から鶴竜まで東京横綱は、49人いる。彼らの中に大関
時代休場した力士は、どれくらいいるのか調べてみた。

大関時代の休場経験者は19人いた。40%である。なお、
「や」は休場扱いにしなかった。常陸山・2代目梅ヶ谷は同じ
方屋同士は対戦しない。鳳から常ノ花までは東西制である。
3代目若乃花の4回である。初代若乃花は昭和31年秋場
所前、愛児をちゃんこ鍋のやけどによって失った。その場
所の若乃花は首から大きな数珠をかけて場所に臨んだ。
相撲は鬼気迫る強さを発揮した。土俵の鬼の誕生である。
ついに初日から12連勝。ところが不運なことに、12日目に
高熱を発症して13日目は休場、千秋楽は出場するつもり
でいたが、高熱は下がらず、再び休場した。最も悲運な休
場であった。
が勝負である。白鵬は全休後3場所で昇進した。どれくら
いで横綱に昇進するか。大関昇進後、11勝-12勝-9勝
-途中休場と低空飛行である。優勝もない。通常ならあと
6場所くらいとみるのが妥当。ただ、白鵬・日馬富士・鶴竜
は30歳を超えている。少なくても今以上の成長はない。横
綱になるには優勝と打倒白鵬が不可欠である。大関在位
が長くなると勢いがそがれ、強豪横綱の域まではいかない
恐れがある。
ならないためにも、三月場所では、存在感を示す必要が
ある。
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よしなに
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