横綱は負け越しても番付が下がらない。負けが込んでも大関に落ちることはなく、番付が下がらないのは横綱だけである。ただし一度だけ、日本相撲協会が「横綱でも成績が振るわなければ大関に落とす」と決めたことがある。昭和25年1月20日の役員会での決定で、世論の反発を受けて9日後に白紙へ戻り、代わりに横綱審議委員会が生まれた。負け越し自体は今も起きている。協会公式の星取表をさかのぼれる2013年一月場所から2026年七月場所までの81場所を数えると、横綱が勝ち越しに届かなかった場所は延べ71あった。ただし15日間取り切ったうえで負け越した横綱は、この13年半で1人もいない。
数字は日本相撲協会公式サイト「過去の成績・番付>星取表」(幕内)から81場所ぶんを取得して数え直したもの(2026年8月3日取得)。数え方は記事末の「この記事の数字の出どころ」に書いた。昭和以前の横綱勝率は当サイトの田口道宏による集計。
横綱は負け越しても番付が下がらない
大関は2場所続けて負け越すと関脇に落ちる。関脇以下も負け越せばその分だけ下がる。番付は勝ち越しと負け越しで動く仕組みになっていて、その例外が横綱ひとつしかない。横綱は0勝15敗に終わっても翌場所また横綱の位置に書かれる。当サイトの田口道宏は横綱という地位をこう書いている。「けして下がることがない地位である。あきらかにチャンピオンとは異なる概念である」。負けたら明け渡すチャンピオンベルトとは、そもそも成り立ちが違うという意味である。
そのかわり、負けが込んだ横綱には引退という出口しか用意されていない。これも規則ではなく不文律である。田口は「横綱が抱える問題でもうひとつ考えなければならないのが、不成績の場合引退しなければならないという不文律である。不文律だけあって明確な基準はない。どの程度の成績が不成績なのかあいまいであり、よくわからない」と書いている。何勝で引退という線はどこにも書かれていない。
| 地位 | 負け越したときの番付 |
|---|---|
| 横綱 | 下がらない(唯一の例外) |
| 大関 | 2場所続けて負け越すと関脇へ陥落。陥落直後の場所で10勝すれば大関に戻る |
| 関脇以下 | 負け越した分だけ下がる |
一度だけ「横綱を大関に落とす」と決めた9日間があった
横綱が下がらないのは昔からの決まりごとに見えるが、一度だけ協会が方針を変えかけている。昭和25年(1950年)の春場所である。この場所、羽黒山・東富士・照國の3横綱が総崩れになった。東富士が3日目から、照國が4日目から、羽黒山が5日目から休場し、5日目には土俵から横綱が消えた。前の場所には横綱前田山が不成績を繰り返して引退に追い込まれたばかりで、横綱の権威が崩れかけていた時期だった。
批難を浴びた協会は1月20日の役員会で、横綱といえども成績が振るわなければ横綱を返還して大関に落とす、という方針を決めた。史上初の横綱格下げである。ところが世論とメディアが猛反発した。「横綱はチャンピオンではない。チャンピオン同様の成績を何度もあげて、初めてなれるのだ」「功なり名を遂げた者は力が衰えたら引退するだけ。格下げはよろしくない」という論だった。
これを受けて協会は1月29日の番付編成会議で二つの結論を出す。一、横綱格下げは弊害があるので白紙に戻す。二、5月の夏場所までに相撲愛好家・有識者による、横綱のいっさいを審議する横綱審議委員会を設置する。横綱格下げは決定から9日で消え、横綱審議委員会がその跡地に生まれた。今の横綱が負け越しても下がらないのは、このとき格下げが引っ込められたからである。
この経緯は田口が横綱審議委員会誕生と千代ノ山の横綱返上問題で詳しく書いている。
自分から横綱を返上したいと申し出た力士もいた
横綱が下がらないという決まりは、本人が下がりたいと言っても動かない。昭和28年(1953年)の春場所、千代ノ山がそれを試している。
千代ノ山は昭和26年の夏場所後に横綱へ昇進した。その後の成績を田口は次のように記録している。昭和26年秋場所9勝6敗、昭和27年春場所13勝2敗、夏場所10勝5敗、秋場所11勝4敗、昭和28年初場所4勝4敗7休。優勝のないまま前の場所は途中休場だった。迎えた昭和28年春場所は横綱6場所目で、初日に時津山を破ったあと4連敗し、またも途中休場に追い込まれる。
