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力士・人物
琴恵光の経歴|祖父松恵山を超えて苦節11年で入幕、現在は尾車親方
琴恵光は宮崎県延岡市出身の元幕内力士で、引退後は年寄・尾車を名乗っている。15歳で佐渡ヶ嶽部屋に入り、十両止まりだった祖父・松恵山(立浪部屋)を超えて、苦節11年で新入幕を果たした。十両まで44場所、十両を突破するのにも12場所かかった苦労人で... -
力士・人物
栃ノ心の4場所連続優勝|膝の大ケガから幕下55枚目、平成26年に幕内へ戻った奇跡
栃ノ心は右膝の大ケガで幕下55枚目まで落ちたあと、4場所連続優勝で幕内に戻った。平成25年七月場所に右膝前十字靭帯断裂などを負って3場所を全休し、平成26年に幕下で2場所、十両で2場所続けて優勝した。最後の十両は15戦全勝で、幕内に復帰した場所では1... -
力士・人物
大英断!幕内・十両の大幅枚数削減
現在幕内の人数は42人、十両は28人である。平成14年十一月場所では幕内40人、十両26人であった。平成15年から北の湖理事長が公傷制度廃止を決定した。これは常に休場者が出る現状に楔を打つためであった。その救済措置として一月場所から幕内を2人、十両... -
記録と統計
阿武咲と貴景勝の比較|同じ平成8年生まれ、アマチュア時代から入門・出世街道まで
阿武咲と貴景勝は、ともに平成8年生まれのライバルである。阿武咲は高校1年で中退して阿武松部屋へ、貴景勝は埼玉栄高校3年の9月に貴乃花部屋へ入り、入幕は貴景勝が2場所早かったが、小結には阿武咲が先に上がった。貴景勝はのちに大関になり、今は年寄・... -
相撲の歴史
小錦はなぜ横綱になれなかったか|横審委員の論文と、初の外国人横綱・曙への道
小錦は史上初の外国人大関となって横綱をうかがったが、13勝で優勝、12勝、13勝で優勝というチャンスを見送られ、横綱にはなれなかった。田口は、横綱審議委員会のメンバーが「外国人横綱はいらない」という論文を発表し、あたかも小錦を横綱にさせないよ... -
力士・人物
たった1度の十両入りのチャンス
▼十両東12枚目 北はり磨 5勝10敗西13枚目 矢後 7勝8敗西14枚目 希善龍 6勝6敗3休△幕下東筆頭 貴源治 4勝3敗西筆頭 北太樹 4勝3敗東2枚目 翔猿 5勝2敗東3枚目 舛の勝6勝1敗十一月場所の十両昇進は、舛の勝改め隆の勝と再十両... -
場所の総括と番付
5場所経過!平成29年年間最多勝レース
月日が経つのは早いもので、今年もすでに5場所を終え、残り1場所になった。5場所までの各力士の成績はどのようになったのか。それが以下である。いつも通り、横綱・大関との対戦率によってクラス分けした。その結果横綱・大関はAクラスには一人もいな... -
場所の総括と番付
十両昇進はいつ発表?場所後の番付編成会議で、昭和46年7月から早めた理由
十両昇進は、場所後の番付編成会議のあとに発表される。番付発表を待たずに早めに発表するようになったのは昭和46年7月からで、新十両には化粧まわし、締め込み、紋付羽織袴などの準備が必要だからである。2017年九月場所後には、舛の勝改め隆の勝と、再十... -
力士・人物
知られざる十両優勝 現役編
五月場所は元幕内の錦木が安美錦との相星決戦を制して、10勝5敗で十両優勝を達成した。十両優勝を予想することはいかなる相撲通でもきわめて難しい。また、幕内優勝は覚えていても、十両優勝者は記憶から薄れていくのが常である。そこで予想ではなく、こ... -
力士・人物
成績で決まる十両優勝賞金考
五月場所の十両の土俵は混戦というかどんぐりの背比べというべきか。終わってみれば錦木の単独10勝5敗の優勝となった。先場所も10勝5敗だったが、巴戦であった。十両は抜群の力士がいなければこういうこともあり得るのだろうが、成績としては寂しい限り... -
コラム・論考
四股名のルーツ ○○里
時の人稀勢の里だが、最後に「里」がつく四股名は、幕内では唯一人である。ある意味珍しい四股名の分類に結果的になっている。すぐ思いつく○○里の四股名は、同部屋の兄弟子だった若の里、師匠だった隆の里であろう。最後に「里」のつく四股名のルーツは誰... -
観戦と楽しみ方
日本大相撲トーナメント第41回(2017年)|新横綱稀勢の里が優勝、国技館で初の土俵入り
日本大相撲トーナメントの第41回(2017年2月)は、横綱昇進を決めたばかりの稀勢の里が、決勝で貴ノ岩を破って優勝した。稀勢の里の横綱昇進で人気が加速し、チケットは売り切れ。国技館では初めてとなる稀勢の里の横綱土俵入りに、観客の目がくぎ付けにな... -
力士・人物
石浦の経歴|鳥取城北・日大から宮城野部屋へ、十両まで12場所・現在は間垣親方
石浦は鳥取県鳥取市出身の元幕内力士で、引退後は年寄・間垣を名乗っている。鳥取城北高校と日大の相撲部を経て宮城野(元竹葉山)部屋に入り、十両までは12場所、2年のスピード出世だった。十両で10場所かかったあと新入幕を果たし、最高位は前頭五枚目。... -
力士・人物
