之助→木村庄之助」で終わっている。式守伊之助を務めたあとに木村庄之助を襲名した、という順序がこの1行に出ている。一方、現在の式守伊之助の履歴は「木村庄太郎→式守伊之助」で止まっている。つまり伊之助はまだ庄之助になっていない。2人の履歴を並べれば、庄之助が上で伊之助がそれに次ぐという序列は、協会の一次データだけで確かめられる。もうひとつ、2人とも立行司になる前は「木村」姓を名乗っていたことも履歴から読める。式守伊之助は名跡を継ぐときに式守姓に変わっている。

軍配を構える式守伊之助(2023年・田口 通廣撮影)
<伊之助から庄之助へ> 田口 通廣撮影。2023年10月2日の記事「大相撲から消えたモノ」に掲載した写真で、写っているのは当時の式守伊之助。この伊之助が2024年一月場所から木村庄之助を襲名した。上の表の現在の庄之助・伊之助とは別の人物

「木村庄之助はなぜいない」と言われた時期:田口の記事で追う空位と復活

「木村庄之助はなぜいないのか」と検索されるのは、庄之助が長く空位だった時期があるからだ。この経緯は田口 通廣が記事で追っている。2023年2月の相撲界から消えたモノ(2023-02-10)では、木村庄之助は行司の最高位で結びの一番のみを裁くこと、2015年三月場所を最後に庄之助が誕生していないこと、当時の伊之助が庄之助になるのは難しそうだと書いている。ところが同年10月の大相撲から消えたモノ(2023-10-02)で、その伊之助が庄之助になると伝えた。差し違えが多く力士との接触もあったので庄之助にはふさわしくないと見ていたが、翌年9月で定年のため「最後の1年だけの庄之助」「花道」だろうという読みだ。2023年大相撲10大ニュース 10位・9位(2023-12-19)では、この昇格を年間10位のニュースに挙げ、2024年2月大相撲ショート(2024-02-07)で「一月場所から木村庄之助が登場した。約8年10カ月の空白を経ての登場だった」と記録している。

その庄之助は、田口の記述では2024年9月で定年だった。現在の木村庄之助(上の表の洞澤裕司氏)は協会プロフィールで64歳(2026年9月取得時点)なので、2024年に定年を迎えた庄之助とは別の人物である。現在の庄之助は式守伊之助を経て襲名しており、2026年9月18日時点で協会の行司一覧に立行司として載っている。「木村庄之助はなぜいない」は2015年三月場所を最後に2024年一月場所まで続いた空位期についての疑問で、今は在籍している、というのが時点をそろえた答えになる。現在の庄之助・伊之助が名跡を継いだ時期については、田口の記事にも協会プロフィールにも記述がないので、ここでは書かない。

行司の定年と待遇:田口の記事で確認できること

行司の定年は65歳で、親方・呼び出しと同じである(大相撲〇〇の始まり(2025-10-19))。田口によれば、65歳定年は昭和34年9月に決まり、当時の木村庄之助・式守伊之助ら行司5人が該当したという。実施の時期は、同じ田口の記事でも理事長の任期2(2024-02-20)が昭和35年1月、上の「大相撲〇〇の始まり」が昭和36年1月と、記事によって1年ずれている。当サイトではどちらかに決めず両方を示す。月給制については、上で触れた昭和三十二年の待遇改善を大相撲事始 月給制(2016-04-23)が扱っている。行司の給料の金額は、協会が公表しているのが役員の報酬規程だけなので、当サイトでは書かない。

よくある質問

行司と審判委員は何が違うのですか?

行司は土俵の上で取組を裁き、軍配で勝ち力士を示す役です。審判委員は土俵の下に控え、行司の判定に疑問があれば「物言い」をつけて協議します。協議の結果、行司の軍配がくつがえることもあります。土俵上で最初に判定を下すのが行司、それを検証するのが審判委員という関係です。

行司の最高位は何という名前ですか?

行司の最高位は立行司で、「木村庄之助」と「式守伊之助」という二つの名跡があります。木村庄之助が最高位、式守伊之助がそれに次ぐ位置づけです。いずれも代々襲名されてきた名で、その日の結びの一番など最も重い取組を裁きます。

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行司が間違えるとどうなりますか?

行司が上げた軍配と逆の力士が勝ちと判定されることを「差し違え」といいます。物言いがついて審判委員が協議し、行司の判定がくつがえった場合に起こります。勝敗そのものは正しい側に確定するため、差し違えても結果が誤って残ることはありません。

行司の装束の色で何が分かりますか?

装束や軍配の房(菊綴じ)の色は、その行司の階級を示す記号です。下位ほど地味な色、上位ほど格式の高い色が許されます。足元も目安になり、下位の行司は素足、十両格以上で足袋、三役格以上で草履が許されます。装束と足元を見れば、その取組の格がおおよそ読めます。

木村庄之助と式守伊之助はどちらが上ですか?

木村庄之助が上です。協会の公式プロフィールにある現在の庄之助の行司名履歴は「式守伊之助→木村庄之助」で終わっており、伊之助を務めたあとに庄之助を襲名しています。現在の伊之助の履歴は「木村庄太郎→式守伊之助」で止まっています(2026年9月18日取得)。

現在の木村庄之助は誰ですか?

2026年9月18日時点で、木村庄之助は洞澤裕司氏(九重部屋・採用は昭和52年10月)、式守伊之助は森田善光氏(春日野部屋・採用は昭和54年9月)です。いずれも協会の行司プロフィールに載っています。

行司が持っているものは何ですか?

軍配です。協会の英語版案内によると、立行司だけが短刀を差し、三役行司以上は印籠を腰につけます。幕内行司と十両行司は白足袋、三役行司以上は白足袋に草履で、幕下行司以下は素足です。

行司の給料はいくらですか?

協会が公表しているのは役員の報酬に関する規程で、行司の給与は公表されていません。当サイトは出典のない金額を書きません。月給制が行司にも及んだ経緯は田口 通廣の「大相撲事始 月給制」にあります。

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出典と取得日

日本相撲協会「行司一覧」(42人の行司名・格付・所属部屋。2026年9月18日取得)/同「行司プロフィール」木村庄之助同 式守伊之助(本名・生年月日・出身地・採用年月・行司名履歴。2026年9月18日取得)/同 英語版案内「SUMO」(sumo_introduction.pdf)(軍配の房の色・足元・短刀と印籠・装束の由来。2026年9月18日取得)。田口 通廣の記事は本文中に記事名と公開日を添えてリンクした。階級ごとの人数は協会の一覧から当サイトが数えた値で、協会が人数を公表しているわけではない。歴代の庄之助・伊之助の代数、行司の給与、短刀を差す理由は、協会の一次資料で確認できなかったため書いていない。

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この記事を書いた人

少年漫画雑誌、日経関連の編集者を経て独立。現在は大相撲を専門に取材するライター。ほぼ毎場所、自ら土俵際で撮影している。にほんブログ村 相撲・大相撲カテゴリでランキング1位。

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