北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)は第55代横綱。北海道有珠郡壮瞥町の出身で、三保ヶ関部屋。昭和49年(1974年)九月場所から昭和60年(1985年)一月場所まで横綱を務め、幕内優勝24回、生涯951勝350敗107休を残した。21歳2ヶ月での昇進は史上最年少である。当サイト運営者の田口 通廣は「横綱としては息が長く、横綱在位63場所に及んだ。これは今でも史上1位である」と書いている(2015年の記事)。
※戦歴の数字は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール(2026年9月16日確認)から写した。協会サイトの「過去の成績」は平成25年以降しか無いので、場所ごとの出来事は田口の記名記事の記述を、引用と明示して載せている。現役時代は田口が土俵際で撮り始めた2007年より前なので、写真は理事長時代の1枚だけである。歴代横綱の一覧は初代明石から第75代大の里までに。
北の湖の基本データ|協会公式プロフィール(2026年9月16日確認)

| 四股名 | 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)。しこ名は初土俵から変えていない |
|---|---|
| 代 | 第55代横綱(昭和49年9月〜昭和60年1月) |
| 本名・出身 | 小畑 敏満・北海道有珠郡壮瞥町 |
| 生年月日 | 昭和28年(1953年)5月16日 |
| 部屋 | 三保ヶ関 |
| 身長・体重 | 179.0cm・164.0kg(歴代横綱の体重ランキング) |
| 得意技 | 左四つ・寄り切り・上手投げ |
| 初土俵/新十両/新入幕 | 昭和42年一月場所/昭和46年五月場所/昭和47年一月場所 |
| 新三役/新大関/新横綱 | 昭和48年一月場所/昭和49年三月場所/昭和49年九月場所 |
| 引退 | 昭和60年一月場所 |
| 優勝 | 幕内24回 |
| 三賞・金星 | 殊勲賞2回・敢闘賞1回・技能賞0回。金星1個 |
| 生涯戦歴 | 951勝350敗107休(109場所) |
| 幕内戦歴 | 804勝247敗107休(78場所) |
出典: 日本相撲協会「第55代横綱 北の湖 敏満」(歴代横綱・2026年9月16日確認)。所属していた三保ヶ関部屋は、2026年9月16日時点の協会「相撲部屋のご紹介」の45部屋の中に無い。
18歳の新入幕から21歳2ヶ月の横綱へ|歩みの年表
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 昭和42年一月場所 | 初土俵(三保ヶ関部屋)。しこ名は北の湖のまま変えていない | 協会 |
| 昭和46年五月場所 | 新十両 | 協会 |
| 昭和47年一月場所 | 新入幕。田口「5勝10敗と大敗している。このときまだ18歳であった」 | 協会・田口 43428 |
| 昭和48年一月場所 | 新三役 | 協会 |
| 昭和49年一月場所 | 関脇で初優勝。初日に横綱輪島を破ったのが効いた。田口「この一番で北の湖が輪島に堂々と勝ったので驚きの結果となった」 | 田口 43428 |
| 昭和49年三月場所 | 新大関 | 協会 |
| 昭和49年七月場所 | 千秋楽、1差で横綱輪島と激突。本割・優勝決定戦とも下手投げで敗れ、優勝同点に終わる | 田口 43447 |
| 昭和49年九月場所 | 新横綱(第55代)。田口「大鵬の史上最年少横綱21歳3ヶ月を1ヶ月縮め、21歳2ヶ月で横綱に昇進した」 | 協会・田口 17643 |
| 昭和53年 | 年間82勝。田口「1場所平均約13.7勝という驚異的数字である」。この年5連覇 | 田口 17643 |
| 昭和56年一月場所 | 14勝1敗ながら関脇千代の富士との優勝決定戦に敗れる。田口によると瞬間最高視聴率は65.3% | 田口 46438 |
| 昭和56年十一月場所 | 横綱として初めての休場。幕内でも初めてだった。田口「休場が目立ち、急速に優勝から遠ざかっていった」 | 田口 17643 |
| 昭和60年一月場所 | 引退 | 協会 |
| 引退後 | 北の湖部屋を興し、のちに協会の理事長を務めた | 田口 17636ほか |
| 2015年11月20日(十一月場所13日目) | 午後6時55分に死去、62歳。田口は福岡で場所を取材していた。12月22日に両国国技館で協会葬 | 協会の訃報・デイリースポーツ・田口 17636 |
| 2015年11月26日 | 国技館で最後のお別れ。田口が現場で見ている | 田口 17640 |
| 2015年12月22日 | 両国国技館で協会葬 | 田口 17665 |
