昭和29年読売スポーツ臨時増刊号大相撲秋場所特集号が手元にある。
表紙は夏場所大関で優勝した栃錦である。バックは緑で色どられて
いる。カラーは表紙のみが常識である時期である。昭和43年プロレ
ス・ボクシング雑誌ゴングが創刊されたときも同様であった。グラ
ビアページはある。なお、80ページでかなり薄い。
そこに「協会を動かす人たち」が掲載されている。一見年寄名鑑か
なと思ったが、詳細な説明文はない。また全員でなく主な方だけで
あった。ただ、現代と構成が異なる。当時は取絞が4人、理事が10
人、幹事が3人である。現代は理事10人、副理事3人である。
元常ノ花の出羽海が理事長取締、元栃木山の春日野と元双葉山の時
津風が常務取締、元清瀬川の伊勢ヶ濱が取締である。出羽海部屋だ
けで年寄が24人いた。一門の春日野部屋の年寄は5人であった。時
津風部屋は9人である。

理事は次の10人である。右が現役の名である。
錦嶋 大蛇山(錦島部屋)
竹縄 常陸嶽(出羽海部屋)
楯山 幡瀬川(荒磯部屋)
武藏川 出羽ノ花(出羽海部屋)
玉垣 旭川(立浪部屋)
立田川 木村庄之助(時津風部屋)
二所ノ関 佐賀ノ花(二所ノ関部屋)
高砂 前田山(高砂部屋)
秀ノ山 笠置山(出羽海部屋)
高嶋 巴潟(高嶋部屋)
当時は行司も年寄になれた。荒磯部屋の師匠は元照國である。のち伊勢ヶ濱部屋となる。
幹事は現在の副理事だが、歴史的には幹事のほうが長い。
尾上 野州山(尾上部屋)
峰崎 外ケ濱(出羽海部屋)
白玉 大八洲(立浪部屋)
野州山はやしゅうざんと読む。この名は複数いて略歴を混在しやすい。
この場合野州山義郎である。雑誌では最高位幕内とあるが、十両6枚
目である。なお、勝負検査役は選挙で選出され、役員扱いだった。勝
負検査役は現在の審判委員である。
昭和43年は相撲協会の改革機構の年であった。元双葉山の時津風理
事長によって取締を廃止している。勝負検査役も審判委員に改めら
れ、選挙は廃止された。審判委員は番付に表記されている表現であ
る。古い資料であるが、けっこう調査した。