七月場所の両横綱豊昇龍と大の里は弱かった。豊昇龍はフル出場し
ていたらどうなっていたか。その前に14日目から休場して7勝7敗
1休となった。これは昭和47年一月場所一人横綱だった北の富士が
あげた成績と同じだった。
この場所北の富士は貴ノ花と対戦したとき判定をめぐる問題がおき
た。北の富士は貴ノ花に外掛けにいった。決まらず体をのせて倒し
にかかったが、貴ノ花は反り投げにいった。頭からつっこんだ北の
富士の手がついた。

この手がつき手かかばい手か。見解の問題になった。行司のうちわ
は貴ノ花であった。物言いがついて北の富士の勝ちになった。つま
り、かばい手と判断したのである。筆者の見解はつき手だった。か
ばい手というにはあまりにも北の富士の手つきが早かった。
横綱は負けが込むと休場する。休場はかけこみ寺と化していた。と
ころがフル出場して負け越した横綱が2人いる。大乃国と3代目若
乃花である。成績はともに7勝8敗であった。二人ともガチンコ力
士でもあった。

大鵬が横綱時代9勝6敗に終わった場所がある。昭和40年五月場所
である。ただし、七月場所で大の里が9勝6敗に終わったケースと
事情が違った。以前の海外巡業で拳銃を持ち帰った者がいた。その
なかに大鵬・柏戸がいた。ほかの者が発覚始めたとき、大鵬・柏戸
は怖くなり、拳銃を隅田川に棄てた。
元双葉山の時津風理事長は二人を呼び出し「休ませないぞ」と言っ
たという。現代ならありえなかった。むしろ逆に両横綱は出場停止
になっていたのでは。動揺したのか、大鵬・柏戸はともに9勝6敗
に終わっている。大鵬は千秋楽不戦敗だった。