関脇優勝誕生の背景9

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栃ノ海が関脇優勝してから約10年後に次の関脇優勝が誕生した。関
脇長谷川である。長谷川は実力者であり大関候補であったはが、つ
いに優勝を達成した。昭和47年三月場所のことであった。

昭和47年4場所は一人横綱北の富士の乱調場所であった。4大関琴
櫻・清國・前の山・大麒麟はいたが、弱い大関としてあてにならな
かった。前の山は三月場所限りで大関を陥落していた。長谷川は新
鋭魁傑とともに勝ち進んだ。

長谷川のブロマイド

勝ち進んだ前頭7枚目の魁傑は上位と組まれた。9日目1敗同士の
長谷川対魁傑の直接対戦が組まれた。魁傑は長谷川を外掛けで破っ
た。そのあと横綱・大関と対戦することになった。
●大麒麟
○清國
○北の富士
●琴櫻
勝った相撲は外掛けであった。

長谷川と魁傑はともに12勝3敗で優勝決定戦になった。ただ、長谷
川はなぜか大関清國戦がなかった。それでいて翌場所は2日目に組
まれている。余談だが関脇輪島と張出関脇三重ノ海戦もなかった。
お粗末な取組編成の場所になった。

魁傑

長谷川と魁傑の優勝決定戦は左四つになって長い相撲になった。互
いに攻めきれないで時間が経過した。魁傑が外掛けにいこうとした
とき、一瞬重心が浮くスキを長谷川はねらった。一気に出て寄り切
った。長谷川の最初で最後の優勝が決まった。8勝ー10勝ー12勝で
あったため大関昇進はなかった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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