新横綱になったときの空気を、田口は当時の紙面から拾っている。「北の湖が昭和49年七月場所後新横綱になったときの期待は大きかった、怪童といわれ、北の湖は今後どれだけ飛躍するのか。大鵬の記録をどれだけ抜けるかという予測記事が出たほどである」。その予測記事は、大鵬が持っていた最年少関脇・最年少優勝・最年少大関・年間勝利81・連続優勝6・優勝32回・通算勝利872・幕内勝利746・横綱勝利622・横綱出場716・横綱在位58場所を並べていたという(知られざる北の湖の記録・2015年11月30日)。
結果は、田口の読み解きによれば予測と逆になった。「予想記事では優勝回数は固く、年間最多勝もいけるとしている反面、各通算勝利はかなり難しいと書いているが、やや逆の結果になっている」。年間勝利は昭和53年に82勝で更新した。優勝は24回で大鵬の32回に届かなかった。一方で横綱在位が63場所と長く続いたため、通算勝利では大鵬を超えた。田口が書いている通算951勝・幕内804勝は、協会プロフィールの生涯戦歴・幕内戦歴と同じ数字である。
輪湖時代|輪島との46番、北の湖の22勝24敗
北の湖を語るときに外せないのが輪島との対戦である。田口は3回に分けてこの46番を全部たどっている。出だしはこうである。「50という数は丁度いい数字としてよく対戦50回以上が取り上げられる。しかし、北の湖には50回以上の対戦者はいない。ただ、45回以上の対戦は3人いる。貴ノ花、輪島、2代目若乃花である。そのなかでも拮抗した輪島戦をピックアップしてみる。北の湖対輪島は46回戦っている。この中には優勝決定戦が3番含まれている」(北の湖対輪島46番勝負1・2024年6月18日)。
最初に均衡が崩れたのは昭和49年一月場所の初日だった。2連覇中の横綱輪島と、先場所関脇で10勝したばかりの北の湖がいきなり当たる。「この一番で北の湖が輪島に堂々と勝ったので驚きの結果となった」。北の湖はそのまま逃げ切って初優勝する。同じ年の七月場所は逆だった。千秋楽、1差で迎えた直接対決を輪島が本割・優勝決定戦とも下手投げで制し、逆転優勝を飾る。「相撲アニマル輪島だからこそできた逆転劇であった」。優勝同点の北の湖は、場所後に横綱へ上がった(北の湖対輪島46番勝負2)。
そこからの力関係を、田口は年ごとに割っている。昭和49年九月場所から北の湖は5連敗、昭和50年一月場所も負けて6連敗。「輪島の調子がよくない場所でも勝てなかった」。潮目が変わるのは昭和50年で、この年に初めて勝ち越した。昭和51年は北の湖22歳から23歳、輪島28歳。「優勝を争った直接対決は優勝決定戦を含め北の湖の3勝2敗であった」。昭和52年は3場所とも輪島が優勝を制したが、北の湖は2度の全勝優勝を果たしている。そして昭和53年に5連覇し、「北の湖時代へ移行していた」(北の湖対輪島46番勝負3)。
46番の決着は、田口の集計で北の湖の22勝24敗である。全盛期の重なりかたを考えれば、この負け越しは弱さの証明にはならない。田口も「全盛期が異なるなかで輪湖時代はあった」と結んでいる。両雄の最後の一番は昭和56年一月場所で、その場所は千代の富士が初優勝した場所でもあった。
優勝24回と横綱在位63場所|記録の位置づけ
| 項目 | 数字 | 出どころ(記事ID) |
|---|---|---|
| 幕内優勝 | 24回 | 協会プロフィール。田口「優勝記録は24回で大鵬の32回に迫ることはできなかった」(17643) |
| 生涯戦歴 | 951勝350敗107休(109場所) | 協会プロフィール。田口 17643 の「通算勝利は951勝」と一致する |
| 幕内戦歴 | 804勝247敗107休(78場所) | 協会プロフィール。田口 17643 の「幕内勝利は804勝」と一致する |
| 三賞・金星 | 殊勲賞2回・敢闘賞1回・技能賞0回。金星1個 | 協会プロフィール |
| 横綱在位 | 63場所 | 田口は2015年の記事で「これは今でも史上1位である」と書いている(17643) |
| 横綱としての勝利 | 670勝 | 田口の集計。横綱出場は818(17643) |
| 年間勝利 | 82勝(昭和53年) | 田口「1場所平均約13.7勝という驚異的数字である」。この年5連覇(17643) |
| 最年少横綱 | 21歳2ヶ月 | 大鵬の21歳3ヶ月を1ヶ月更新した(田口 17643・30188) |
| 13勝以上の場所 | 30回 | 田口の比較では貴乃花28回・朝青龍26回を上回る(46438) |
| 輪島との対戦 | 46番・北の湖の22勝24敗 | 優勝決定戦3番を含む。田口の集計(43470) |
優勝20回台の横綱を並べた記事で、田口は優勝した場所と、優勝できなかった好成績の場所を分けて数えている。「13勝以上に限定すると北の湖30回、貴乃花28回、朝青龍26回となる。北の湖に非優勝13勝以上が7回ある」。その7回のうちの1回が、昭和56年一月場所の14勝1敗である。「そのうち14勝1敗で優勝できなかったのが、関脇千代の富士との優勝決定戦である。瞬間最高視聴率は65.3%と驚異の数字を記録した」(優勝20回台朝青龍・北の湖・貴乃花の好成績・2025年2月15日)。破ったのは、のちに第58代横綱になる千代の富士だった。
