大相撲

白鵬と玉の海

2014年3月1日

白鵬がもつ記録に連続7場所中日勝ち越しがある。
2011(平成23)年一月場所から翌年の三月場所までに
なしえた記録である。(注:2011(平成23)年の三月
場所は中止)これは横綱玉の海の6場所連続中日
勝ち越しを抜く記録である。この記録は相撲の
安定度を証明している。2人は同じ太刀山型の土俵
入り、右四つと共通点が多いが、決定的に違う点が
ある。

玉の海は腰で取る相撲であり、双葉山と比較する
楽しみがあった。最後の場所となった1971(昭和46)
年九月場所七日目、玉の海は貴ノ花戦にもろ差しに
なられ、外掛けの奇襲を受け、腰が崩れた。だが
次の瞬間もうひとつの腰でのこし、貴ノ花の両腕を
抱えて土俵下に放り出した。二枚腰が発揮された
瞬間だった。

この場所後以前から発覚していた虫垂炎を手術したが、
その後併発した急性冠不全で玉の海は帰らぬ人と
なった。大相撲を見始めて以来最も悲しい出来事で
あった。白鵬が双葉山と比較されたのは連勝記録で
あった。玉の海が双葉山と比較されたのは取り口の
面であった。2人の違いはそこにある。今後白鵬が
後の先の立会いを身に付けたとき、新たな比較論が
生まれる。
jozetsu_玉の海

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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