大相撲

無念!玉の海2

2015年10月8日

玉の海は虫垂炎を患っていた。玉の海は持ち前の責任感
から切らずに注射で散らしていた。それが夏の巡業、九
月の本場所と長期に渡っていた。

実は九月場所前、玉の海の四股名を名乗ることを許諾し
たNHK解説者の玉の海梅吉氏は「症状がでているなら
最初から休場したほうがいい。出場して負けが込んで休
場ではいかにもみっともない」と休場を薦めていた。こ
れに対し横綱玉の海は「先代、私は不死身なんでしょう
かねえ。無様な相撲を取ったら、遠慮なく批判してくだ
さい」とポンと腹をたたいたという。

九月場所、出場した玉の海は苦闘のなかから12勝と横綱
の責任勝ち星をあげた。その中でも7日目角界のプリン
ス貴ノ花戦は歴史的一番となった。貴ノ花の双差し速攻
からの外掛けをくって、玉の海の腰がくずれた。だが、
もう一つの腰で残し、貴ノ花の両腕を抱えて土俵下にほ
うり出したのである。二枚腰が発揮された瞬間であった。
二枚腰という言葉は知っていたが、どこかぴんとこなか
った。だが、玉の海が実際に見せてくれたのは紛れもな
く、二枚腰であった。玉の海が二枚腰を知らしめてくれ
たのである。
玉の海2
場所が終われば今度こそ手術のはずが、そうはいかなか
った。運が悪いことに一門の大先輩でもあり、稽古をつ
けてもらった大鵬の引退相撲が10月2日に控えていた。
大鵬最後の土俵入りの太刀持ちを務めなければならなか
った。結局玉の海が入院したのは10月4日であり、手術
は6日になった。虫垂炎の手術だから大事にはいたらな
いと誰しも思った。だが、それから5日後の10月11日、
様態は急変した。思いがけず、右肺動脈幹に発生した血
栓症が原因で横綱玉の海は帰らぬ人となった。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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