玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)は第51代横綱。愛知県蒲郡市の出身で、協会の所属部屋の欄は二所ノ関から片男波。昭和45年3月から昭和46年9月まで横綱を務め、幕内優勝6回、生涯戦歴619勝305敗(76場所)、幕内戦歴469勝221敗(46場所)を残した。身長177センチ、体重134キロ、得意技は右四つ・上手投げ・吊り出し。横綱在位は10場所で、昭和46年九月場所を最後に、同年10月に27歳で現役のまま亡くなった。同じ日に横綱へ昇進したのが第52代の北の富士である。
※戦歴の数字は日本相撲協会の歴代横綱プロフィール(2026年9月18日確認)から写した。協会サイトの「過去の成績」は平成25年一月場所以降しかさかのぼれないので、場所ごとの勝敗の表はこの記事には無い。時期ごとの出来事は、協会の番付推移と、当サイト運営者の田口 通廣が記名記事に書いた内容を、出どころを分けて載せている。この記事には玉の海の写真が無い。玉の海の現役は田口が土俵際で撮り始めた2007年よりはるか前で、当サイトの写真アーカイブに田口が撮った玉の海は無かったためである(一覧やSNSのカードに出るのは両国国技館の外観で、玉の海ではない)。歴代横綱の一覧は初代明石から第75代大の里までに。
玉の海の基本データ|協会公式プロフィール(2026年9月18日確認)
| 四股名 | 玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)。しこ名履歴は 玉乃島 → 玉の海 |
|---|---|
| 代 | 第51代横綱(昭和45年3月〜昭和46年9月) |
| 出身地 | 愛知県蒲郡市 |
| 生年月日 | 昭和19年(1944年)2月5日 |
| 所属部屋 | 二所ノ関 → 片男波 |
| 身長・体重 | 177cm・134kg(歴代横綱の体重ランキング) |
| 得意技 | 右四つ・上手投げ・吊り出し |
| 初土俵/新十両/新入幕 | 昭和三十四年三月場所/昭和三十八年九月場所/昭和三十九年三月場所 |
| 新三役/新大関/新横綱 | 昭和四十年一月場所/昭和四十一年十一月場所/昭和四十五年三月場所 |
| 引退 | 昭和四十六年九月場所 |
| 優勝 | 幕内6回・序二段1回 |
| 三賞・金星 | 殊勲賞4回・敢闘賞2回・技能賞0回・金星4個 |
| 生涯戦歴 | 619勝305敗(76場所) |
| 幕内戦歴 | 469勝221敗(46場所) |
協会の歴代横綱プロフィールに載っているのは上の表の項目である。没年の欄は無いので、この記事では亡くなった日付を協会の記載としては書かず、後述のとおり田口の記事に書かれている日付として示している。生涯戦歴・幕内戦歴に休場の数字は表示されていない。「引退」の欄は昭和四十六年九月場所で、田口は「玉の海は昭和46年九月場所を最後に再び土俵にあがることはなかった」と書いている(18177・経緯は後述)。金星4個は、玉の海が平幕として横綱から挙げた数である。横綱として与えた金星のほうは協会のこのページには無く、田口が玉の海の金星配給率で数えている。
| 項目 | 協会の記載 | 補足 |
|---|---|---|
| 幕内優勝 | 6回 | 協会プロフィールの戦歴。序二段優勝1回もある。十両・幕下・三段目・序ノ口の優勝は0回 |
| 三賞 | 殊勲賞4回・敢闘賞2回・技能賞0回 | 協会プロフィール。三賞は関脇以下が対象なので、大関に上がった昭和41年十一月場所より後には増えない |
| 金星 | 4個 | 玉の海が平幕として横綱から挙げた数。横綱として与えた金星は別の数字で、田口が 54646 で数えている |
| 生涯戦歴 | 619勝305敗(76場所) | 協会プロフィール。休場の数字は表示されていない |
| 幕内戦歴 | 469勝221敗(46場所) | 協会プロフィール |
