大相撲

琴勝峰の出世街道

若手期待のホープ琴勝峰が入幕を果した。
わくわく感は半端ではない。3月26日「次の
大関は誰」でこう記した。短期間のうちに
大関が誕生することは考えにくいのが現代
大相撲である。琴勝峰は弱冠20歳である。
幕下でも20歳以下は数えるほどしかいない
のに、その若さで幕内である。逸材もいい。
下のころから注目されてきたホープである。
次の大関は、時間はかかるが琴勝峰、琴ノ若、
霧馬山、豊昇龍のなかから出るのではない
だろうか。

<新序出世披露>

さて、その琴勝峰はどんな道を歩んできた
のか。相撲は小学校に入る前の5歳からまわ
しをつけて取っていた。相撲少年であった
わけだが、キャリアが違った。琴ノ若と同じ
チームにいた関係から、当時現役だった琴ノ
若父から様々な声を掛けられることがあった。
小学校では周りより、ひとまわり大きかった。
柔道の誘いがあったほどである。

高校は相撲の名門埼玉栄高校に入学した。
幕下の納谷、塚原は同級生である。幕内には
貴景勝、大栄翔、北勝富士(日体大卒)、
妙義龍(日体大卒)、琴ノ若がいる。高校
2年のとき、インターハイで団体準優勝して
いる。ただ、この時点ではまだ将来力士に
なることは考えていなかった。

<幕下時代>

高校3年生のとき、プロにいくか進学するか
で考えた末、プロ入りを決意。佐渡ヶ嶽(元
琴ノ若)へ入門した。琴手計の四股名で土俵
に上がった。序ノ口からわずか11場所という
スピード出世で十両入りを決めた。稀勢の里
が12場所、兄弟子琴奨菊は14場所かかって
いる。最初の幕下で負け越して三段目に逆戻
りしたことはあるものの、10場所勝ち越し、
54勝23敗の成績で決めた。

<幕下時代 対若元春(右)戦>

十両で琴勝峰と改名した。慣れない新十両
だったが、9勝6敗と勝ち越した。十両2場
所目でも9勝6敗順調に番付をあげていった。
その後迎えた三月場所、12勝3敗で、入門
以来初の優勝を達成した。14日目負けていた
だけに、千秋楽の千代の海戦は思い切って
いき、前に出て決めた。同時に入幕も決定的
となった。

<新十両 豊昇龍(右)戦>

191センチ、165キロ、右四つ寄りを得意と
する。幕内では初対戦の力士が多くなる。
十両で対戦済みの幕内力士は錦木(1敗)、
若隆景(1勝)、照ノ富士(2敗)である。
十両で2敗している照ノ富士にはリベンジ
しておきたいところである。琴勝峰の入幕は
大相撲を一段と面白くする。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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