一つの事件をとりあげてみたい。
となった。昭和26年夏場場所後横綱に昇進した千代ノ山
のその後の成績は、以下である。なお、当時は「ノ」の字で
あり、千代の山に変わるのは昭和29年初場所からである。

<千代ノ山のブロマイド>
6場所目。千代ノ山は優勝はなく、前場所は途中休場
であった。迎えた春場所は初日時津山に勝ったものの、
その後4連敗をきっし、またも途中休場に追い込まれた。
苦悩した千代ノ山は「大関に戻ってやり直したい」と部屋
場所、羽黒山・東富士・照國の3横綱はそろって途中休
場。5日目からは横綱不在となった。その前場所は、弱い
横綱前田山が引退に追いこまれており、横綱の権威は、
まさに崩れんとしていた。世論は横綱を糾弾し、協会も紛
糾した。5日目、役員会で、「横綱といえども、2場所以上
休場または負け越した場合は、横綱を返還して大関に落
とす」という方針を決めた。史上初の横綱格下げである。
チャンピオンではない。チャンピオン同様の成績を何度も
あげて、初めてなれるのだ」これを受けて協会も場所後、
横綱の格下げは白紙に戻し、横綱審議会を設置すること
にした。
問題はピリオドをうった。その後千代の山は3度優勝した
が、必ずしも期待に応えたとはいいがたかった。
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よしなに
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