| 得意技 | 右四つ・上手投げ・吊り出し | 協会プロフィール |
| 身長・体重 | 177cm・134kg | 協会プロフィール |
| 横綱在位 | 昭和45年3月〜昭和46年9月 | 協会プロフィール。10場所 |
初土俵から昭和46年九月場所まで|協会の日付と田口の記録でたどる年表
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 昭和34年三月場所 | 初土俵。協会の所属部屋の欄は 二所ノ関 → 片男波。田口によれば片男波(元玉乃海)部屋は二所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から独立した | 協会・田口 54646 |
| 昭和38年九月場所 | 新十両 | 協会 |
| 昭和39年三月場所 | 新入幕 | 協会 |
| 昭和40年一月場所 | 新三役(小結)。田口「昭和40年一月場所横綱大鵬(二所ノ関部屋)対小結玉乃島(片男波部屋)戦が初日に実現した。この一番、玉乃島はなんと内掛けで大鵬を倒してしまった」。この場所から部屋別総あたり制が始まり、それ以前の系統別総あたり制では本家・分家の対戦が無かったと田口は書いている | 協会・田口 54646 |
| 昭和41年十一月場所 | 新大関。田口「玉乃島は北の富士に次いで大関に昇進した」 | 協会・田口 54646 |
| 大関時代 | 田口によれば、大関8場所目から12勝-12勝-13勝優勝の成績を挙げたが横綱審議委員会の賛成は2人で規定の3分の2に届かず、横綱昇進はその10場所後になった | 田口 54646・44643 |
| 昭和45年三月場所 | 新横綱(第51代)。北の富士と同日の昇進。昇進前3場所は田口によれば13勝優勝-10勝-13勝優勝同点。横綱昇進に合わせて玉乃島から玉の海に改名 | 協会・田口 18177・17579 |
| 昭和46年九月場所 | 協会の番付推移はここで終わる(引退の欄が昭和四十六年九月場所)。田口によればこの場所は12勝3敗で、七日目の貴ノ花戦で二枚腰を見せた | 協会・田口 18159・17580 |
| 昭和46年10月 | 田口「玉の海が急死したのは昭和46年10月11日のことである」。協会の歴代横綱プロフィールに没年の欄は無い | 田口 17628・22632 |
横綱昇進は一度では決まらなかった。田口はこう書いている。「玉乃島は北の富士に次いで大関に昇進した。大関8場所目から12勝ー12勝ー13勝優勝の好成績をあげた。横綱審議委員会は審議したが、賛成は2人であった。規定は3分の2が必要だった。協会も強い意志はなかった。玉乃島の横綱は結局その10場所後に実現した」(玉の海の金星配給率・2026年8月26日)。昇進が決まった昭和45年一月場所後の事情については「横綱は大鵬がひとりであり、晩年だったこと。さらに以前横綱のチャンスを逃した経緯を加味され横綱に推挙された」と書いている(玉の海を偲ぶ・2024年10月17日)。
四股名が玉乃島から玉の海に変わったのはこの昇進のときである。田口によれば、玉乃島の四股名で慣れ親しんできたのだから今さら変えなくても、と諭したのが当時NHKの解説者だった玉の海梅吉で、本人の意志が堅かったので了承した。そのとき梅吉が付けた条件を、田口はそのまま引いている。「玉乃島がどういう相撲をとってきたかは問わない。しかし、玉の海を名乗るのなら、今後八百長をやってもらっては困る」(無念!玉の海1・2015年10月7日)。なお、この玉の海梅吉は双葉山と対戦し、のちにNHKの解説者になった人で、当サイトでは玉ノ海とも書いている。第51代横綱の玉の海とは別人なので、当サイトの「玉の海梅吉氏が語る…」「玉の海梅吉氏が残した言葉」などの記事は解説者のほうの話である。
横綱10場所の中身|北の富士と同日昇進から「玉玉時代」まで
