大相撲

大阪場所事件簿 千代ノ山の横綱返上問題

2016年3月6日

大阪でおきた最悪の事件は、大鵬の連勝記録誤審でスト
ップであろう。これまで積み重ねた連勝記録45が、審判
の誤審で止まるという相撲史上最悪の汚点となる事件だ
った。この事件はこれまで触れてきたので、ここではもう
一つの事件をとりあげてみたい。

昭和23年から秋は大阪で本場所が開催されるようになっ
ていた。昭和28年から年4場所制となり、3月が大阪場所
となった。昭和26年夏場場所後横綱に昇進した千代ノ山
のその後の成績は、以下である。なお、当時は「ノ」の字で
あり、千代の山に変わるのは昭和29年初場所からである。

昭和26年秋場所9勝6敗
昭和27年春場所13勝2敗
昭和27年夏場所10勝5敗
昭和27年秋場所11勝4敗
昭和28年初場所4勝4敗7休
千代山
<千代ノ山のブロマイド>
 
事件は昭和28年春、大阪場所でおきた。横綱になって
6場所目。千代ノ山は優勝はなく、前場所は途中休場
であった。迎えた春場所は初日時津山に勝ったものの、
その後4連敗をきっし、またも途中休場に追い込まれた。
苦悩した千代ノ山は「大関に戻ってやり直したい」と部屋
の藤島(元安芸ノ海)を通して協会に申し入れた。世に
いう千代ノ山横綱返上問題である。協会は前例のない申
し出に困惑した。出羽海理事長(元常ノ花)は頑なに口
を閉じた。

実はその3年前の昭和25年に布石があった。1月の春
場所、羽黒山・東富士・照の3横綱はそろって途中休
場。5日目からは横綱不在となった。その前場所は、弱い
横綱前田山が引退に追いこまれており、横綱の権威は、
まさに崩れんとしていた。世論は横綱を糾弾し、協会も紛
糾した。5日目、役員会で、「横綱といえども、2場所以上
休場または負け越した場合は、横綱を返還して大関に落
とす」という方針を決めた。史上初の横綱格下げである。
千代の山
<千代ノ山のブロマイド>
 
しかし、世論・メディアは横綱格下げに反発した。「横綱は
チャンピオンではない。チャンピオン同様の成績を何度も
あげて、初めてなれるのだ」これを受けて協会も場所後、
横綱の格下げは白紙に戻し、横綱審議会を設置すること
にした。

こうした背景があるだけに、千代ノ山の横綱返上問題は、
受け入れられることはなかった。「千代ノ山は治療専念
するように」ということで、留意し、再起を促すことでこの
問題はピリオドをうった。その後千代の山は3度優勝した
が、必ずしも期待に応えたとはいいがたかった。

三月場所に向けて興味深いテーマを記していきます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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