大相撲

無念!玉の海1

2015年10月7日

毎年10月が来ると思い出すのは現役で亡くなった横綱玉
の海である。玉の海が急死したのは昭和46年10月11日の
ことで今から44年前のことになる。昭和・平成10大ニュ
ースに間違いなく入るほど現役横綱の死は衝撃的な出来
事だった。

玉の海は北の富士と同日横綱に昇進した。大関時代は横
綱になるチャンスはあったが、見送られた。北の富士が
連続優勝で昇進したのに対し、玉の海はやや甘い昇進だ
った。

玉の海は大関時代玉乃島といっていたが、横綱昇進にあ
たって玉の海の四股名を希望した。当時NHKの解説者
だった玉の海梅吉氏は、玉乃島で慣れ親しんできたのに
今さら玉の海にしなくても、と諭したが、横綱の意志は
堅かった。玉の海梅吉氏はそれならと了承したが、1つ
条件をつけた。それは「玉乃島がどういう相撲をとって
きたかは問わない。しかし、玉の海を名乗るのなら、今
後八百長をやってもらっては困る」というものだった。
玉の海
玉の海の相撲が安定して来たのは、横綱4場所目以降で
ある。右四つの型と腰で取る相撲は取りこぼすことは、
ほとんどなかった。同時期のライバル北の富士は11勝を
4場所続け、イレブン横綱と呼ばれていた。NHKの解
説者神風は「これでは北玉時代ではなく、玉玉時代であ
る」と言ったほどである。

そんな玉の海はある病気にかかっていた。それも早く治
療していれば悲劇は訪れなかったろうに、と悔やまれる。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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