大相撲

大翔鵬の出世街道

2019年2月28日

大翔鵬が入幕を決めた。モンゴルでは25番目
の入幕力士にあたる。モンゴルは平成におい
て一大勢力を築いていたが、その一翼を担う
までになった。モンゴル入幕力士は以下で
ある。
モンゴル幕内力士A
大翔鵬は少年期に来日し、家族とともに千葉
県で暮らし、過ごしている。小学生のころ
相撲スポーツ団体に所属する相撲少年であっ
た。中学で一時他のスポーツをしていたが、
再び相撲にうちこみ始めた。高校は千葉県立
流山南高校の相撲部に所属し、勝利に貢献した。
大翔鵬A
130721千秋楽十両 640
<序二段で優勝した大翔鵬>

卒業後声をかけられていた追手風(元大翔山)

部屋に入門した。出世は順調だった。わずか
5場所で幕下に上がった。序二段で優勝も
している。幕下は16場所かかった。勝ち越し
12場所、負け越し4場所であった。勝ち
越しは5勝2敗が最高成績、負け越しはすべ
て3勝4敗であった。着実に番付を上げて
いく傾向がこの辺から見受けられる。
160119十日目幕下以下 780
<幕下時代の大翔鵬(右) 対戦相手は宇良>

ところが、新十両では大きな壁にあたった。
5勝10敗と大敗したのである。再び幕下に
逆戻りした。ここでも3勝から5勝の傾向は
変わらない。1年かかってようやく十両に
復帰した。再十両では9勝2度、8勝5度と、
じわーっと番付をあげてきて入幕を決めた。
6年かかっての入幕であった。
161116四日目幕下 641
<新十両の大翔鵬>

大翔鵬は24歳とまだ成長途上である。183セ
ンチ、177キロ右四つ寄りの相撲である。
目下幕下を含めて10場所連続勝ち越し中で
ある。11場所連続勝ち越しなるか、その点も
注目されることになる。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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