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横綱の連続優勝なし場所数4

燃える要素があると強いのが北の富士であっ
た。初優勝は元千代の山の九重が出羽海部屋
から破門独立した直後という劇的な優勝で
あった。2度目は清國の新大関優勝に刺激
されて、一気に横綱を決めたときであった。
大関在位は21場所と長かった。大鵬は晩年
であった。その大鵬に勝っての優勝はついに
なかった。横綱優勝は7回。連続優勝なしは、
引退した場所を含む5場所連続である。

<北の富士の絵葉書>

玉の海は大関時代、横綱のチャンスはあった。
だが、決定打に欠けていた。13優勝勝-10勝
-13勝とやや甘い成績で昇進した。横綱連続
優勝なしは、新横綱からの3場所である。
玉の海の相撲が抜群の安定感をみせたのは、
横綱4場所目からであった。ここからの1年
間は84勝6敗というほど負けなかった。大鵬、
北の富士には勝っている貴ノ花には、1度も
負けなかった。現役で亡くなるという悲劇
さえなければ、どこまで到達したか。その
可能性が大きかっただけに本当に惜しまれる。

<玉の海>

琴櫻は大関32場所在位。誰も横綱になるとは
思っていなかった。32歳で連続優勝できそう
という途中経過のなかでさえ、否定的な見方
をされていた。
・無気力相撲を指摘された過去がある
・32歳で成長性がない
・なっても短命に終わりそう
だが、厳しい評論でなる方々が琴櫻にだけ
厳しいのは、不公平であると口にした。こう
した背景のなかで横綱琴櫻は誕生した。横綱
優勝は1回である。その翌場所から引退まで
5場所優勝していない。

学生出身で唯一横綱になったのが輪島である。
輪島は型破りな横綱だった。地方場所はホテ
ル住まい。交友関係は一流の方ばかりであっ
た。稽古にランニングを取り入れたが、当時
は珍しかった。横綱で12回優勝している。
そのなかでピンチだった時期は腰の故障から
3場所連続休場した。昭和50年三月場所から
である。この時期8場所連続優勝なしを記録
した。だが、輪島の横綱連続優勝なしはその
約2年後で9場所連続を記録している。

<輪島>

史上最年少で横綱になった力士が北の湖で
ある。大関3場所で横綱に昇進したが、まだ
抜群の強さはなかった。大関3場所目、輪島
に本割、優勝決定戦で負けてから、輪島に
6連敗をきっしている。横綱優勝23回でにく
らしいほど強いといわれた時期があった。
その反面優勝決定戦は3勝5敗と負け越して
いる。5敗のうち4敗は下位相手であった。
横綱の連続優勝なしは晩年に13場所連続を
記録している。そのうち8場所が休場であっ
た。

<北の湖>

2代目若乃花は下半身がやわらかく、ふと
ころが深いなど素質のある逸材であった。
甘いマスクで女性ファンが多かった。元安芸
ノ海は若乃花を北の富士級の横綱になれると
見ていた。しかし、大器は花開くことはなか
った。横綱優勝はわずか3回であった。頚椎
に疾患があったこともあり、引退までの
14場所連続優勝なしがある。プライベート
では師匠元初代若乃花の娘と結婚したが、
別離し、年上のホステスと再婚するなど週刊
誌ネタとなった。

<2代目若乃花>

三重ノ海は大関陥落後から横綱になった珍し
い例である。横綱になるとは思わなかったが、
連続6場所10勝以上の成績をあげるなかで
13勝、14勝をあげて横綱に昇進した。横綱
2場所目、3場所目に全勝を含む連続優勝
した。この当時が最高にいい時期であった。
横綱の連続優勝なしはその後引退するまでの
5場所連続がある。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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