大相撲

北の湖理事長国技館にお別れ

2015年11月26日

十一月場所13日目終了後急死した北の湖理事長は、千秋
楽の午前北の湖部屋に無言の帰宅をした。葬儀は家族に
よる密葬で行われた。今日26日が告別式であった。午前
中降っていた冷たい雨は、昼が近づくとともにあがって
いった。しかし、寒さは一段と厳しい。
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理事長を乗せた車が国技館に到着する予定は13時という
情報が流れる。メディアが集まりだした。しかし、国技
館の正門は開かない。さらに待つこと1時間以上、八角
(元北勝海)理事、貴乃花理事、出羽一門の玉ノ井(栃
東)、出来山(元出羽の花)、山科(元大錦)などが出
迎える。すでに車は部屋を出たという。北の湖部屋から
国技館まではそれほど時間はかからないはず。それでも
なかなか来ない。
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ようやく理事長を乗せた車がやってきた。ゆっくりとエ
ントランス前の広場を時計まわりにまわりはじめ横向き
で止めた。北の湖夫人が車から出て一礼。再び車に乗る
と国技館を後にした。理事長は協会関係者が見守る中、
静かに国技館にお別れしていった。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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