横綱在位は昭和45年三月場所から昭和46年九月場所までの10場所である。この10場所の勝ち星の並びを、田口は北の富士と対にして1本の記事に書いている。同日に昇進した2人の差は、まず北の富士側についた。「北の富士が横綱で13勝-14勝優勝-13勝優勝だったのに比べ、玉の海は13勝-12勝-9勝と優勝できなかった。特に9勝に終わったときは、こんな横綱があるか、とまで言われた」。そこから逆転する。「14勝優勝-14勝優勝-14勝-14勝優勝と抜群の安定感を示した。対して北の富士は11勝-11勝-11勝-11勝とすべて11勝でイレブン横綱と言われた」。最後の3場所は「玉の海は13勝-15勝優勝-12勝と安定感は玉の海がはるかに上回った」(ライバル差がつくとき 玉の海 北の富士・2017年6月11日)。NHKの解説者だった神風が「これでは北玉時代ではなく、玉玉時代である」と言った、という話も田口が書き留めている(無念!玉の海1)。
場所別の星取表はこの記事には無い。協会の「過去の成績」でさかのぼれるのは平成25年一月場所までで、玉の海の現役はその範囲の外だからである。上の並びは田口の記述であって、田口が書いているのは勝ち星だけで、負け数まで書いているのは9勝6敗と、最後の場所の12勝3敗(■夏11日目 稀勢の里と魁傑・横綱玉の海の比較・2017年5月24日)である。当サイトで足し算をして確かめたのは2か所だけで、田口の記述どうしを突き合わせたものである。ひとつは、14勝-14勝-14勝-14勝-13勝-15勝の6場所を足すと84勝になり、田口が別の記事で書いた「1年間で84勝6敗という成績をあげた」(■秋6日目 安定感が増した照ノ富士は玉の海になれる・2015年9月18日)と食い違わないこと。もうひとつは、田口の記事に「優勝」と書かれた場所を数えると、大関時代の2場所(12勝-12勝-13勝優勝の13勝と、昇進前の13勝優勝)と横綱時代の4場所で6になり、協会の幕内優勝6回と食い違わないこと。ただし田口は大関時代の全場所を書いているわけではないので、後者は集計ではなく矛盾が無いことの確認にとどまる。
ここまでの田口の数字を1つの表にまとめておく。協会の公表値ではなく、田口が自分の記事に書いた数字で、記事IDと公開日を各行に添えた。
| 項目 | 数字 | 出どころ(当サイトの記事IDと公開日) |
|---|---|---|
| 横綱昇進前の3場所 | 13勝優勝-10勝-13勝優勝同点 | 18177(2017年6月11日)・44643(2024年10月17日)。同日昇進の北の富士は12勝-13勝優勝-13勝優勝で、田口は玉乃島を「やや甘い昇進」と書いている |
| 横綱の最初の3場所 | 13勝-12勝-9勝 | 18177。「特に9勝に終わったときは、こんな横綱があるか、とまで言われた」 |
| その後の4場所 | 14勝優勝-14勝優勝-14勝-14勝優勝 | 18177。同じ4場所の北の富士は11勝が4場所続き「イレブン横綱」と言われた |
| 最後の3場所 | 13勝-15勝優勝-12勝 | 18177。最後の12勝は昭和46年九月場所で、18159は12勝3敗と書いている |
| 1年間の成績 | 84勝6敗 | ■17558(2015年9月18日)。「1年間で84勝6敗という成績をあげた」 |
| 中日勝ち越し | 6場所連続 | 17106(2014年3月1日)。白鵬の7場所連続がこれを抜いたと書いている |
| 横綱時代の平幕戦 | 58勝3敗で金星配給率5% | 54646(2026年8月26日)。7場所連続金星0の記録があり、2個取ったのは福の花 |
| 貴ノ花との対戦 | 貴ノ花は1度も玉の海に勝てなかった | ■17558・17581。回数は田口の記事に無い |
