MENU

北の湖対輪島46番勝負3

昭和51年、北の湖22歳~23歳、輪島28歳であった。
輪湖激突による優勝争いが本格化した場所が4場所
あった。輪島が左下手右おっつけからの投げか。北
の湖がそれを許さず引きつけての寄りかという争い
であった。

優勝を争った直接対決は優勝決定戦を含め北の湖の
3勝2敗であった。1年間を通しては北の湖の3勝
4敗であった。優勝は北の湖3回、輪島2回であっ
た。北の湖が真価を発揮しだしてきた年だった。

<輪島>

昭和52年、優勝を争う輪湖激突は3場所あった。3
場所とも輪島が制した。ただ、北の湖は2度全勝優
勝を達成している。2人の対戦は3勝3敗の五分で
あった。

九月場所14日目、北の湖は大関旭國と全勝同士で対
戦している。旭國は相撲博士というくらい技能派で
あった。旭國は前みつを取って食い下がろうとした
が。北の湖はそれを跳ね飛ばしてしまった。馬力、
技を制す。そんな取り口が北の湖の相撲であった。

<北の湖>

昭和53年、北の湖は馬力プラス素早い巻きかえが持
ち味になった。優勝を争う北の湖対輪島は1場所で
14日目の対戦となった。この年北の湖は5連覇を達
成し、北の湖時代へ移行していた。北の湖対輪島戦
は3勝1敗で、これ以降、北の湖が勝ち越していっ
た。

昭和54年 4勝2敗輪湖劇土地の優勝争いは1場所
昭和55年 3勝1敗
昭和56年 1勝
昭和56年一月場所が両雄最後の一番になった。千代
の富士が初優勝した場所であった。翌場所輪島は場
所中に引退した。

北の湖対輪島戦は優勝決定戦を含め、北の湖の22勝
24敗であった。全盛期が異なるなかで輪湖時代はあ
った。

(この項目終わり)

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次