相撲の歴史– category –
部屋の系統・一門・横綱十大史・昇進成績の考証
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相撲の歴史
大相撲冬の時代の10大ニュース 2010年1
毎年12月、恒例なのが今年の10大ニュースである。相撲通、相撲愛好家の方に1位から10位までを選んでいただき、総合点で順位を決めるスタイルである。野球賭博にゆれた大相撲冬の時代はどんなニュースがかけめぐったのか振り返ってみた。2010年はネタに困... -
相撲の歴史
出羽海の系統17
大阪からきた三保ヶ関部屋は師匠元滝ノ海の急死により増位山(父)は一時出羽海に身を寄せた。彼は引退後三保ヶ関部屋を復興し、苦難の中から大横綱北の湖、大関北天佑、大関増位山(子)等を育てた。息子増位山がいたので三保ヶ関部屋の後継は決まってい... -
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出羽海の系統16
出羽海から破門された九重は高砂一門に入った。高砂(元前田山)は九重を迎え入れた理由の趣旨をこう語った。昔、出羽海は高砂から分かれたんだ、と。筆者はこれを聞いたとき、そうだったのかと納得していた。しかし、これまで出羽海の系統で述べてきた通... -
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出羽海の系統15
1967(昭和42)年一月場所後の31日午後4時出羽海部屋の3階大広間は重苦しい雰囲気が支配していた。正面中央に机を前にした出羽海(元出羽ノ花)。その右には秀の山(元笠置山)、左には分家の春日野(元栃錦)、さらに左サイドに不知火(元八方山)、藤... -
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出羽海の系統14
元出羽ノ花の出羽海と元横綱千代の山の九重は17歳の年の開きがあった。次の出羽海は自分という思いが九重にはあった。だが、それはある事件によって打ち砕かれた。その事件とは元出羽ノ花が出羽海になった1960(昭和35)年12月から約2年4ヶ月後の1963(... -
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出羽海の系統13
部屋の年寄、関取の総意で新出羽海となった元出羽ノ花はまず、斜陽の名門の建て直しに取り組まなければならなかった。斜陽の原因は黙っていても弟子が集まるという名門意識にあると新出羽海は分析。その間他の部屋は必死で弟子集めに奔走していたというの... -
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出羽海の系統12
元常ノ花の出羽海が1960(昭和35)年十一月場所の千秋楽の翌日、二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため急死した。前日の千秋楽は元気に酒を飲んでいて、まったく予兆はなかった。出羽海の後継者を決めなければならなくなった。以前元常ノ花の出羽海が自殺をはか... -
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出羽海の系統11
場所をはさんだため久方ぶりとなったが出羽海の系統を再開したい。記憶ははるかかなたとなった方のためにこれまでのポイントをあげて振り返ってみる。1.出羽ノ海の祖は幕末の二段(現在の十両)の桂川。2.弟子常陸山虎吉がひき継いだものの稽古場もな... -
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横綱の大関時代4
大関時代が長いといわれた佐田の山は在位17場所、3年弱の期間であった。ところがこのあと横綱になった北の富士は大関在位21場所、玉の海(大関のときは玉乃島)20場所と軽く超えてしまった。しかも長いだけでなくそろって大関在位勝率6割台という低さで... -
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横綱の大関時代3
引き続き時代を築いた横綱の大関時代をみていこう。栃錦は関脇で14勝1敗で優勝して大関に昇進した。新大関こそ11勝4敗だったが翌場所14勝1敗で優勝、さらに翌場所は13勝2敗で横綱近しを思わせた。だが、ここから3場所連続1ケタ勝利に終わった。特に1... -
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横綱の大関時代2
時代を築いた横綱の大関時代をみていこう。常陸山は在位2年間4場所で9割台の勝率をあげている。9割台は栃木山と2人しかいない(ともに東西制での成績)。常陸山は常に油断なくをモットーに相撲を取っていた。先輩横綱に大砲がいるが、大関時代は2勝... -
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横綱の大関時代1
横綱になれる大関、照ノ富士はいつ横綱になるか。それを探るためにまず、先輩横綱はどれくらいの大関在位で横綱になったのか。そのときの成績は。実質、横綱が地位化した常陸山以降鶴竜まで49人の横綱の大関時代の成績を調べてみた。なお大阪横綱は別団体... -