安定の中身を、田口は「腰」で説明している。「玉の海は腰で取る相撲であり、北の富士はスピードで取る相撲であった」(18177)。「玉の海の相撲が安定して来たのは、横綱4場所目以降である。右四つの型と腰で取る相撲は取りこぼすことは、ほとんどなかった」(17579)。田口が繰り返し書く「双葉山と比較する楽しみ」もここから出ている。「白鵬が双葉山と比較されたのは連勝記録であった。玉の海が双葉山と比較されたのは取り口の面であった。2人の違いはそこにある」(白鵬と玉の海・2014年3月1日)。同じ記事で田口は、白鵬の7場所連続中日勝ち越しが玉の海の6場所連続を抜く記録であり、2人が同じ太刀山型の土俵入りで右四つと共通点が多い、とも書いている。
与えた金星の少なさも、安定の裏づけとして田口が数えている。「玉の海は金星をほとんど与えなかった。横綱時代の平幕戦は58勝提供3敗であった。金星配給率5%である。7番平幕戦があったら0.3個である。7場所連続金星0記録がある。福の花が2個獲得している」(玉の海の金星配給率)。これは協会の公表値ではなく田口の集計で、協会プロフィールの金星4個(平幕時代に挙げた側)とは向きが逆の数字である。
貴ノ花戦の二枚腰|昭和46年九月場所七日目
田口が玉の海を書くとき、ほぼ必ず出てくる一番がある。最後の場所となった昭和46年九月場所の七日目、貴ノ花戦である。「貴ノ花の双差し速攻からの外掛けをくって、玉の海の腰がくずれた。だが、もう一つの腰で残し、貴ノ花の両腕を抱えて土俵下にほうり出したのである。二枚腰が発揮された瞬間であった。二枚腰という言葉は知っていたが、どこかぴんとこなかった。だが、玉の海が実際に見せてくれたのは紛れもなく、二枚腰であった。玉の海が二枚腰を知らしめてくれたのである」(無念!玉の海2・2015年10月8日)。この一番は双葉山の人物紹介にも出てくる。田口は双葉山の二枚腰がどうにも実感できずにいて、玉の海がこの日に見せた腰でようやく分かった、と書いているからである。
この貴ノ花について田口は「角界のプリンスといわれた貴ノ花はついに1度も玉の海に勝てなかった」(■秋6日目)、「大鵬には勝った貴ノ花はついに玉の海に1度も勝てなかった」(無念!玉の海3・2015年10月9日)と書いている。対戦の回数は田口の記事に無い。なお昭和46年に玉の海と対戦したこの貴ノ花は、第65代横綱の貴乃花(協会プロフィールでは初土俵が昭和六十三年三月場所で、しこ名履歴に貴ノ花を含む)とは別の力士である。
田口は2024年の記事で「玉の海の相撲を見た者として改めて思いつくまま記しておきたい」と書いている(玉の海を偲ぶ)。どこで見たかは田口が書いていないので、この記事でも書かない。当サイトに玉の海の写真が無いのは、田口が土俵際で撮り始めたのが2007年で、玉の海の現役がそれよりはるか前だからである。この記事に田口の実見として書けるのは、田口自身が「見た者として」と書いた事実までである。
昭和46年10月、現役のまま27歳で|田口 22632 が書いている範囲
横綱のまま現役で亡くなったのは谷風・玉錦・玉の海の3人で、当サイトでは田口が横綱の現役死亡3例(2020年5月15日)にまとめている。玉の海について、この記事に書かれている範囲を要約するとこうなる。玉の海は虫垂炎を患っていたが、持ち前の責任感から切らずに注射で散らして夏の巡業と九月場所を務めた。場所後も一門の大先輩である大鵬の引退相撲(10月2日)で最後の土俵入りの太刀持ちを務め、入院は10月4日、手術は6日になった。虫垂炎の手術だから大事にはいたらないと誰しも思ったが、5日後の10月11日に容体が急変し、右肺動脈幹に発生した血栓症が原因で亡くなった。27歳だった。田口は別の記事で「注射で散らしていた。それが昭和46年五月場所途中から始まっていた」と、時期をもう少し前から書いている(玉の海を偲ぶ・玉の海の金星配給率)。