苦悩した千代ノ山は「大関に戻ってやり直したい」と、部屋の藤島(元安芸ノ海)を通して協会に申し入れた。世にいう横綱返上問題である。協会は前例のない申し出に困惑し、結局は受け入れなかった。「千代ノ山は治療に専念するように」と再起を促してこの話は終わっている。3年前に格下げを引っ込めた協会が、本人からの返上を認めるはずもなかった。横綱は落ちないし、降りることもできない。
では、実際に負け越した横綱は誰か(2013年一月場所〜2026年七月場所)
日本相撲協会が公式サイトで星取表をさかのぼれるのは平成25年(2013年)一月場所までである。そこから令和8年(2026年)七月場所までの81場所を1場所ずつ数えた。この間に横綱として番付に載ったのは白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里・照ノ富士・豊昇龍・大の里の7人、延べ172場所になる。
そのうち勝ち越しの8勝に届かなかったのは71場所。全体の41%にあたる。横綱の4割が負け越している、と言い換えてもいい数字である。
| 横綱 | この期間の横綱在位 | 8勝に届かなかった場所 | 割合 |
|---|---|---|---|
| 稀勢の里 | 12場所 | 10場所 | 83% |
| 照ノ富士 | 21場所 | 13場所 | 62% |
| 鶴竜 | 41場所 | 19場所 | 46% |
| 豊昇龍 | 9場所 | 4場所 | 44% |
| 白鵬 | 52場所 | 17場所 | 33% |
| 大の里 | 7場所 | 2場所 | 29% |
| 日馬富士 | 30場所 | 6場所 | 20% |
稀勢の里の12場所中10場所という数字が目を引く。横綱在位そのものが12場所と短く、そのほとんどを休場か途中休場で終えたためである。日馬富士の20%がこの7人でもっとも低い。
土俵に上がって8勝に届かなかった39場所
71場所のうち32場所は、一番も取らずに終わった場所である(全休、または初日から休んだまま場所中に引退した鶴竜の2021年三月場所)。残る39場所が、土俵に上がったうえで勝ち越しに届かなかった場所になる。それを場所順に並べた。
| 場所 | 横綱 | 成績 | 状況 |
|---|---|---|---|
| 2014年九月場所 | 日馬富士 | 3勝2敗10休 | 途中休場 |
| 2015年三月場所 | 鶴竜 | 0勝1敗14休 | 途中休場 |
| 2015年七月場所 | 日馬富士 | 1勝1敗13休 | 途中休場 |
| 2015年九月場所 | 白鵬 | 0勝3敗12休 | 途中休場 |
| 2016年七月場所 | 鶴竜 | 2勝2敗11休 | 途中休場 |
| 2017年一月場所 | 鶴竜 | 5勝6敗4休 | 途中休場 |
| 2017年一月場所 | 日馬富士 | 4勝3敗8休 | 途中休場 |
| 2017年三月場所 | 白鵬 | 2勝3敗10休 | 途中休場 |
| 2017年五月場所 | 稀勢の里 | 6勝5敗4休 | 途中休場 |
| 2017年五月場所 | 鶴竜 | 1勝4敗10休 | 途中休場 |
| 2017年七月場所 | 稀勢の里 | 2勝4敗9休 | 途中休場 |
| 2017年七月場所 | 鶴竜 | 2勝2敗11休 | 途中休場 |
| 2017年十一月場所 | 稀勢の里 | 4勝6敗5休 | 途中休場 |
| 2017年十一月場所 | 日馬富士 | 0勝3敗12休 | この場所で引退 |
| 2018年一月場所 | 白鵬 | 2勝3敗10休 | 途中休場 |
| 2018年一月場所 | 稀勢の里 | 1勝5敗9休 | 途中休場 |
| 2018年七月場所 | 鶴竜 | 3勝3敗9休 | 途中休場 |
| 2018年七月場所 | 白鵬 | 3勝1敗11休 | 途中休場 |
| 2018年十一月場所 | 稀勢の里 | 0勝5敗10休 | 途中休場 |
| 2019年一月場所 | 鶴竜 | 2勝4敗9休 | 途中休場 |
| 2019年一月場所 | 稀勢の里 | 0勝4敗 | 場所途中で引退 |
| 2019年九月場所 | 鶴竜 | 4勝4敗7休 | 途中休場 |
