大相撲

知られざる北の湖の記録

2015年11月30日

十一月場所13日目終了後、亡くなられた北の湖理事長の
報道に、現役時代はにくらしいほど強かった。という表
現が使われていた。そういう一面は確かにあった。人気
の貴ノ花の敵役であった。昭和49年七月場所後、北の湖
が横綱に昇進したとき優勝は2回。先輩横綱の輪島は6
回だった。輪湖時代といわれ、最初は先輩横綱輪島が先
行したが、時間の問題で北の湖が抜き去るのは予想され
た。昭和53年五月場所、北の湖12回目の優勝で輪島の優
勝回数に並び、それ以降抜いていった。
北の湖
<北の湖は大鵬の記録を抜けるかの予想記事>
 
北の湖が昭和49年七月場所後新横綱になったときの期待
は大きかった、怪童といわれ、北の湖は今後どれだけ飛
躍するのか。大鵬の記録をどれだけ抜けるかという予測
記事が出たほどである。すでに北の湖は大鵬の史上最年
少横綱21歳3ヶ月を1ヶ月縮め、21歳2ヶ月で横綱に昇
進した。北の湖は、ほぼ同時期大鵬と同じスタート台に
立ったと言える。記事に大鵬の持つ記録が紹介されてい
る。

■大鵬の持つ記録
最年少関脇 20歳3ヶ月
最年少優勝 20歳5ヶ月
最年少大関 20歳5ヶ月
年間勝利 81
連続優勝 6(2度)
優勝記録 32
通算勝利 872
幕内勝利 746
横綱勝利 622
横綱出場 716
横綱在位場所 58

大鵬は31歳直前で引退したが、北の湖も同様くらい取る
と記事はみている。実際は31歳8ヶ月まで取った。大鵬
は負けない相撲で数々の記録を打ち立てた。これに対し
て、北の湖は攻撃的パワー相撲である。腕はやや短く、
上手が取れないときのまきかえが素早かった。

年少関脇、最年少優勝、最年少大関は過去のものとなっ
ており、北の湖は残り8記録に挑戦したことになる。

年間勝利は昭和53年に82勝で更新した。82勝は1場所平
均約13.7勝という驚異的数字である。横綱になって4年
目である。この年5連覇を達成している。ほかに3連覇
が1度あり、大鵬の6連覇にはおよばなかった。優勝記録
は24回で大鵬の32回に迫ることはできなかった。これは
千代の富士が台頭し始めたことと、昭和56年十一月場所
で横綱初(幕内初でもある)の休場以降、休場が目立ち、
急速に優勝から遠ざかっていった。
150712初日十両 442
<北の湖理事長>
 
横綱としては息が長く、横綱在位63場所に及んだ。これ
は今でも史上1位である。そのため、通算勝利の面では
大鵬を超えた。通算勝利は951勝、幕内勝利は804勝、横
綱勝利は670勝である。横綱出場は818である。北の湖は
大鵬の持つ記録史上最年少横綱を含め、7つ更新したこ
とになる。

予想記事では優勝回数は固く、年間最多勝もいけるとし
ている反面、各通算勝利はかなり難しいと書いているが、
やや逆の結果になっている。ただ、北の湖は連勝記録に
は縁がなかった。北の湖は土俵の以外の16人目の相手と
も戦い、大鵬超えを果たしていた。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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