この記事が亡くなった経緯として書くのは、22632 に書かれている範囲までである。医学的な補足はしない。田口の2014年の記事(白鵬と玉の海)は同じ出来事を別の言葉で書いているが、この記事は死を主題にした 22632 の記述に合わせている。日付についても一言添えておく。田口の記事は 17579・17628・18177・22632 が10月11日と書いており、44643 は冒頭で「10月18日」と書いたあと本文では10月11日と書いている。この記事は10月11日を採った。協会の歴代横綱プロフィールには没年の欄そのものが無いので、日付はいずれも田口の記述である。
九月場所に出場した判断については、田口が解説者・玉の海梅吉とのやりとりを書き残している。梅吉は「症状がでているなら最初から休場したほうがいい。出場して負けが込んで休場ではいかにもみっともない」と休場を薦め、横綱玉の海は「先代、私は不死身なんでしょうかねえ。無様な相撲を取ったら、遠慮なく批判してください」とポンと腹をたたいたという(■夏11日目・無念!玉の海2)。田口はこの話を、稀勢の里が2017年夏場所を途中休場した日の観戦記に、魁傑の「休場は試合放棄」と並べて書いている。
訃報のあと病院に駆けつけた小坂秀二の証言を、田口は「略さずきちんと伝えたかった」として長く引用している(無念!玉の海3。出典は小坂秀二『がちんこ相撲-誰が現代の双葉山か-』いんなあとりっぷ社)。小坂は玉乃島のときから玉の海のよさを最初に見出した人だと田口は書いている。この記事では証言の中身を重ねず、田口がその引用に続けて書いた読みだけを置いておく。「玉の海が生きていたら、北の富士とともに角界をリードしただろう。昭和47年から始まった誰が優勝するかまるでわからない戦国場所はなかったろう」。これは田口の読みであって、記録ではない。
玉の海についてよくある質問
Q. 玉の海は何代目の横綱ですか?
第51代です。横綱在位は昭和45年3月から昭和46年9月の10場所です(協会の歴代横綱プロフィール)。前が第50代佐田の山、次が第52代北の富士で、北の富士とは同じ日に昇進しています。
Q. 優勝は何回ですか?
幕内優勝6回です(協会プロフィール)。田口の記事では、横綱時代の優勝は14勝・14勝・14勝・15勝の4場所として書かれています(ライバル差がつくとき 玉の海 北の富士)。
Q. 得意技は?
協会の表示は右四つ・上手投げ・吊り出しです。田口は「腰で取る相撲」「二枚腰」と繰り返し書いています。
Q. 身長と体重は?
協会の表示は177センチ・134キロです(歴代横綱の体重ランキング)。
Q. 玉乃島と玉の海は同じ人ですか?
同じ人です。協会のしこ名履歴は 玉乃島 → 玉の海 で、横綱昇進のときに改名しました。当サイトの記事に出てくる「玉の海梅吉」「玉ノ海」は、双葉山と対戦しNHKの解説者になった別人です。
Q. 亡くなった経緯は?
昭和46年九月場所のあと虫垂炎の手術を受け、5日後の10月11日に27歳で現役のまま亡くなりました。当サイトでは田口が横綱の現役死亡3例に書いており、この記事もその範囲までしか書いていません。協会の歴代横綱プロフィールに没年の欄は無いため、日付は田口の記述です。
Q. 場所ごとの成績は載っていますか?
載せていません。協会の「過去の成績」でさかのぼれるのは平成25年一月場所までで、玉の海の現役はその範囲の外だからです。推測で表を作らない方針のため、この記事には場所別の星取表がありません。田口が書いた横綱10場所の勝ち星の並びは本文に引いています。
Q. なぜこの記事には玉の海の写真が無いのですか?
当サイトの写真は運営者・田口 通廣が撮ったものに限っています。田口が撮り始めたのは2007年からで、玉の海の現役(昭和34年〜46年)はそれよりはるか前です。当サイトにある玉の海の画像はブロマイドや複写で、出所を確認できないため本文には入れていません。一覧やSNSのカードに出るのは田口が撮った両国国技館の外観で、玉の海の写真ではありません。
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