MENU

ライバル差がつくとき 玉の海 北の富士

昭和44年、長く続いた大鵬時代は陰りを帯び
てきた。大鵬より後から横綱になった栃ノ海、
佐田の山は先に引退していた。同日横綱に
昇進した柏戸は、昭和43年頃から衰えが目立
ってきた。9勝6敗の成績が多くなってきた。
しかし、柏戸は辞めるに辞められなかった。
後継を託すべき横綱が誕生する気配が、まる
で見えなかった。柏戸は不成績ながら土俵を
務めたが、それさえも限界となり、ついに
昭和44年七月場所引退した。「大鵬関すま
ない」柏戸はそんな言葉を残して土俵を去っ
た。
柏戸!
<柏戸>

柏戸が引退した場所では、新大関の清国が
初優勝して、いちやく横綱候補となった。
「清国一人に甘い汁を吸わせておけるか」。
そう言って燃える男がいた。大関北の富士で
あった。北の富士は燃える要素があると強い。
出羽海部屋から破門独立した元千代の山と
行動をともにした。その直後の場所で予想外
の初優勝を成し遂げた。杉山桂四郎氏はそん
な北の富士を循環気質と称した。
昭和45年一月場所後、燃える北の富士とこれ
まで横綱を見送られていた玉乃島が同日横綱
に昇進した。北の富士が12勝-13勝優勝-
13勝優勝と連続優勝で横綱に昇進したのに
比べ、玉乃島は13勝優勝-10勝-13勝優勝
同点とやや甘い昇進であった。横綱になって
も北の富士と玉乃島改め玉の海の間で差が
ついた。北の富士が横綱で13勝-14勝優勝-
13勝優勝だったのに比べ、玉の海は13勝-
12勝-9勝と優勝できなかった。特に9勝に
終わったときは、こんな横綱があるか、と
まで言われた。
北の富士!
<北の富士>

しかし、ここから玉の海の逆転が始まる。
14勝優勝-14勝優勝-14勝-14勝優勝と抜群
の安定感を示した。対して北の富士は11勝-
11勝-11勝-11勝とすべて11勝でイレブン
横綱と言われた。玉の海は腰で取る相撲で
あり、北の富士はスピードで取る相撲であっ
た。その後北の富士は15勝優勝-8勝-15勝
優勝と優勝回数は北の富士が先行した。玉の
海は13勝-15勝優勝-12勝と安定感は玉の海
がはるかに上回った。
だが、玉の海は昭和46年九月場所を最後に
再び土俵にあがることはなかった。玉の海は
ある病にかかっていた。それも早く治療して
いれば悲劇は訪れなかったろうに、と悔やま
れる。玉の海は虫垂炎を患っていた。玉の海
は持ち前の責任感から切らずに注射で散らし
ていた。それが夏の巡業、九月の本場所と
長期に渡っていた。
玉の海!
<玉の海>

場所が終われば今度こそ手術のはずが、そう
はいかなかった。運が悪いことに一門の大先
輩でもあり、稽古をつけてもらった大鵬の
引退相撲が10月2日に控えていた。大鵬最後
の土俵入りの太刀持ちを務めなければならな
かった。結局玉の海が入院したのは10月4日
であり、手術は6日になった。虫垂炎の手術
だから大事にはいたらないと誰しも思った。
だが、それから5日後の10月11日、様態は
急変した。思いがけず、右肺動脈幹に発生
した血栓症が原因で横綱玉の海は帰らぬ人と
なった。あまりにも惜しい。玉の海の死は、
すべての人から惜しまれた。そして玉の海の
死は相撲界にとってとてつもなく大きな損失
となった。

中学生棋士藤井四段の扇子が即完売、
とはすごすぎます。

興味深いテーマをこれからもお届けます。
マーク2カ所をクリックして支援してください。

よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
にほんブログ村 

相撲 ブログランキングへ 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑       

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次