取り口については、田口が短く書いている。「大鵬は負けない相撲で数々の記録を打ち立てた。これに対して、北の湖は攻撃的パワー相撲である。腕はやや短く、上手が取れないときのまきかえが素早かった」。昭和52年九月場所14日目、全勝同士で当たった大関旭國との一番を例に挙げ、「旭國は前みつを取って食い下がろうとしたが。北の湖はそれを跳ね飛ばしてしまった。馬力、技を制す。そんな取り口が北の湖の相撲であった」とも書いている(43470)。協会が記録している得意技は左四つ・寄り切り・上手投げである。
理事長として、そして2015年十一月場所の途中で
引退後は北の湖部屋を興し、協会の理事長を務めた。上の写真は2014年の夏場所初日前日に田口が撮ったものである。亡くなったのは翌2015年11月20日の午後6時55分、十一月場所の13日目が終わったあとである。62歳だった(日本相撲協会「訃報」の逝去日時(2026年9月25日確認)と、デイリースポーツ・2015年11月20日の年齢(2026年9月27日確認))。田口は福岡でこの場所を取材している。「13日目が終わった後、訃報が入ってきた。北の湖理事長の急死である。腰を悪くして土俵に上がれないが、福岡国際センターで勤務していたと聞いていた。それだけにまさかの思いである」(なぜ伏せられなかった北の湖理事長の急死・2015年11月24日)。
11月26日、国技館での見送りも田口は現場で見ている。「理事長を乗せた車が国技館に到着する予定は13時という情報が流れる。メディアが集まりだした。しかし、国技館の正門は開かない。さらに待つこと1時間以上、八角(元北勝海)理事、貴乃花理事、出羽一門の玉ノ井(栃東)、出来山(元出羽の花)、山科(元大錦)などが出迎える」。車はエントランス前の広場をゆっくりまわって止まり、「理事長は協会関係者が見守る中、静かに国技館にお別れしていった」(北の湖理事長国技館にお別れ)。
12月22日の協会葬にも田口は並んでいる。「協会員及び関係者は1階アリーナで、大相撲ファンは2階で焼香をおこなうとのことである。通路には北の湖の現役時代のなつかしい写真が飾られている。平日にも関らず、長蛇の列ができた」。記事の最後は一行だけである。「永遠にさようなら北の湖理事長」(さようなら北の湖理事長)。協会葬は12月22日午後1時から両国国技館で営まれたと、協会の訃報に告知が残っている。
北の湖についてよくある質問
Q. 北の湖は何代目の横綱ですか?
第55代です。昭和49年九月場所に昇進し、昭和60年一月場所で引退しました(協会プロフィール)。前が第54代輪島、次が第56代若乃花(2代)です。
Q. 優勝は何回ですか?
幕内優勝24回です。田口は「優勝記録は24回で大鵬の32回に迫ることはできなかった」と書いています(17643)。
Q. 史上最年少の横綱ですか?
田口によると21歳2ヶ月で、大鵬の21歳3ヶ月を1ヶ月更新しました。一覧は最年少横綱ランキングにあります。
Q. 横綱在位は何場所ですか?
63場所です。田口は2015年の記事で「これは今でも史上1位である」と書いています(17643)。
Q. 輪島との対戦成績は?
46番戦って北の湖の22勝24敗です(優勝決定戦3番を含む・田口の集計)。46番勝負1・2・3で全場所をたどっています。
Q. いつ亡くなりましたか?
2015年11月20日の午後6時55分、十一月場所の13日目が終わったあとです(日本相撲協会の訃報)。62歳でした(デイリースポーツ)。田口は福岡でこの場所を取材しており、訃報が入ったときのことを書いています(17636・2015年11月24日)。
Q. なぜ写真が1枚しかないのですか?
当サイトの写真は運営者・田口 通廣が撮ったものに限っています。田口が撮り始めたのは2007年からで、北の湖の現役(昭和49年〜60年)はそれより前です。載せている1枚は2014年、理事長のときのものです。
▶ 歴代横綱シリーズ:歴代横綱一覧|初代明石から第75代大の里まで/第35代 双葉山/第48代 大鵬/第51代 玉の海/第52代 北の富士/第58代 千代の富士/第64代 曙/第65代 貴乃花/第68代 朝青龍/第69代 白鵬/第70代 日馬富士/第71代 鶴竜/第72代 稀勢の里/第73代 照ノ富士/第74代 豊昇龍/第75代 大の里
▶ 田口の北の湖論:知られざる北の湖の記録/北の湖対輪島46番勝負1/2/3/優勝20回台朝青龍・北の湖・貴乃花の好成績/なぜ伏せられなかった北の湖理事長の急死/北の湖理事長国技館にお別れ/さようなら北の湖理事長/横綱が優勝から遠ざかった理由/最年少横綱ランキング