関脇で初優勝した北の湖は大関に昇進した。10勝5
敗、13勝2敗優勝で2場所を終えた。昭和49年七月
場所は横綱を目指す場所になった。
ただの横綱昇進ではない。史上最年少横綱の記録を
かけての戦いであった。これまでは大鵬の21歳3カ
月が記録であった。北の湖が七月場所後横綱昇進を
決めれば21歳2カ月で記録を更新できる。
![](http://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2024/06/6f93fa3222511a41d118dbf64a14fcf4.jpg)
場所前横綱琴櫻が引退した。場所中北の富士が引退
した。そんななか、北の湖は初日から快調に白星を
重ねていった。その結果11連勝した。一方、輪島は
豊山(前名長浜)、苦手高見山に敗れ、2敗で2差
がついた。
「横綱だって人間だ。負けることはあるさ」師匠の
花籠(元大ノ海)は輪島に声をかけた。2差で落胆
していた輪島は活気を取り戻した。そんなとき、北
の湖が角番貴ノ花に敗れ1敗となった。12日目のこ
とであった。
千秋楽1差で横綱輪島と大関北の湖は激突した。輪
島は本割・優勝決定戦とも下手投げで制し、逆転優
勝を飾った。相撲アニマル輪島だからこそできた逆
転劇であった。
![](http://dohyounomokugekisya.net/wp-content/uploads/2024/06/75f224a0189e8aeb87f56cfe5ac00d4d.jpg)
優勝同点の北の湖は場所後横綱に昇進した。大関北
の湖対横綱輪島戦は1勝3敗(優勝決定戦を含む)
であった。昭和49年九月場所から北の湖対輪島戦は
横綱同士の対戦となった。輪島が2連勝し、北の湖
は5連敗中でこの年を終えた。
昭和50年一月場所、北の湖はまたも輪島に負け6連
敗になった。輪島の調子がよくない場所でも勝てな
かった。その後輪島は3場所連続休場し、対戦はな
かった。この年北の湖は2回優勝した。貴ノ花が優
勝決定戦で2回北の湖に勝って2回優勝した年でも
あった。昭和50年、横綱北の湖対輪島戦は2勝1敗
で北の湖が初めて勝ち越した。