関脇で初優勝した北の湖は大関に昇進した。10勝5
敗、13勝2敗優勝で2場所を終えた。昭和49年七月
場所は横綱を目指す場所になった。
ただの横綱昇進ではない。史上最年少横綱の記録を
かけての戦いであった。これまでは大鵬の21歳3カ
月が記録であった。北の湖が七月場所後横綱昇進を
決めれば21歳2カ月で記録を更新できる。
場所前横綱琴櫻が引退した。場所中北の富士が引退
した。そんななか、北の湖は初日から快調に白星を
重ねていった。その結果11連勝した。一方、輪島は
豊山(前名長浜)、苦手高見山に敗れ、2敗で2差
がついた。
「横綱だって人間だ。負けることはあるさ」師匠の
花籠(元大ノ海)は輪島に声をかけた。2差で落胆
していた輪島は活気を取り戻した。そんなとき、北
の湖が角番貴ノ花に敗れ1敗となった。12日目のこ
とであった。
千秋楽1差で横綱輪島と大関北の湖は激突した。輪
島は本割・優勝決定戦とも下手投げで制し、逆転優
勝を飾った。相撲アニマル輪島だからこそできた逆
転劇であった。
優勝同点の北の湖は場所後横綱に昇進した。大関北
の湖対横綱輪島戦は1勝3敗(優勝決定戦を含む)
であった。昭和49年九月場所から北の湖対輪島戦は
横綱同士の対戦となった。輪島が2連勝し、北の湖
は5連敗中でこの年を終えた。
昭和50年一月場所、北の湖はまたも輪島に負け6連
敗になった。輪島の調子がよくない場所でも勝てな
かった。その後輪島は3場所連続休場し、対戦はな
かった。この年北の湖は2回優勝した。貴ノ花が優
勝決定戦で2回北の湖に勝って2回優勝した年でも
あった。昭和50年、横綱北の湖対輪島戦は2勝1敗
で北の湖が初めて勝ち越した。