大相撲

大相撲事始 月給制

2016年4月23日

これまで、横綱、優勝の始まりについては触れてきた。
しかし、大相撲の始まりは、まだまだある。時津風(元
双葉山)が理事長になったのは、昭和32年5月のことで
ある。それまで理事長だった出羽海(元常ノ花)の割腹・
ガス自殺未遂事件を受けてのことであった。

出羽海自殺未遂事件の背景には、いくつかの問題点が国
会の予算委員会で追及されたことがあった。相撲協会が
プロ野球やプロレスの営利団体と何が違うのか。公益法
人である財団法人でありながら、それにふさわしい公益
性の事業を行っているか疑問視された。
時
<時津風>
 
さらに力士生活保障が確立されていない、特定協会幹部
の茶屋経営による中間搾取がいちじるしく、相撲専修学
校の開設などこれまでの警告が何一つ実行されていなか
った。
                      
時津風(元双葉山)理事長がまず手をつけたのは、月給
制である。これまで力士の待遇改善を求めて、大正時代
に三河島事件、昭和に入って春秋園事件がおきていた。
しかし、いずれも根本的解決には至らなかった。この2
つの事件も「出羽海の系統」で過去触れてきた。詳細は
そちらに譲る。

月給制は力士だけでなく、行司、年寄、呼び出しなども
含まれていた。横綱15万、大関11万、関脇・小結7万、
平幕4万5千、十両3万。立行司・副立行司7万、三役
格4万5千、幕内格3万、十両格1万8千。取締15万、
理事・幹事9万、検査薬7万5千、主任4万5千、常勤
年寄3万5千であった。(単位円)
初代若乃花
<初代若乃花>
 
当時の大卒の初任給は1万900円から1万3800円程度
である。それにしてもこの当時、年寄はずいぶん優遇さ
れている印象である。この年、年5場所制、翌年から年
6場所制となり、初めて財政のメドがたったといえる。

ちなみに初代若乃花が力士会会長のとき、月給の値上げ
を時津風理事長に申し入れたとき、「いつから協会内に
組合ができたのかね」と力士会の要求を時津風流で退け
ている。

初夏を感じるときもある季節です。
興味深いテーマをこれからも届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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