大相撲

横綱の連続優勝なし場所数5

ウルフ千代の富士は若いころ脱臼癖があった。
それを克服しない限り将来はなかった。彼は
筋肉の鎧をつけて克服した。相撲は投げ中心
から前褌をひいて出る相撲に変えた。短期間
でめきめき強くなった。1年間で関脇・大関・
横綱優勝を経験している。千代の富士は横綱
で29回優勝している。また、連続休場が少な
い横綱であった。それに加えて夫人の地元で
もある九州十一月場所で8連覇と強かった。
それだけに横綱連続優勝なしは、5場所に
留まっている。それは横綱15場所目から始ま
っている。そのなかに休場が2場所あった。

<千代の富士>

おしん横綱隆の里は糖尿病の影響があって、
大器晩成型の横綱だった。横綱になった初陣
が31歳であった。2代目若乃花とともに青森
から東京に夜行列車できた。若乃花に常に
先行されていたが、ようやく花開いた。横綱
では2回優勝している。短期簡だが、千代の
富士に対抗した。最後の4回目の優勝の翌場
所から引退まで12場所連続優勝なしがある。

<隆の里のブロマイド>

新人類と呼ばれた双羽黒は、優勝なしで横綱
に昇進した。当時横綱が千代の富士一人、
大関が5人で関脇の保志(のちの北勝海)の
大関昇進が確実という状況が、優勝なし横綱
を誕生させた。横綱になって付人が脱走した
り、親方と対立したりして結局相撲界を去っ
ている。師匠と横綱が損得をめぐって対立
することはあるが、お互いマイナスになる
までいきつくことはない。双方どこかで妥協
するものである。双羽黒は横綱在位8場所
優勝なしであった。

北勝海は千代の富士の弟弟子である。千代の
富士のかげに隠れた感はある。千代の富士が
息の長い横綱であったため、最後の8回目の
優勝は千代の富士現役のときであった。横綱
連続優勝なしは横綱3場所目からの7場所
連続である。3場所連続全休を含んでいる。
腰痛の悪化によるもので、苦難の時期であっ
た。ご存知の通り、現在は理事長を務めて
いる。元横綱の親方は大乃国、旭富士、武蔵
丸、稀勢の里と5人しかいないのは寂しい
限りである。

<北勝海のブロマイド>

巨漢大乃国はワンチャンスを生かして横綱に
昇進した。横綱になってケガもあり、横綱
在位23場所中11勝以上は8場所であった。
全休は6場所あった。また、睡眠時無呼吸
症候群に悩んだこともあった。これは睡眠
不足だけでなく、心臓の負担増から心筋梗塞・
心不全を引き起こす恐れがある。横綱3場所
目に優勝があるが、そのあと引退するまで、
20場所連続優勝なしを記録した。これがワー
スト1となった。28歳という若い引退であっ
た。

<大乃国のブロマイド>

津軽ナマコ旭富士はとっくに横綱になって
いてもおかしくない大関だった。12勝-11勝
-14勝優勝-12勝で横綱を見送られた。次が
12勝-12勝-14勝-13勝でまたも見送られた。
大関で2場所連続優勝が徹底されたのは旭富
士からであった。これは日馬富士まで続いた。
30歳でようやく横綱初陣となった。横綱5場
所目の千秋楽、本割・優勝決定戦で大関小錦
に勝って逆転優勝した。これが横綱唯一の
優勝となった。その前後に4場所横綱優勝
なしがある。惜しくも短命で終わった。

(この項目続く)

緊急事態宣言続行の可能性大。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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