相撲の歴史
はたして白鵬時代は終わったのか
五月場所の白鵬は初日逸ノ城戦の思いがけないつまづきからスタートした。5日目は曲者安美錦に後ろにまわられるなどこれまでにないピンチの体勢となった。中盤は持ち直して強さを発揮してきたが、豪栄道戦で捨て身の首投げをくって最後まで調子を維持でき... -
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出羽海の系統10
元両国(前名国岩)の出羽海が亡くなられた。出羽海の後継者を決めねばならないが、候補者は3人いた。元横綱常ノ花の藤島、元笠置山の秀ノ山、元両国(前名瓊ノ浦)の待乳山の3人である。秀ノ山の嫁さんは横綱常陸山の孫娘という流れから、待乳山は自分... -
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出羽海の系統9
分家独立を許さずという出羽海部屋の不文律を破る者が現われた。元両国(前名松ヶ崎)の武隈である。横綱武蔵山を連れてきた功績が少しも報われないことから出羽海との間に確執が生まれ、郷錦・大和泉(ともに後十両)などを連れて独立したのである。<両... -
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出羽海の系統8
昭和の大相撲を揺るがした春秋園事件。番付の方屋を占めた出羽海部屋が事実上の崩壊に至った。それはどういう流れでいたったか、しぼって展開する。1月10日出羽系中心の力士は大日本新興力士団として旗揚げすることに決定した。1月12日に右翼団体国粋会... -
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出羽海の系統7
1932(昭和7)年1月5日春場所の番付が発表された。 東 幕内 西玉 錦大関武蔵山能代潟張出大ノ里清水川関脇天 竜幡瀬川小結綾 桜沖ツ海筆頭出羽ヶ嶽鏡 岩 2 信夫山朝 潮 3 和歌嶋高 登 4 山 錦錦 洋 5 藤ノ里太郎山 6 大和錦雷ノ峰 7 ... -
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出羽海の系統6
大錦がいなくなった土俵で優勝は栃木山、常ノ花、栃木山3連覇と出羽海勢が続いた。しかし、栃木山は3連覇後事実上引退した。1926(大正15)年元栃木山の春日野部屋、元大門岩の山分部屋がスタートした。しかし、分家独立はここまででこれ以上は認められ... -
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出羽海の系統5
協会に要求11ヶ条をつきつけた力士会と協会幹部。両方に解決策はなく、時間だけがいたずらに過ぎていった。そこで、双方が納得できる調停役を立てることになった。調停役に選ばれたのは警視総督赤池濃であった。赤池は両方の話を聞いたうえで、まず、本場... -
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出羽海の系統4
元横綱常陸山の出羽ノ海亡き後の部屋の後継者は難航した。候補としては元横綱常陸山の懐刀として大きな力を尽くし、部屋持ちの元両国(前名国岩)の入間川。現役ではあるが、親方を兼ねる二枚鑑札(現在は禁止されている)として横綱大錦、同じく横綱栃木... -
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出羽海の系統3
元横綱常陸山が出羽ノ海谷右衛門となった初の本場所1915(大正4)年の春場所、出羽ノ海部屋の幕内力士は11人となった。これに続くのが友綱部屋(現在の友綱部屋とのつながりはない)の5人であるから出羽ノ海部屋の躍進ぶりが伺える。また、この年の役員... -
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出羽海の系統2
ドブ虎常陸山虎吉が師匠の年寄名出羽ノ海と改めてから人を介して市毛谷という少年が入門してきたのだ。後の常陸山谷右衛門である。1890(明治23)年のことである。しかし、稽古場がなく、高砂部屋で稽古する環境は少しも変わらない。16歳の市毛谷は御西山... -
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出羽海の系統1
数ある相撲部屋のなかでも名門といわれるのが出羽海部屋である。そのルーツ、始まりはいつ誰からなのか。また、どのような歴史をたどってきたのか。あらためて出羽海の系統を追いかけてみた。出羽海部屋というと角聖といわれた明治の大横綱常陸山谷右衛門... -
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あと3年は続く白鵬時代
三月場所、白鵬は1度もリードを許すことなく、34回目の優勝を6連覇で達成した。白鵬30歳。大鵬が30歳のときは年1回しか優勝できなく、時代は北の富士・玉の海に移りつつあった。白鵬をおびやかす者はおらず、ケガらしいケガもなく、白鵬が置かれている... -
相撲の歴史
歴史的汚点で始まったビデオ導入