宇良以前に土俵をわかした新十両
<隆の山の雄姿>新十両の宇良の人気と注目度と逆転技はある力士を思い起こさせた。その力士は宇良以前に技の相撲とスリリングな相撲を展開した。彼の名は鳴戸部屋(元横綱隆の里)の隆の山である。七つの必殺技を持ち、9年半の月日をかけ、ついに十両昇進... -
場所の総括と番付
大相撲 2016年春場所(平成28年三月場所)の結果|優勝は白鵬、三賞・幕内の全成績と田口の15日間の観戦記
平成28年三月場所(2016年春場所)の幕内優勝は横綱 白鵬、成績は14勝1敗。同じ成績で並ぶ力士はいなかったので、優勝決定戦は行われていない。次点は13勝2敗の大関 稀勢の里。 三賞は殊勲賞が琴勇輝(前頭筆頭・12勝3敗)。敢闘賞・技能賞は該当なし。 田... -
本場所レポート
■春13日目 活発化が求められる十両幕下の入れかえ戦
連日の速攻が冴え渡る白鵬は、鶴竜を一方的に退けて、1敗を守った。千秋楽までゆるがず、突っ走りそうな勢いである。 稀勢の里・豪栄道ともに2敗を守ったが、優勝は苦しい。明日14日目稀勢の里・豪栄道が勝っても、千秋楽は両力士の直接対戦であり... -
力士・人物
十両をうかがう宇良
宇良が幕下西2枚目まで番付を上げてきた。成績次第では十両昇進が可能になる。1年前は前相撲だったのだから、超スピードで駆け上がってきたことになる。成績は通算32勝3敗である。序ノ口7勝優勝序二段7勝優勝三段目5勝2敗幕下7勝幕下6勝1敗土俵... -
記録と統計
十両昇進まで幕下で何場所かかるか|2015年の幕内力士で最短は大砂嵐の3場所、最長は勢の32場所(付出しを除く37人)
2015年七月場所の幕内力士で、幕下を最も早く通過して十両に上がったのは大砂嵐の3場所だった。栃煌山・嘉風が4場所、白鵬・稀勢の里が5場所で続き、付出しを除く37人のうち21人が幕下昇進から2年(12場所)以内に十両へ上がっている。いちばん長かったの... -
記録と統計
照ノ富士の大関昇進と移籍|間垣部屋から伊勢ヶ濱部屋へ、若三勝から入幕8場所で大関
照ノ富士は2015年、入幕から8場所で大関に昇進した。最初の師匠は間垣(元2代目若乃花)で、2013年三月場所後に間垣が部屋を閉じる際、同郷青森の伊勢ヶ濱(元旭富士)に託されて移籍した。若三勝から照ノ富士に改名したのは2013年九月場所の十両昇進のと... -
コラム・論考
大阪場所の変遷2
戦後大阪場所が復活したのは1948(昭和23)年10月であった。東京は2年前に国技館を占領軍に接収され、1年前に日本人の立入り禁止となった。この年夏場所は前年に引き続き明治神宮外苑でおこなった。年2場所のうちもう1場所が大阪だった。大阪の福島に... -
コラム・論考
大阪場所の変遷1
1927(昭和2)年東京、大阪の両協会が合併した。春場所(1月)後、大日本相撲協会は関西で本場所を2回開催することを決定した。実際開催地をみると広島、福岡もあり、関西というより西日本といったほうがまだ正確である。その年の3月大阪市天王寺区上... -
相撲の歴史
九州場所とは(十一月場所の通称)|いつから・なぜ九州と呼ぶのか、会場の歴史
九州場所は、毎年11月に福岡市の福岡国際センターで開く大相撲の本場所(十一月場所)の通称である。準場所から本場所になったのは1957年(昭和32年)。会場は福岡スポーツセンター、1974年(昭和49年)からの九電記念体育館を経て、1981年(昭和56年)に... -
力士・人物
魁傑とは|2度の大関とクリーンな相撲、「休場は試合放棄」を貫いた元理事長
魁傑は花籠部屋から2度大関に上がり、2度陥落した力士で、終始クリーンな相撲で知られた。「休場は試合放棄」と、負けが込んでも休まなかった。引退後は放駒親方として横綱大乃国を育て、相撲協会の理事長も務めたが、2014年の五月場所中に66歳で亡くなっ... -
場所の総括と番付
大相撲 2014年春場所(平成26年三月場所)の結果|優勝は鶴竜、三賞・幕内の全成績と田口の15日間の観戦記
平成26年三月場所(2014年春場所)の幕内優勝は大関 鶴竜、成績は14勝1敗。同じ成績で並ぶ力士はいなかったので、優勝決定戦は行われていない。次点は12勝3敗の横綱 白鵬・関脇 豪栄道・横綱 日馬富士。 三賞は殊勲賞が豪栄道(関脇・12勝3敗)、敢闘賞が... -
本場所レポート
■春十一日目 十両、気になるやつら
今場所十両が気になる好感度力士豊真将10日目まで十両全勝の豊真将はかなり好調である。この日は琴勇輝を相手にのどわをしのぎ、まわり込んで寄り立てた。短い時間の中にも一瞬の攻防が凝縮された一番であった。豊真将は丁寧な礼をし、懸賞金を受け取る際... -
角界ニュース・論
大関陥落制度の歴史と問題点|3場所連続から2場所連続負け越しへ(考察する1)
いまの大関陥落制度は、1969年(昭和44年)七月場所から、2場所連続で負け越すと関脇に落ちる形である。その前の1958年(昭和33年)から1969年までは3場所連続の負け越しで陥落し、さらに前(1927年の東西合併から)は2場所連続だった。1983年(昭和58年)...