MENU

大相撲事始 月給制

これまで、横綱、優勝の始まりについては触れてきた。
しかし、大相撲の始まりは、まだまだある。時津風(元
双葉山)が理事長になったのは、昭和32年5月のことで
ある。それまで理事長だった出羽海(元常ノ花)の割腹・
ガス自殺未遂事件を受けてのことであった。
出羽海自殺未遂事件の背景には、いくつかの問題点が国
会の予算委員会で追及されたことがあった。相撲協会が
プロ野球やプロレスの営利団体と何が違うのか。公益法
人である財団法人でありながら、それにふさわしい公益
性の事業を行っているか疑問視された。
時
<時津風>
 
さらに力士生活保障が確立されていない、特定協会幹部
の茶屋経営による中間搾取がいちじるしく、相撲専修学
校の開設などこれまでの警告が何一つ実行されていなか
った。
                      
時津風(元双葉山)理事長がまず手をつけたのは、月給
制である。これまで力士の待遇改善を求めて、大正時代
に三河島事件、昭和に入って春秋園事件がおきていた。
しかし、いずれも根本的解決には至らなかった。この2
つの事件も「出羽海の系統」で過去触れてきた。詳細は
そちらに譲る。
月給制は力士だけでなく、行司、年寄、呼び出しなども
含まれていた。横綱15万、大関11万、関脇・小結7万、
平幕4万5千、十両3万。立行司・副立行司7万、三役
格4万5千、幕内格3万、十両格1万8千。取締15万、
理事・幹事9万、検査薬7万5千、主任4万5千、常勤
年寄3万5千であった。(単位円)
初代若乃花
<初代若乃花>
 
当時の大卒の初任給は1万900円から1万3800円程度
である。それにしてもこの当時、年寄はずいぶん優遇さ
れている印象である。この年、年5場所制、翌年から年
6場所制となり、初めて財政のメドがたったといえる。
ちなみに初代若乃花が力士会会長のとき、月給の値上げ
を時津風理事長に申し入れたとき、「いつから協会内に
組合ができたのかね」と力士会の要求を時津風流で退け
ている。

初夏を感じるときもある季節です。
興味深いテーマをこれからも届けます。

マーク2カ所をクリックして応援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑  

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次