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■夏11日目 稀勢の里と魁傑・横綱玉の海の比較

170513初日前日 093
<稀勢の里>

稀勢の里がとうとう休場した。これは最も

見たくない結末である。負けが込んで休場
するくらいなら、最初から休場したほうが
はるかにスッキリする。そうしなかったのは
明らかに判断の誤りである。途中休場した
ことは稀勢の里にとって、何も残らない。
再起への道筋も、次へのステップもすべては
いたずらに時をすごし、出遅れのスタートに
なってしまった。
途中休場したことで、横綱のフル出場負け
越しの恐れはなくなった。だが、途中休場は
事実上の負け越しである。けして休場が負け
よりましなものではない。横綱の責任を果た
せないという点においてはなんら変わらない。
魁傑
<魁傑の記事>

魁傑は「休場は試合放棄」と負けが込んでも
休まなかった。この言葉は当時相当のインパ
クトをもって受け止められた。これまで横綱・
大関は負けが込むと休場があたりまえであっ
た。この悪しき因習に誰もがすっきりしない
ものを感じていたのを魁傑が一掃した。
玉の海は虫垂炎を患っていた。玉の海は持ち
前の責任感から切らずに注射で散らしていた。
それが昭和46年夏の巡業、九月の本場所と
長期に渡っていた。
玉の海
<玉の海>

実は九月場所前、玉の海の四股名を名乗る
ことを許諾したNHK解説者の玉の海梅吉氏
は「症状がでているなら最初から休場した
ほうがいい。出場して負けが込んで休場では
いかにもみっともない」と休場を薦めていた。
これに対し横綱玉の海は「先代、私は不死身
なんでしょうかねえ。無様な相撲を取ったら、
遠慮なく批判してください」とポンと腹を
たたいたという。玉の海は苦闘のなかから
12勝3敗と横綱の責任をみごとにはたした。
11日目、白鵬は豪栄道を退け、日馬富士は
御嶽海に不覚をとった。稀勢の里が消えた
土俵は、寂しさだけが残った。
170524十一日目幕内 678
<白鵬、豪栄道に圧勝>
170524十一日目幕内 723
<全勝日馬富士、御嶽海に敗れる>

古い相撲仲間と久々に一緒に観戦しました。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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