大相撲は他のスポーツに先駆けてビデオを導入したから進歩的だ、と思われている節がある。しかし、導入のきっかけは大鵬の連勝記録を誤審でストップした歴史的汚点によるものである。いきさつは以下である。5場所連続休場の大鵬は休場明けの1968(昭和43... -
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大相撲人気時代
九月場所で満員御礼14回という驚異的数字をはじき出した大相撲。人気は留まるところを知らない。一月場所のチケットを求めるために集まった方は国技館正門から南門の門を曲がっていた。さらに大江戸博物館の前を曲がり、さらにその先の道を曲がり、最終的... -
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朝青龍の事件は部屋教育の限界を暗示
11月30日元朝青龍に関する番組が流れた。といっても名勝負列伝ではなく、現在の元朝青龍を伝える内容である。今白鵬が大鵬の最高優勝32回に並んだ。だが、あるいは朝青龍が事実上の強制引退がなければ、先に並んだ可能性があったかもしれない。ちなみに朝... -
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九州場所とは(十一月場所の通称)|いつから・なぜ九州と呼ぶのか、会場の歴史
九州場所は、毎年11月に福岡市の福岡国際センターで開く大相撲の本場所(十一月場所)の通称である。準場所から本場所になったのは1957年(昭和32年)。会場は福岡スポーツセンター、1974年(昭和49年)からの九電記念体育館を経て、1981年(昭和56年)に... -
相撲の歴史
栃煌山が影山と呼ばれていた時代
2006年七月場所初日、東西幕下の筆頭の影山と下田が激突した。幕内で活躍する栃煌山にかつてあった十両をうかがう日々。当時の彼の勇士を振り返ってみよう。2006年大関白鵬が初優勝を達成した五月場所、幕下では1枠しかない空きをめぐって十両昇進争いが... -
相撲の歴史
大相撲人気時代はいつまで続く
九月場所、満員御礼が14回も出るほど大相撲人気は沸騰した。数字で見ると観客は15日間で15万1122人入った。1日平均1万75人である。驚異的な数字である。祝日が2日あった。さらに相撲ファンに話を聞くと、7日目土曜、8日目日曜、10日目祝日だが、間の9... -
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あと3年は続く白鵬時代
九月場所31回目の優勝を達成した白鵬。いよいよ大鵬の32回最高優勝回数に迫った。白鵬は横綱に昇進してから休場がない稀な存在である。休場したのは大関4場所目の全休1度だけである。白鵬はあと何年横綱としてやっていけるのか。大鵬は21歳で横綱になり... -
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東京新聞百三十周年記念 大相撲新時代へ
大相撲ファンのなかにはコレクターの方がおられると思う。そんな方にとって手ごわい対象は非売品である。売られていないものを入手するのは果報は寝て待てではどうにもならない。自分の足を使い、手間や時間を惜しむことなく行動することである。非売品と... -
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二所ノ関の系統7
1975(昭和50)年の七月場所は大波乱の場所となった。横綱輪島は全休、大関貴ノ花は3連敗して休場。大相撲の看板がそろって休場したのである。横綱北の湖は前半で3敗して9勝6敗、大関魁傑は8勝7敗と上位陣は総崩れとなった。そんな中あれよ、あれよ... -
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二所ノ関の系統6
1975(昭和50)年3月28日、佐賀ノ花の二所ノ関が急性白血病で亡くなった。まだ57歳だった。敷地475.2平方メートル、建物1650平方メートルの鉄筋4階建という莫大な遺産を残しての死去だった。敷地は借地だが、借地権はついてまわる。師匠のいない弟子は本... -
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二所ノ関の系統5
初代若乃花が引退したのは1962(昭和37)年の五月場所であった。初代若乃花の最後の優勝が1960(昭和35)年の九月場所だから9場所優勝がないまま土俵を去ったわけである。本来ならもう少し早く引退したかったところだった。これは部屋を興すためにために... -
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二所ノ関の系統4
中村部屋のルーツは大阪相撲で1927(昭和2)年の東西合併とともに東京に加わった。系統別総当たりのとき、全部屋と対戦していたが、1938(昭和13)年に二所一門に加わった。1943(昭和18)年楯甲新蔵は部屋を引き継いだものの、最後は閉鎖によって1962(昭... -
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二所ノ関の系統3
玉ノ海の二所ノ関が部屋を佐賀ノ花に譲った1951(昭和26)年5月の夏場所番付では幕内に佐賀ノ花、若ノ花、琴ヶ浜、琴錦、大ノ海、十勝岩、神若(後の芳ノ里)が名を連ねていた。神風は1950(昭和25)年夏場所番付に不満をもって28歳の若さで引退してしま... -
