毎年10月が来ると思い出すのは現役で亡くなった横綱玉
の海である。玉の海が急死したのは昭和46年10月11日の
ことで今から44年前のことになる。昭和・平成10大ニュ
ースに間違いなく入るほど現役横綱の死は衝撃的な出来
事だった。
玉の海は北の富士と同日横綱に昇進した。大関時代は横
綱になるチャンスはあったが、見送られた。北の富士が
連続優勝で昇進したのに対し、玉の海はやや甘い昇進だ
った。
玉の海は大関時代玉乃島といっていたが、横綱昇進にあ
たって玉の海の四股名を希望した。当時NHKの解説者
だった玉の海梅吉氏は、玉乃島で慣れ親しんできたのに
今さら玉の海にしなくても、と諭したが、横綱の意志は
堅かった。玉の海梅吉氏はそれならと了承したが、1つ
条件をつけた。それは「玉乃島がどういう相撲をとって
きたかは問わない。しかし、玉の海を名乗るのなら、今
後八百長をやってもらっては困る」というものだった。
ある。右四つの型と腰で取る相撲は取りこぼすことは、
ほとんどなかった。同時期のライバル北の富士は11勝を
4場所続け、イレブン横綱と呼ばれていた。NHKの解
説者神風は「これでは北玉時代ではなく、玉玉時代であ
る」と言ったほどである。
そんな玉の海はある病気にかかっていた。それも早く治
療していれば悲劇は訪れなかったろうに、と悔やまれる。
(この項目続く)
ご愛読まことにありがとうございます
よろしければ下部2カ所をクリックして応援してください。
よしなに
”土俵の目撃者”
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