| 2019年九月場所 | 白鵬 | 0勝2敗13休 | 途中休場 |
| 2019年十一月場所 | 鶴竜 | 0勝1敗14休 | 途中休場 |
| 2020年一月場所 | 白鵬 | 1勝3敗11休 | 途中休場 |
| 2020年一月場所 | 鶴竜 | 1勝4敗10休 | 途中休場 |
| 2020年七月場所 | 鶴竜 | 0勝2敗13休 | 途中休場 |
| 2021年三月場所 | 白鵬 | 2勝1敗12休 | 途中休場 |
| 2022年三月場所 | 照ノ富士 | 3勝3敗9休 | 途中休場 |
| 2022年九月場所 | 照ノ富士 | 5勝5敗5休 | 途中休場 |
| 2023年七月場所 | 照ノ富士 | 1勝3敗11休 | 途中休場 |
| 2024年三月場所 | 照ノ富士 | 2勝5敗8休 | 途中休場 |
| 2024年五月場所 | 照ノ富士 | 0勝2敗13休 | 途中休場 |
| 2025年一月場所 | 照ノ富士 | 2勝3敗 | 場所途中で引退 |
| 2025年三月場所 | 豊昇龍 | 5勝5敗5休 | 途中休場 |
| 2025年七月場所 | 豊昇龍 | 1勝4敗10休 | 途中休場 |
| 2026年三月場所 | 大の里 | 0勝4敗11休 | 途中休場 |
| 2026年五月場所 | 豊昇龍 | 0勝2敗13休 | 途中休場 |
| 2026年七月場所 | 豊昇龍 | 7勝7敗1休 | 途中休場 |
39場所すべてに「休」が付いている。つまりこの13年半、横綱の負け越しはひとつの例外もなく休場をはさんでいた。逆に、休みながら勝ち越した場所も2つだけある。2019年一月場所の白鵬が10勝4敗1休、2020年七月場所の白鵬が10勝3敗2休で、いずれも1日か2日休んだうえで二桁に乗せている。
皆勤して負け越した横綱はいない(99場所の最少は9勝)
「横綱 皆勤負け越し」で調べる人が少なくない。15日間休まず取って、それでも負け越すという場所があったのかという問いである。
2013年一月場所以降の172場所のうち、15番すべてを取り切った場所は99あった。その99場所すべてで、横綱は8勝以上をあげている。皆勤しての負け越しは1度もない。最少の勝ち星は9勝6敗で、次の5例だけである。
| 場所 | 横綱 | 成績 |
|---|---|---|
| 2013年三月場所 | 日馬富士 | 9勝6敗 |
| 2014年五月場所 | 鶴竜 | 9勝6敗 |
| 2015年十一月場所 | 鶴竜 | 9勝6敗 |
| 2016年三月場所 | 日馬富士 | 9勝6敗 |
| 2026年七月場所 | 大の里 | 9勝6敗 |
横綱の負け越しは、負け続けて起きるのではなく、途中で土俵を降りて起きている。負けが込んだ横綱は皆勤を選ばずに休む。だから星取表の上では「負け越し」ではなく「休場」として残る。横綱の負け越しを探すときは、休場欄を見たほうが早い。
直近では2026年七月場所の豊昇龍が7勝7敗1休で終えている。田口は「豊昇龍は7勝6敗から逃げ出し休場した。横綱9場所目で4回休場している」と書いた。13日目までを7勝6敗で戦い、14日目を不戦敗、千秋楽を休んだ結果が7勝7敗1休である。
昭和・平成の「弱い横綱」は数字でどうだったか
協会公式でさかのぼれるのは2013年までなので、それ以前の場所ごとの成績はここでは扱わない。ただし横綱在位を通じた勝率であれば、田口が玉錦以降の横綱を対象に集計している。1場所ごとの勝敗ではなく、横綱として取った全取組の勝率である。
| 横綱 | 横綱時代の勝率 | 田口の記述 |
|---|---|---|
| 前田山 | 4割台 | 「横綱勝率4割台は前代未聞」 |
| 武蔵山 | 5割 | 在位8場所中、全休5場所・途中休場2場所で皆勤は1場所だけ |
| 栃ノ海 | 5割台 | 横綱になって休場したあとは誰とやっても勝てるかどうかわからない相撲だった |
| 3代目若乃花 | 6割1分6厘 | 優勝なし、在位わずか11場所 |
| 朝潮 | 6割3分8厘 | 17場所中皆勤9場所、出場率64% |
