大相撲

豊ノ島の相撲人生3

2020年4月25日

2010年七月場所の出場停止で、豊ノ島は一気
に十両に落ちた。十両落ちは3度目になった。
だが、十両では実力が違った。豊ノ島は14勝
1敗で優勝した。1場所で幕内に復帰した。
迎えた十一月場所、注目は白鵬の連勝記録で
あった。先場所まで62連勝と双葉山の69連勝
に迫っていた。

白鵬の連勝は2日目、稀勢の里にストップ
された。この場所豊ノ島は前頭9枚目に番付
を戻していた。謹慎の落ち込みは家族の激励、
支えによって立ち直ろうとしていた。3日目
に旭天鵬に負けた以外は、快進撃が続いた。
終盤1敗同士で大関把瑠都、2敗の大関魁皇
と対戦したが、これをのりこえ、白鵬と並ん
で1敗を併走した。

<2010年11月 稀勢の里に勝って14勝>

筆者は福岡国際センターで観戦していたが、
千秋楽は白鵬対豊ノ島が直接組まれるのでは、
と思った。実際は、惜しくも(?)白鵬対
大関で8勝の琴欧洲戦、豊ノ島対10勝稀勢の
里戦となった。豊ノ島が稀勢の里を退け、
白鵬が琴欧洲に圧勝し、優勝の行方は決定戦
となった。優勝決定戦では白鵬に一日の長が
あって、豊ノ島を問題にしなかった。敗れは
したものの、敢闘賞、技能賞を受賞した。
豊ノ島にとって一番思い出深い最高の場所と
なった。

<2010年11月 白鵬との優勝決定戦で敗北>

2011年一月場所、豊ノ島は前頭筆頭と再び
横綱・大関と対戦する地位まで戻してきた。
この場所豊ノ島は1勝7敗から7連勝という
ねばりをみせ、勝ち越した。2011年は八百長
発覚で三月場所が中止になり、五月は技量
審査場所として無料開催となった。そんな
なかで豊ノ島は39勝35敗と勝ち越している。
ただし、大関戦は以前ほど勝てなくなって
いた。

2012年は45勝45敗の五分とした。だが、2013
年から2015年の3年間は年間負け越しが続い
た。のみならず、三役・三賞なしがこの間
続いた。ただ、横綱日馬富士に3勝していた。

<2015年3月 日馬富士から金星>

豊ノ島最後の三賞は2016年の一月場所、意外
なカタチでとびこんできた。この場所豊ノ島
は横綱・大関戦は大関琴奨菊戦だけであった。
その琴奨菊に13日目に勝っている。ところが
琴奨菊が10年ぶり日本出身の優勝を成し遂げ
たのである。この一番だけで殊勲賞となった。
この場所12勝3敗で翌場所関脇に昇進した。
そしてこれが最後の三役となった。

<2016年1月 優勝琴奨菊から勝利>

2016年7月、33歳になった豊ノ島を悪夢が
襲った。稽古中におきたアキレス腱断裂で
あった。力士生命に関る大アクシデントだっ
た。奈落の底につき落とされたような暗澹
たる気持ちに陥った。

(この項目続く)

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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