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二所ノ関の系統2
横綱玉錦急逝後二所ノ関部屋の跡目をどうするかという問題が残った。二子山親方(元土州山)かベテラン海光山という声もあった。しかし、力士・親方・関係者の総意で人望と信用のある玉ノ海が二枚鑑札(現役と師匠を兼ねる制度で現在は禁止されている)と... -
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二所ノ関の系統1
元二所ノ関親方の金剛が65歳の若さで亡くなられた。体調を崩し、定年前に退職していたが、まさかこんなに早くという思いである。協会退職のとき、二所ノ関部屋は力士は引退し、親方は若島津の松ヶ根部屋に移籍した。名門二所ノ関が跡形もなく消えるのはあ... -
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大関昇進、その成績 4
■部屋別総当たり ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計輪島 10勝5敗 9勝6敗◎12勝3敗 8勝7敗 13勝2敗 52勝23敗貴ノ花 6勝9敗 10勝5敗 11勝4敗 12勝3敗 10勝5敗 49勝26敗大受  ... -
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大関昇進、その成績 3
■部屋別総当たり 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計北の富士9勝6敗 10勝5敗 8勝7敗 10勝5敗 10勝5敗 47勝28敗玉乃島 中位 9勝6敗 10勝5敗 9勝6敗 11勝4敗 39勝21敗... -
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大関昇進、その成績 2
■系統別総当たり制 ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計若羽黒 10勝5敗 10勝5敗 7勝8敗 11勝4敗 12勝3敗 50勝25敗柏戸 8勝7敗 9勝6敗 9勝6敗 10勝5... -
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大関昇進、その成績 1
■系統別総当たり制 ◎は優勝 5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計吉葉山 下位 10勝5敗 10勝5敗 13勝2敗 13勝... -
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大正時代の大関陥落事情
2014年3月16日「◆問題点を探る 大関陥落制度を考察する1」で大関陥落制度の歴史を探ってきて1958(昭和33)年から始まった3場所連続負け越し以前の2場所連続負け越しで陥落は1927(昭和2)年の東西合併以降からと書いた。また明治・大正時代はまったく別... -
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横綱昇進、その成績3
双羽黒が優勝することがないうちに付け人が脱走したり、親方夫妻と喧嘩沙汰や暴力沙汰になり、協会員を脱退せざるを得なくなった。まだ若い横綱が協会を離れるなど前代未聞のことであった。力士会はこんなときこそ解決に踏み出すべきだと思うが、会長の千... -
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横綱昇進、その成績2
横綱は大鵬、柏戸が長い間勤めてきたが、柏戸は成績が芳しくなかったが、代わりの横綱がおらず、辞めたくても辞めにくかった。成績は9勝6敗が目立っていた。それでも新横綱誕生を待てずに引退した。柏戸引退4場所後、大鵬も衰える中、北の富士、玉乃島... -
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横綱昇進、その成績1
鶴竜は10勝5敗-9勝6敗-9勝6敗-14勝1敗優勝同点-14勝1敗優勝で横綱昇進を果たした。この間優勝1回、通算56勝19敗の成績である。旭富士以降8人続いた2場所連続優勝による横綱昇進の記録はストップした。それではほかの力士はどの程度の成績で... -
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一強他弱時代
三月場所の優勝は、というほど白熱した優勝争いは期待し難いのが現在の大相撲の姿である。白鵬が超人的に強く、相撲内容は充実、安定、無敵。あわてたり、動揺したりすることもなく、落ち着いている。一方の横綱日馬富士は休場あけで未知数である。大鵬は... -
相撲の歴史
琴欧洲の全盛期は大関昇進前の小結・関脇時代
十一月場所で大関琴欧洲が途中休場し、2場所連続負け越しで関脇陥落が決定した。新大関は2006年一月場所だが、私はその年の年賀状で「時代を築くか朝青龍の引き立て役で終わるか」と記した。答は残念ながら後者になった。琴欧洲の大関時代はさんざんな成...