この5人のうち、横綱在位を通して負け越したと言えるのは前田山だけになる。前田山は張り手で横綱双葉山や大関羽黒山を破った力士だが、横綱になってからは振るわなかった。昭和24年の大阪場所を途中休場中に日米野球を観戦へ行き、不謹慎だとして引退させられている。翌年の春場所に3横綱が総崩れになり、横綱格下げ騒動が起きるのは、その直後のことである。
誰が最も弱い横綱だったかという議論は史上最弱の横綱は誰かに、在位が短く終わった横綱の顔ぶれは弱い横綱・短命横綱の一覧にまとめてある。
負け越しが続いた横綱はどうなるのか
番付が下がらない以上、成績が戻らない横綱には引退という出口しかない。その判断を促す役割を負っているのが、昭和25年に生まれた横綱審議委員会である。横綱に推挙する力士が現れたとき協会がまず諮問する先であり、横綱の引退も審議の対象に入っている。
場所後に横綱へ決議を出すこともある。田口は2020年11月の記事で、休場の多かった白鵬と鶴竜に「注意」が出たこと、それ以前に稀勢の里へ「激励」が出たことを書きとめている。「注意」は2番目に重い決議である。田口自身はこの呼び方に納得しておらず、「注意は一般からみると気をつけなさいというニュアンスである」「かつて稀勢の里には激励をしたが、これは応援団、支援者がするものである」と書き、忠告・訓戒・通告・引退勧告のような言葉のほうが重みが伝わると提案している。
横綱審議委員会そのものへの田口の評価はきびしい。「横綱審議委員会から『こんな弱い横綱をつくって申し訳なかった』というお詫びの言葉をかつて1度も聞いたことがない」。弱い横綱を生んでおきながら、生まれた横綱に注意を与える側に回っている、という指摘である。詳しくは横綱審議委員に欠けるモノを読んでいただきたい。
この記事の数字の出どころ
- 2013年以降の成績=日本相撲協会公式サイト「力士データ>過去の成績・番付>星取表」の幕内。平成25年一月場所から令和8年七月場所まで81場所ぶんを東西とも取得した(2026年8月3日取得)。令和2年五月場所は開催中止のため対象外で、協会公式でさかのぼれるのも平成25年一月場所までである。
- 集計方法=各場所の幕内星取表から番付が横綱の力士を抜き出し、協会が表示している「○勝○敗○休」をそのまま用いた。勝ち星が8に届かない場所を「勝ち越しに届かなかった場所」として数えている。勝敗の合計が15になる場所を「皆勤」とした。
- 横綱の在位期間の確認=日本相撲協会公式サイト「歴代横綱」(2026年8月3日取得)。
- 昭和25年の横綱格下げ、千代ノ山の横綱返上、横綱在位中の勝率、横綱審議委員会の決議=いずれも当サイトの田口道宏の記事による。該当箇所にリンクを置いた。
- 2013年より前の場所ごとの勝敗は、協会公式でたどれないためこの記事では扱っていない。裏が取れない数字は載せていない。
横綱の負け越しについてよくある質問
横綱が負け越したらどうなりますか?
番付は下がりません。負け越しても翌場所また横綱として番付に載ります。番付が下がらないのは横綱だけで、大関以下は負け越すと下がります。ただし成績が戻らない横綱は引退するという不文律があり、何勝で引退という明確な基準はありません。
負け越した横綱はいますか?
います。協会公式の星取表がさかのぼれる2013年一月場所から2026年七月場所までの81場所で、横綱が8勝に届かなかった場所は延べ71ありました。横綱として番付に載った延べ172場所の41%にあたります。
皆勤して負け越した横綱はいますか?
2013年一月場所以降ではいません。15日間取り切った99場所すべてで横綱は8勝以上をあげており、最少は9勝6敗が5例です。この期間の負け越しは39場所すべてが途中休場をはさんでいます。
横綱が大関に落ちることはありますか?
ありません。昭和25年1月20日に協会が横綱格下げを決めたことはありますが、世論の反発で1月29日に白紙へ戻りました。昭和28年には千代ノ山が自分から大関へ戻りたいと申し入れましたが、こちらも認められていません。
横綱の負け越しがいちばん多いのは誰ですか?
2013年一月場所以降では鶴竜の19場所が最多です。割合では稀勢の里が12場所中10場所(83%)で最も高くなります。ただしこれは協会公式でさかのぼれる範囲の集計で、それ以前の横綱は含んでいません。
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