玉の海は虫垂炎を患っていた。玉の海は持ち前の責任感
から切らずに注射で散らしていた。それが夏の巡業、九
月の本場所と長期に渡っていた。
実は九月場所前、玉の海の四股名を名乗ることを許諾し
たNHK解説者の玉の海梅吉氏は「症状がでているなら
最初から休場したほうがいい。出場して負けが込んで休
場ではいかにもみっともない」と休場を薦めていた。こ
れに対し横綱玉の海は「先代、私は不死身なんでしょう
かねえ。無様な相撲を取ったら、遠慮なく批判してくだ
さい」とポンと腹をたたいたという。
九月場所、出場した玉の海は苦闘のなかから12勝と横綱
の責任勝ち星をあげた。その中でも7日目角界のプリン
ス貴ノ花戦は歴史的一番となった。貴ノ花の双差し速攻
からの外掛けをくって、玉の海の腰がくずれた。だが、
もう一つの腰で残し、貴ノ花の両腕を抱えて土俵下にほ
うり出したのである。二枚腰が発揮された瞬間であった。
二枚腰という言葉は知っていたが、どこかぴんとこなか
った。だが、玉の海が実際に見せてくれたのは紛れもな
く、二枚腰であった。玉の海が二枚腰を知らしめてくれ
たのである。
った。運が悪いことに一門の大先輩でもあり、稽古をつ
けてもらった大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。
大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなければならなか
った。結局玉の海が入院したのは10月4日であり、手術
は6日になった。虫垂炎の手術だから大事にはいたらな
いと誰しも思った。だが、それから5日後の10月11日、
様態は急変した。思いがけず、右肺動脈幹に発生した血
栓症が原因で横綱玉の海は帰らぬ人となった。
(この項目続く)
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よしなに
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